意外な分野の本で「欠如モデル」概念が紹介されているのを見ましたので、引用します。(強調は原文のまま)。 原発、遺伝子組み換え、医療、環境アセスメントなど科学技術の問題をめぐって、「欠如モデル」という方法がかつて優勢でした。欠如モデルとは、「素人(消費者、住民、患者など)は科学の知識が欠如していて何もわかっていないのだから、専門家が懇切丁寧に教えてやれば必ず理解してくれるはず」という見方です。専門家と素人との関係を科学知識の量といった一元的な尺度で固定し、無知ゆえに不安や反発を感じている素人に対してひたすら科学的知識の学びを要請し、専門家の見方に近づいてもらう。それで問題は解決する。欠如モデルにもとづくこうした対応法は、「パターナリズム」の一種と言えるでしょう。 しかし、科学的知識では割り切れない主観的な価値感情や、根拠はないがなんとなくいやな感じというような暗黙の経験知など、実践的な場では