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ブックマーク / kihamu.hatenadiary.org (4)

  • stakeholder democracyへの道半ば - on the ground

    最近はインプットが僅少なので、まとまったエントリは書けずにいる。近頃考えることについて、ごく散漫な話をしてお茶を濁そう。 先頃書いた東浩紀的な「民主主義2.0」の解説としては、「「一般意思2.0」の勘所、あるいは「データベース民主主義」の理論的位置」の方が核心に迫っていると思うのだが、ブックマーク数を見る限りでは、先に書いた「ポストモダンが要請する新たな政治パラダイム」の方が10倍多くの人々に読まれたようで、二つ併せて読まれたいと思う筆者としては少し残念である。ただ、「パラダイム」は元々書こうとしていたことに丁度良い枕ができたと思って「朝生」の話を使わせてもらっただけで、エントリの力点はstakeholder democracy論の正当化にあったから、あれを普段からすると桁違い(?)の人々の目に入れてもらったと思うと、望外に得をしたと言うべきかもしれない。 グーグルアラートが拾って来てくれ

    stakeholder democracyへの道半ば - on the ground
    yojik
    yojik 2009/12/07
    リバタリアン・パターナリズムって、なんで正反対のもの並べてるんだろう。と思ったらそういう考え方があるのか。。。紛らわしい。http://d.hatena.ne.jp/hirokim21/20091008/1254980662
  • 『ONE PIECE』における正義と信念の問題 - on the ground

    宇野常寛『ゼロ年代の想像力』(早川書房、2008年)を読んで私が感じた最大の不満は、同著が90年代後半以降のサブカルチャー作品を多数採り上げ、漫画『DEATH NOTE』を新時代の「決断主義」を象徴的に描いた作品として詳しく取り扱いながら、同時期に漫画界のトップランナーであり続けた作品であり、『DEATH NOTE』と同じ『週刊少年ジャンプ』に連載されている『ONE PIECE』への言及を全くと言っていいほど含んでいないことであった。 当ブログではこれまで『DEATH NOTE』と『20世紀少年』を採り上げ、ともに正義にまつわる問題との関連で論じたことがある。両作品を比すと、前者よりも後者の方が思想的な重要性が大きく、内容もより複雑であったが、『ONE PIECE』は内容において両作品よりも遥かに明快でありながら、思想的には最も尖鋭な領域にまで踏み込んでおり、三作の中で最重要の作品と言って

    『ONE PIECE』における正義と信念の問題 - on the ground
    yojik
    yojik 2009/10/05
    ワンピースで解せないのは、理由もなく(意識してるわけじゃないのに)主人公と関係者がかならず不殺である点だと思う。考察しようとするとそこに引っかかる。主人公のエゴに対する救済措置というか。
  • 数学を勉強することの意味――「1+1」の思想 - on the ground

    勉強することの意味を尋ねられたらどう答えようかな、などとはよく考えることがあるけれども、今日は特に数学に限定して考えてみようか。先日、数学を勉強するのは論理的思考を養うためだという旨の説明を横耳で聞く機会があって、それも一つの説明だろうなとは思いながら、ただそれだと国語との差別化が難しくなるだろうと感じていた(実際、その人は数学≒国語だと結論したのである)。 他の説明(説得?)の仕方としては、数学は現に「必要」になるし「役に立つ」んだということを示す方法や*1、数学は意味など無くても単純に楽しいものなんだよと見せつけるアプローチなどがあるのだろう*2。ただ、これらは誰にでも当てはまるわけではないという意味で、論理的思考の訓練であるという説明に比して汎用性は低いように思う。そこで、一種のトレーニングのためであるという説明の方向性を維持しつつ、国語とは区別された数学の独自性を損なわない形で論を

    数学を勉強することの意味――「1+1」の思想 - on the ground
    yojik
    yojik 2009/09/24
  • 正しいのはオレだ - on the ground

    例えば音楽で世界を変えようとすることは、愚かなことだろうか。「愛と平和」と叫んで暴力を止めようとすることは、馬鹿げているだろうか。気で世界を変えようとしている人は馬鹿と呼ばれても別に何も思わないだろうが、実際のところ馬鹿でもなんでもない。確かに、争いの無い世界を皆で想像すれば争いを無くすことができると考えるのは、社会科学的観点からして認められない見解である。けれども、そう考えることは間違いでも、それを実行しようとすることは社会科学と相容れないわけではない。 もちろん、音楽では世界を変えることはできない。そんなことは、いい大人なら誰でも薄々解っていることだ。でも、世の中には歌う人がいる。音楽に限らず、人に世界を変えることは不可能である。それでも、人はそれをしようとする。そして、それは決して愚かな行為ではない。 なぜか。世界を変えることはできないと解っていて、それでもなお変えようとすることが

    正しいのはオレだ - on the ground
    yojik
    yojik 2009/05/05
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