明智光秀の放浪、妻との山越え 仕えていた斎藤道三が討たれたのち、明智の一族は離散した。 100年に及ぶ戦乱の世である。 たとえ家があっても誰もが疲弊し農民も武士も貧しいものが多い。 御所に住む天皇や公家でさえ、塀の修繕さえもままならず、近くの百姓たちから食べ物を恵まれ、なんとか生きながらえるという惨状であった。 そもそも、天皇家は地方の領地からの年貢で生活していたが、戦国武将たちが領地を奪い統治したため生活費を得るすべを失った。 落ち武者となった明智光秀もしかりである。 家もなく、畑なく、そして金もわずかという浪人者となり、食べるものにも困窮していた。いわば、戦国時代のホームレスである。 1556年頃。 光秀は、妻煕子(ひろこ)とともに、朝倉家を頼って山を超えようとしていた。 当時、食いはぐれた野盗も多く、貧しい夫婦連れに襲いかかる者もいる。襲ってくる野盗を、武芸に秀でた光秀が追い払いなが