戦時中の中国で、李香蘭の名前で女優として歌や映画に活躍し、戦後はテレビ番組の司会者や参議院議員も務めた山口淑子さんが今月7日に亡くなりました。 94歳でした。 山口さんは、体調を崩して3年ほど前から病院に入退院を繰り返していましたが、心不全のため自宅で亡くなったということです。
アップル社のスティーブといえば、いまだとジョブズだが、30年以上前、アップル社の最初のヒット作品であるAPPLE IIの時代には、もうひとりいた。スティーブ・ウォズニアックだ。APPLE IIを設計した天才エンジニアであるウォズニアックはウォズの魔法使いとか呼ばれて、パソコンマニアの中では、もっとも尊敬される人物のひとりだった。だから、当時のアップルファンにはスティーブといえば、ジョブズが好きか、ウォズニアックが好きかという定番の話題があったのだ。 もちろん、ウォズニアック派がほとんどだった。ジョブズは天才エンジニアのウォズニアックをうまくつかまえて大儲けをしたビジネスのひとだと思われていたから人気がなかった。 第一次パソコンブームの当時、日本でもそういう天才プログラマをうまくつかって大ヒットソフトをつくって大儲けするビジネスマンや大人たちといった構図はあちこちで見られたから、まあ、ジョブ
被爆半年後の自分の写真を掲げながら演説する谷口稜曄さん=7日、ニューヨークの国連本部、大隈写す (演説の大半は、谷口さんが準備した原稿を、通訳が英語で代読した。【】部分は谷口さん自身が日本語で演説した) 【議長、ならびにご列席のみなさま。 長崎の被爆者、谷口稜曄(すみてる)でございます。】 日本の被爆者23万人と平和を愛する世界のNGOを代表して、ここで発言するという栄誉をお与えくださいまして、ありがとうございます。 【私は1945年8月9日、当時16歳の時、長崎の爆心地から北方1.8キロの所を自転車で走っていて被爆しました。3000度、4000度ともいわれる強烈な熱線と、放射線によって背後から焼かれ、次の瞬間、猛烈な爆風によって、自転車もろとも4メートル近く飛ばされ、道路にたたきつけられました。】 突風が過ぎ去ったので顔をあげて見ると、建物は吹き倒され、近くで遊んでいた子供た
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