熱戦が続くリオデジャネイロ五輪。日本人選手のメダルラッシュを受け、NHKの競技中継では、チャイム付きの速報テロップ(NHKニュース速報)が連日のように表示されている。「中継を見ていれば分かる」テロップを、わざわざ表示するのはなぜなのか-。理由を探った。(三品貴志) 「見てたから知ってるよ」「なぜ生中継の最中に、その内容が速報でテロップ出るんだ?」 NHKのリオ五輪中継をめぐり、ツイッター上にはそんなツッコミや疑問の声が相次いでいる。 NHKが放送中の内容について速報テロップを出すのは、今に始まったことではない。五輪などのスポーツ中継に限らず、最近では8日、天皇陛下のビデオメッセージを放送した直後、「天皇陛下 お気持ち表明」「『生前退位』の意向 強くにじむものに」などのテロップを表示したことは記憶に新しい。 ツイッターには、五輪中継について「恒例のNHKの無駄テロップきた(笑)」など
がん細胞を免疫の攻撃から守っている仕組みを壊し、がんを治す動物実験に成功したと、小林久隆・米国立衛生研究所(NIH)主任研究員らの研究チームが18日の米医学誌サイエンス・トランスレーショナル・メディシンに発表した。1カ所のがんを治療すれば、遠くに転移したがんも消える効果があることが確認され、チームは「全身のがんを容易に治療できる可能性がある。3年程度で治験(臨床試験)を始めたい」と話す。 がんが生体で増殖し続けるのは、がんの周りに「制御性T細胞」という細胞が集まり、異物を攻撃する免疫細胞の活動にブレーキをかけて守っているためだ。 チームは、制御性T細胞に結びつく性質を持つ「抗体」に、特定の波長の近赤外光を当てると化学反応を起こす化学物質を付け、肺がん、大腸がん、甲状腺がんをそれぞれ発症させた計70匹のマウスに注射。体外から近赤外光を当てた結果、約1日で全てのマウスでがんが消えた。光を当
第98回全国高校野球選手権大会で準々決勝戦を制し、2016年8月18日に4強に名を連ねた秀岳館高校(熊本代表、八代市)。 応援に駆けつけた同校吹奏楽部は、大会の日程と重なった吹奏楽コンテストの出場をあきらめ、甲子園応援を「取った」。しかし、ネット上では、その決定を「美談」として報じることへの批判が噴出。教員が生徒に「(応援に行くよう)圧力をかけた」という真偽不明の主張も飛び出し、大きな議論となっている。なぜ吹奏楽部は甲子園応援を選んだのか。吹奏楽部顧問に聞いた。 ■「コンテストに出たいと涙を流す部員」との報道も 秀岳館高校吹奏楽部は16年8月11日に予定されていた吹奏楽コンテストの南九州大会出場をあきらめ、甲子園までやってきた。 同校野球部の甲子園行きが決まったのは、コンテストの県予選を1週間後に控えた7月26日。静岡代表・常葉菊川高との初戦が8月12日にセッティングされ、吹奏楽部
甲子園のスタンドでもう一つの夏が燃焼した。16日の全国高校野球選手権大会で、秀岳館(熊本)のベスト8進出を支えた同高吹奏楽部。部員たちは、この夏の吹奏楽コンテストの南九州大会出場をあきらめ、全国制覇を目指すナインとの夏を選んだ。「甲子園が僕らにとってのコンテスト」。伸びやかな演奏が歓声とともに夏空に響いた。 吹奏楽部は部員21人。4年連続の出場が懸かる南九州小編成吹奏楽コンテストの県予選を翌週に控えた7月26日、野球部が甲子園切符を手にした。 南九州大会は8月11日。県予選を通過しても、甲子園の応援を優先すれば大会には出られない。コンテストか、甲子園か。7月下旬の職員会議は2日間にわたった。多くの教員が「コンテストに出るべきだ」と主張した。吹奏楽部の3年生6人も話し合いを重ねた。「コンテストに出たい」と涙を流す部員もいた。 しかし演奏がなければチアリーディングもできず、応援が一つにな
SMAPが、今年の12月31日をもって解散することが13日深夜、明らかになった。所属事務所がマスコミ各社にファクスで書面を送った。国民的アイドルグループの歴史は、デビュー25周年の節目の年に、幕を閉じることとなった。 書面は「弊社所属アーティスト『SMAP』今後のグループ活動につきまして」と前書きがされ、「デビューより25年間アーティストとしてグループ活動をして参りましたSMAPは2016年12月31日をもちまして解散させていただくことになりました」と発表した。 日刊スポーツが今年1月に報じて明らかになった分裂騒動はいったん収束し、グループ存続に向けて何度も面談や話し合いを進めてきたが、メンバー間の潜在的な溝は深かった。今月に入り、事務所からは「前向きな状況が整うまでグループ活動をしばらく休む」という休業を提案したが、メンバー数名から「休むより解散したい」という希望が出たという。「全員
小学館は10日、同社が発行する女性ファッション誌『AneCan』を今年11月7日発売の12月号をもって休刊することを発表した。 【写真】2009年…蛯原友里、高垣麗子ら『AneCan』モデルが大集合 同誌は「お姉さん系CanCam」として2006年に年2回刊行後、2007年3月から月刊誌として創刊。『Cancam』で活躍した押切もえ、蛯原英里をメインモデルに据え、アラサー女子をターゲットにした誌面で人気を集めていた。 同社は休刊理由を「昨今の読者ニーズや広告環境の急激な変化を真摯にとらえ、月刊誌としての休刊を決定いたしました」と説明。今後は「ブランド力とノウハウをいかし、今の時代らしく読者のライフスタイルに寄り添った新しい形でのビジネスを検討してまいります」とし、内容や時期については「具体的に決まり次第お知らせ申し上げます」としている。なお、同誌のウェブサイト『AneCan.tv』は引
膨大な医学論文を学習した人工知能(AI)が、60代の女性患者の白血病が治療などが難しい特殊なタイプだと10分で見抜き、適切な治療法の助言で回復に貢献していたことが4日、分かった。治療した東京大医科学研究所は「医療へのAI応用に大きな手応えを感じた」としている。 同研究所が使ったのは、米国のクイズ番組で人間のチャンピオンを破った米IBMのAI「ワトソン」。同研究所はAIが患者の救命に役立ったケースは日本初ではないかとしている。 治療に関わった東條有伸教授は「AIが医療分野への応用に非常に大きな可能性を持っていることが実感できた。将来は診断や治療の方針づくりに役立つだろう」と話す。 膨大なデータの学習で的確な判断を行うAIは、多様な分野で応用が模索されているが、今後は医療への応用が本格化しそうだ。 女性患者は昨年、血液がんの一種である「急性骨髄性白血病」と診断され同研究所に入院。当初の
「PCを使ったことがない」という新社会人がここ数年増えている。「若い人のほうがITに対してのスキルが高い」と思いがちだが、実際にはどうやらそうでもないらしいのだ。 【その他の画像を見る】 総務省の「平成24年通信利用動向調査」によると、「PC」の世帯普及率は75.8%となっているのに対し、「スマートフォン」の普及率は49.5%。この調査で見られるのは世帯対象であり、世代別、個人ではない。そこで、内閣府の「平成25年度 我が国と諸外国の若者の意識に関する調査」を見ると、中学生までの「PCを所有していない率」が諸外国に比べてかなり低い結果になっている。海外先進国の中学生の80~90%が自分のPCを所有しているのに対し、日本は約30%しか持っていないのだ。 いつから若者はPCを使わなくなったのだろうか。 今の40~50代の大人たちが10代の1980年代、日本電気(NEC)製PC-8801、
大相撲で史上3位の優勝31回を誇り、昭和から平成にかけて一時代を築いた元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢=あきもと・みつぐ)が31日午後5時11分、膵臓(すいぞう)がんのため東京都文京区の東京大学附属病院で死去した。61歳。 「小さな大横綱」が、病魔に屈した。大相撲の枠を超えた国民的ヒーローの死。昭和の灯が、またひとつ消えた。 複数の部屋関係者によれば、同親方は7月の名古屋場所前から同地へ入り、部屋の稽古では連日、力士らに声をかけていた。周囲は急激に痩せた姿を目の当たりにして、驚いたという。現役時代の九重親方は身長1メートル83、横綱となっても125キロ前後と小兵ながら、大型力士を次々となぎ倒した。 贅肉(ぜいにく)とは無縁で、アスリートを思わせる引き締まった肉体は病魔でやせ細り、関係者の一人は「(体重が)100キロを割ったと聞いた。現役時代から初めてのこと。衝撃を受けた」と明
29日午後5時10分ごろ、栃木県芳賀町芳賀台の駐車場の軽乗用車内で、男児(2)=宇都宮市=が死亡しているのが見つかった。県警真岡署によると、男児の父親は「朝、男児を保育園に送迎するのを忘れ、そのまま仕事に出てしまった」などと話しているという。 その後、母親からの電話で思い出し、午後5時ごろに車を見に行ったところ、男児が車内でぐったりしていたため、119番通報したという。 男児はチャイルドシートでシートベルトを着けたまま死亡していたといい、全身にやけどを負っていた。同署は30日にも司法解剖を行い、死因などを調べる。 宇都宮地方気象台によると、29日の宇都宮市の最高気温は31・4度だった。
ショパン国際ピアノコンクールで4位に入賞し、世界各国のピアノコンクールの審査員も歴任した世界的ピアニスト、中村紘子(なかむら・ひろこ、本名・福田紘子=ふくだ・ひろこ)さんが26日に大腸がんのため死去していたことが28日、分かった。72歳だった。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は夫で作家、庄司薫(しょうじ・かおる=本名・福田章二)氏。 山梨県生まれ、東京・世田谷育ち。指揮者の小澤征爾さんらを輩出した桐朋学園「子供のための音楽教室」で幼児期から学んだ。慶応義塾中等部在学中の昭和34年に日本音楽コンクールで史上最年少で第1位特賞を受賞し、翌35年にはNHK交響楽団初の演奏旅行のソリストに起用された。その後、米ニューヨークのジュリアード音楽院に留学。1965年の第7回ショパンショパン国際ピアノコンクールで4位に入賞した。 チャイコフスキー国際音楽コンクール、ショパン・コンクールなど数多くの国
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く