(読売新聞 2009年5月4日 12面より転載) 「どうしよう」まるで迷子 訃報を聞いて真っ先に思ったのは、どうしよう、ということだった。清志郎の生の声が聴けない世界で、私はいったいどうすればいいのだ。 私は音楽とまったく関係のない仕事をしているが、でも、小説家としてもっとも影響を受けた表現者は忌野清志郎である。 八六年に日比谷野外音楽堂でライブを見てから、ずっと彼の歌を聴き、彼の創る世界に憧れ、彼の在りように注目していた。 あまりにも多くのことを教わった。ロックは単に輸入品でないということも、音楽は何かということも、日本語の自在さも、詩の豊穣さも、清志郎の音楽で知った。それから恋も恋を失うことも、怒ることも許すことも、愛することも憎むことも、本当にその意味を知る前に私は清志郎の歌で知った。 二〇〇六年夏、清志郎が喉頭癌で入院したというニュースを聞いたときは、神さまの正気を疑った。