東日本大震災における東京都医師会の災害医療チーム派遣は,震災直後からのDMATとそれに続く東京都医療救護班等の派遣,JMATとしての派遣に大別される. DMATは三月十一~二十日(福島第一原子力発電所に関するものは二十八日)の間,計十八チームが出動した.東京都医療救護班は六月三十日現在で計百四十六チームである. JMATとしての派遣は,三月二十二日~六月三十日まで,計九十九チーム,医師百七十六名,看護師百十三名,薬剤師二十九名,事務等百二十四名を数える. JMATの派遣先は主に宮城県石巻市であり,原則三泊四日の期間で前チームと一日重なるように設定した.すなわち第一日目は前チームからの引き継ぎを受け,第四日目は次チームへの引き継ぎを行うこととなる. 班編成は原則として医師一名,看護師二名,事務一名である.宿泊地は,この付近の沿岸地域では唯一津波被害を免れた松島に,東京都医師会として継続的に部