律令国家が建設した直線官道、いわば古代版ハイウエーが全国各地で発掘されています。畿内には東西・南北方向の直線道が多く、東山道、東海道、山陽道など七道諸国の道は地形に沿って、折れ線上に連なる道の遺構が見つかっています。「道」を切り口に日本の歴史を読み解く『道と日本史』(金田章裕著/日経プレミアシリーズ)より、さわりを紹介します。 7世紀の記録にある「大道」 『日本書紀』推古天皇21年(613)11月条に「難波より京に至るまで大道を置く」と記されている。推古天皇の時期、大規模な道路建設を実施したとの推定にかかわる最初の記事である。 難波よりの「大道」が具体的にどこなのかはこの表現からは不明であるが、この時点の宮とは大和(当時は「大倭」)の小墾田(おはりだ)宮であったから、難波から大和へ至る道と考えられる。 具体的には、孝徳・斉明天皇(645~661)時の難波宮(なにわのみや)跡から真っすぐ南へ