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  • 【SUUMO】本町2(中野坂上駅) | 中古住宅・中古一戸建て物件情報

    敷地面積338平米・延べ床面積861平米◆有名建築家設計 一棟住宅兼事務所◆リビングダイニング×2・キッチン×3・寝室×3・ホール・事務室等◆エレベーター有 --- 各階ご案内 --- ◇地下1階・・58.87平米(駐車場・倉庫) ◇1階・・・・197.10平米(ロビー・多目的室・客間・お茶室・庭) ◇2階・・・・192.03平米(ホール・事務室・トイレ) ◇3階・・・・121.70平米(事務室2室・2DK) ◇4階・・・・102.32平米(1LDK・厨房スペース) ◇屋上有・エレベーター有※3階迄

  • 完成されない横浜駅と、そこにあった断想|文・児玉雨子 - SUUMOタウン

    写真・文: 児玉雨子 NEWoMANがCIALと東急ホテル(横浜エクセルホテル東急)だったころ 地元というのは何をもってそう定義されるのだろうか。横浜市に長らく住んでいたが、幼稚園から都内の学校に通っていたので、実家の近所に昔からの同級生はいないし、「横浜市歌」も歌えないし、市内の公立中学校に給がないこともつい最近知った。 さらに親はそれぞれ西日出身で、親戚の中で私はひとり「東京の子」であった。都内の学校に通っていたといっても23区外の町田市にある学校だったから、その「東京の子」という言葉も、ボウリングやジムのレンタルシューズみたいに、ま、ぴったりじゃないけど気にしなければ慣れるか、といったふうに甘んじて受け入れてきた。もういちいち東京じゃなくて横浜だと訂正するのも面倒だった。 かといって横浜を地元と呼ぶことにも少し後ろめたさも感じる。エッセイの仕事(この原稿もそう)で地元の話をしてほ

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  • 観光地・鎌倉は「人が住んでいる町」だった|文・瀬谷薫子 - SUUMOタウン

    著者: 瀬谷薫子 ここにも人が住んでいたんだ。おかしな感想かもしれないけれど、暮らし始めてそう思った。 私は鎌倉に住んでいる。ここで小さなマフィンの店を開いている。 場所は小町(こまち)。というと土産物屋や飲店が並ぶ小町通りのイメージがあるからか、ずいぶん観光地にあるんだねと言われるけれど、小町のすべてが観光地なわけじゃない。 駅前の賑やかな大通りも、脇道に入って5分歩けばあたりはぐんと静かになる。鳥の声や小川の流れる音だけが聞こえ、夜になれば街灯もほぼない真っ暗闇になり、夏には蛍が光る。そんな自然豊かな小町のはずれで、私は店をやっている。 観光地に住むなんて、思わなかった 鎌倉といえば、幼い頃両親と大仏を見に行った思い出の場所。大人になってからは、友人と予定を合わせて遊びに行く場所だった。 あの店でお昼をべて、ここで焼き菓子を買って、江ノ電に乗って……と、やりたいことリストをしっかり

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  • 遠回りするからこそ、とっておきの景色が見られる街・鹿児島県阿久根市|文・小川紗良 - SUUMOタウン

    著: 小川紗良 水平線へ沈みゆく夕陽を、ただじっと見届ける。そういう時間を過ごしたことのある人が、この忙しない現代社会で、いったいどれほどいるだろう。仕事や、家事や、日々のあらゆるタスクを一旦放り投げてでも、見届けたい夕陽がある。「すみません、ちょっと夕陽がきれいだったもので」。そんな言い訳を、受け止めてもらえるようなゆとりがある。 この島国で、海や夕陽がきれいな町なんていくらでもあると思うだろう。それは実際にそうなのかもしれないが、鹿児島県阿久根市で見る夕陽には、やはりなにか他とは違う奇跡めいたものを感じてしまう。水面できらきらと連なる光の粒子たちが、次第に空との境を失って、気づけば残像を映したように星々が灯る。 便利ではなくても、人々の営みに惹かれて 子どものころの私にとって、阿久根は長期休みにたびたび帰るのどかな田舎町だった。国道線沿いを走る車の後部座席で窓を開け放ち、だだっ広い海を

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  • 「武蔵小杉」で立ち止まり、人生を立て直したあの頃。|文・紺野あさ美 - SUUMOタウン

    著: 紺野あさ美一番弱った頃に出会った街こんなに都会だったっけ? 久しぶりに武蔵小杉に降り立って、少し呆然としました。 今からもう10年近く前ですが、私は一時期この武蔵小杉に住んでいました。テレビ東京のアナウンサーをしていた頃ですね。 その後は結婚を機に退社し、3人の子供たちの出産・育児に追われていましたが、2年ほど前から少しずつお仕事を再開するようになりました。そうすると「元アナウンサー」「モーニング娘。OG」など様々な肩書きで紹介され、「アイドルもアナウンサーも、夢を叶えてすごいね」「人生グラフずっと高いね」そんな言葉をかけられたりもします。 でも、私にも「へこたれていた時期」というのがありまして……。一度会社を休職させて頂いたこともありました。自分の人生の中で一番弱かった頃かもしれません。その時に引っ越した先が神奈川県川崎市の武蔵小杉になります。 利便性より、ゆったりした空気を求めて

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  • 和歌山県伊都郡Yさん(30代)/独り暮らしの祖父が認知症になり借金発覚。孫が手探りで進めた“祖父の家じまい” - 【SUUMO】住まいの売却ガイド

    Yさんの祖父は和歌山県で独り暮らしをしていましたが、認知症を患い、周囲が想像もしなかった浪費と借金が発覚。その後、高齢者施設に入居したこともあり、返済資金や生活費を捻出するために家を売却することになりました。しかし、築35年の一戸建ては老朽化が進み、祖父は自分で判断できる状態ではありません。 孫であるYさんが手探りで進めた“家じまい”を語ってくれました。 不動産区分 一戸建て 所在地(市区まで) 和歌山県伊都郡 築年数 築35年 間取り・面積 5LDK(延床面積…約165m2、敷地面積…264㎡ ローン残高 なし 査定価格 480万円 売り出し価格 550万円 成約価格 550万円 認知症を患った独り暮らしの祖父の散財が発覚。借金返済のため家を売ることに。 2019年、和歌山県内で独り暮らしをしていたYさんの祖父が、飲店やタクシー会社など様々な所で付け払いを繰り返し、大きな借金をしている

    和歌山県伊都郡Yさん(30代)/独り暮らしの祖父が認知症になり借金発覚。孫が手探りで進めた“祖父の家じまい” - 【SUUMO】住まいの売却ガイド
  • 東十条というココア|文・ぼく脳 - SUUMOタウン

    著: ぼく脳冷えた街では輪郭が溶けずひとり一人がダマになり孤独を感じるが、温かい街では人と人、人と街がよく混ざっている感覚がある。街はココアなのだ。東京都北区東十条、僕はこのココアが好きだ。 年齢を重ねるとともに好む場所にも変化があり、最初は若さ特有の尖りなのか孤独を感じる場所が好きで、20代後半くらいから次第に孤独にならず一人になれる場所が落ち着くようになってきた。ここはそんな自分にとってちょうどいい場所だったのだ。 JR埼京線赤羽駅からJR京浜東北線で一駅。僕なりの東十条を紹介しよう(風呂に入って飯をう) まず駅を降りてすぐ、東十条商店街がある。ここには全てがある。ワンピースの正体が東十条商店街だとしても僕は驚かない。正確には全ては無いのだが(わかっているとは思う)。 「全てがあるように見せるのがうまい」といった感じだろうか。演歌専門店があってケバブ屋があったらそれはもう「全て」があ

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  • 悩めるアラサーだった私の揺らぎを受け止めてくれた街「幡ヶ谷」|文・山﨑ケイ(相席スタート) - SUUMOタウン

    著: 山﨑ケイ(相席スタート) 幡ヶ谷って、どこ? 幡ヶ谷に引越したのは30歳の頃。38歳で結婚するまで、30代の多くを幡ヶ谷で過ごしました。 幡ヶ谷はおそらくほとんどの人にとって、また私にとっても、元々あまりなじみのない地名でした。幡ヶ谷駅は新宿駅から電車で2駅。一つ手前の初台は新国立劇場にお芝居を観に行ったことがあるし、一つ先の笹塚には「笹塚ファクトリー」という劇場があったので、そこでネタをしたこともあります。笹塚ファクトリーでネタをする私の姿を見て、元々吉の後輩だった夫が私を好きになった話は、また別の機会に。それにしても、幡ヶ谷は用事がなければ行くことのない場所です。 私は、千葉県柏市で生まれ育ちました。いわゆるベッドタウン。父は柏から都内まで毎日通勤していましたし、私も大学から都内だったので、途中までは柏から通っていました。 大学2年生の頃に彼氏ができて、彼の家に入りびたるように

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  • 【SUUMO】和泉4(方南町駅) | 中古住宅・中古一戸建て物件情報

    みつけたSumai!これからも日の伝統文化をつなぐ100年 _/_/みつけたSumai! 杉並区和泉_/_/ 杉並区和泉は緑豊かな地域で、多くの公園や緑地が広がっています。例えば、和泉多摩川公園や和泉緑地公園など、自然の中での散策やピクニックを楽しむことができます。また、和泉には歴史的な建造物や文化施設があります。例えば、和泉多摩川神社など、古い神社や寺院を訪れて歴史文化に触れることができます。さらには地域のコミュニティが活発で、地元のイベントや活動が盛んです。地域の祭りやイベントに参加したり、地域住民と交流したりすることで、地域の魅力をより感じることができます。

  • 新宿がなかったら死んでいた。訪問者ではなく、定住者として「新宿」で暮らした6年間(文・花井優太) - SUUMOタウン

    著: 花井優太 新宿西口思い出横丁「岐阜屋」 餃子と木耳(きくらげ)玉子炒めを頼んで、ビールを飲みながら料理が来るのを待っていたら、外からシュプレヒコールが聞こえてきた。きっと青梅街道をたくさんの人がプラカードを持ちながら歩いている。新宿思い出横丁「岐阜屋」に休日の昼間にいると、たまにこうした場面に出くわす。70年と少し前、闇市としてこの辺りが栄え始めたころからこの店はあるという。 紀伊國屋書店新宿店の地下にあったカレー屋「モンスナック」とスパゲッティ屋「ジンジン」がそれぞれ離れた場所に移転してしまったこともあり、行動範囲のなかで飲み歩く際に気軽に立ち寄ってご飯をべる店としてもこの店の出番が増えている。たいていはチャーハンか焼きそばをべるが、理由はが読みやすいからだ。カレーとスパゲッティもそう。神保町にやたらカレー屋が多いのは、片手でべやすいからだと聞いたことがある。紀伊國屋二階の

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  • 石神井公園は僕にとって、いつまでも「永遠の楽園」だ(寄稿:パリッコ) - SUUMOタウン

    大泉学園と石神井公園 僕が生まれ育ったのは、東京都練馬区の西の端、西武池袋線の大泉学園という街だ。もう14年も住んでいる石神井公園は、その隣駅になる。 子どものころ、石神井にいとこの三兄弟が住んでいた。まんなかの女の子が僕と同い年で、上下に3歳ずつ離れた男の子。全員と仲が良く、いとこのうちへ年に何度か泊まりがけで遊び行くのが楽しみだった。 駅寄りの「石神井池」エリアと、道路を挟んでさらに広がる「三宝寺池」エリアからなる「石神井公園」は、都内でも有数の自然豊かな場所で、子どもの僕にとっては夢の楽園だった。起伏のある公園内を走り回り、うっそうとしげる林のなかを探検したり、池でザリガニ釣りをしたり、駄菓子屋でおやつを買いいしたり。 子どものころの思い出が詰まった石神井公園。こちらは三宝寺池側毎回、親が車で連れて行ってくれたので、子どもの僕には家からの距離感もよくわかっていなかった。とにかく、い

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  • "故国のわが家”を再現したアメリカンクラシックのレジデンス - マンションと暮せば by SUUMO

    物件名:麻布台パークハウス 所在地:東京都港区 竣工年:2011年 総戸数:165戸 2010年代 100~299戸 東京アメリカンクラブの建て替えに伴い誕生 東京のなかでも港区は国際性豊かな地域として知られている。各国大使館が集まり、インターナショナルスクールも多い。 麻布台にある会員制国際クラブ「東京アメリカンクラブ」の存在も象徴的だろう。同クラブが設立されたのは1928年。当初は在日アメリカ人の交流を目的としていたが、現在は50カ国以上、1万人を超える人たちが会員に名を連ねている。2011年に新築されたクラブハウスにはレストラン、バー、フィットネスジム、プール、さらにはボウリング場まで多彩な施設がそろい、会員とその家族が集う場として活用されている。 このクラブハウスの建て替えと同時に、敷地内に誕生したのが「麻布台パークハウス」だ。17階建ての建物はクラブハウスと渡り廊下でつながり、会

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  • 「落合南長崎」には、弱いわたしが都会でなんとか生きるために必要な環境が全てそろっている | 文・ニシダ(ラランド) - SUUMOタウン

    著: ニシダ(ラランド) 親に勘当されたわたしが流れ着いたのは 落合南長崎に住み始めて約二年になる最近、引越しを考えている。 彼女と二人で1Kのけして広くはない部屋で暮らしている。向こうが一人で住む家に、わたしが転がり込んだ形だ。「野良を構ってやったら住み着いた」みたいなものだと思ってほしい。 その前は、神奈川の実家に住んでいた。2度目の大学退学が引き金になり、家を追い出され、両親には「二度と敷居をまたぐな」と言われ、傷心の中キャリーケース一つ分の荷物だけを持ったフーテンのニシダが風まかせに流れ着いたのが落合南長崎だった。 わたしにとって住むのには理想的で、大好きな場所になったので、皆様にも落合南長崎を知ってもらいたい。大学を2回退学したことに引っかかってしまった人は、この記事を読んだ後に調べてみてほしい。あらすじを言うと、わたしは大学を7年かけて2度退学し高卒になりました。 まず落合南

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  • 「売るな」と遺言された田舎の実家、相続後に泥棒が……「もう管理しきれない」売却を決断/愛知県Kさん - 【SUUMO】住まいの売却ガイド

    愛知県にある実家を相続したKさん。両親の遺言に従って売却はしないつもりでしたが、遠方から空き家を維持管理する難しさを日々感じていました。そんな時に起きたある出来事をきっかけに古家付き土地として売ることを決意したといいます。 不動産区分 古家付き土地 所在地 愛知県高浜市 築年数 不明 間取り・面積 土地面積…約300m2(延床面積…約200m2) ローン残高 ― 査定価格 3000万円 売り出し価格 5000万円 成約価格 5000万円 親の遺言は「売るな」。しかし泥棒に入られ売却を検討 首都圏在住のKさんは、父親が亡くなり愛知県高浜市の不動産を相続しました。当初、売却することはまったく考えていなかったといいます。 「相続したのは、私が生まれ育った家です。最寄駅から徒歩5分の場所にあり、土地面積約300m2、建物延床面積約200m2。一部改築していますが、昭和の初期に建てられた古い大きな家

    「売るな」と遺言された田舎の実家、相続後に泥棒が……「もう管理しきれない」売却を決断/愛知県Kさん - 【SUUMO】住まいの売却ガイド
  • 東京の会社に勤めながら、田舎の町でかわいいエミューちゃんと一緒に暮らす日々(文・玉置 標本) - SUUMOタウン

    著: 玉置 標 オーストラリア原産の飛べない大型鳥類であるエミューを、卵から孵化させて室内飼いしている砂漠さん。「エミューちゃん」と名付けて溺愛している彼女の日々をTwitterで知り、共通の友人と一緒に会いに行ってきた。 自分の身長くらい体高がある動物との共同生活はどう考えても大変そうだが、エミューというオアシスを得て心が潤いまくっている砂漠さんの話を聞き、自分の持つ常識の狭さを思い知らされた。 エミューを飼い始めた意外な理由11月某日に砂漠さんの家を訪れると、窓の内側に大きな生き物がいた。エミューだ! すごい、すごい、すごい。 もちろんこのエミューちゃんに会いに来たので、エミューがいて当然なのだが、実際にこうして家の中にいる姿をみると、やっぱり驚いてしまう。 当にエミューだ! こちらが飼い主の砂漠さん 砂漠さんがエミューちゃんと暮らしている理由は、特別な思い入れがあって昔から飼いた

    東京の会社に勤めながら、田舎の町でかわいいエミューちゃんと一緒に暮らす日々(文・玉置 標本) - SUUMOタウン
  • 茨城県の実家でテイクアウトの南インド料理店を開いて、インド人に間違われながらゆるく生きています(文・玉置 標本) - SUUMOタウン

    著: 玉置 標全国に出張して南インド料理をつくりまくる二人組ユニット『マサラワーラー』の鹿島信治さん(44歳)が、2019年に家庭の都合で東京から茨城県古河市にある実家へと戻り、テイクアウト専門の南インド料理店をオープンしたそうだ。 実際に行ってみると「ここで南インド料理店って!」という立地に驚いたのだが、じっくり話を聞いてみると「ここだから南インド料理店が好きにできるのか」と納得した。 実家の商売を継ぐのではなく、実家で商売をするという道九月の某平日、鹿島さんから聞いた住所をカーナビに登録して、埼玉県東部にある私の家から出発。高速を使わずとも、一時間ちょっとで利根川を越えた先にある茨城県古河市まで来た。意外と近い。 工業団地、畑、住宅がまばらに並ぶ地方の町。この場所で南インド料理店というマニアックな商売が成り立つのかと不思議に思いながら進んでいくと、ナビの案内は大通りから逸れて、

    茨城県の実家でテイクアウトの南インド料理店を開いて、インド人に間違われながらゆるく生きています(文・玉置 標本) - SUUMOタウン
  • 築100年の長屋のまち「墨田区京島」にクリエイターが集結中! いま面白い東京の下町

    戦時中、奇跡的に戦火を免れたことから長屋が多く残り、豊かな風景をつくっている東京都墨田区の京島。歴史ある建物と、下町のコミュニティに魅せられ、ここ10年ほどで定住するクリエイターが増えています。古い家屋を現代に生かし、2008年から人と人を結ぶ活動を続けてきたまちづくりの立役者と、このまちで活動する方々に話を伺いました。 築約100年の長屋と働く人たちに魅了され、地元に根差して奮闘 東武スカイツリーライン「曳舟駅」、京成電鉄「京成曳舟駅」の南東の50万平米に満たないエリアに、約6900の世帯が集まる東京都墨田区京島。もともと一帯は水田と養魚場でしたが、1923年の関東大震災を境に急速に宅地化。新潟からきた大工衆「越後三人男」が、家を失った人々に向けて長屋を建て、賃貸住宅にしていったのがその理由です。 戦時中は近隣の線路や川・道路が防火提の代わりになったのに加え、住人の懸命な消火活動もあって

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  • 16年住んで不満ナシ。マーティ・フリードマンが新宿をトコトン愛する理由 - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 古澤誠一郎 写真:小高雅也 日に暮らす外国人は、どのような「角度」から街を見ているのでしょうか。彼ら・彼女らの街に対する愛着や意外な暮らしぶりにフォーカスし、街の魅力を掘り下げるインタビュー企画「日に住んでみた」をお届けします。 ◆◆◆ 今回ご登場いただくのは、新宿で暮らすギタリスト、マーティ・フリードマンさんです。 アメリカで生まれ育ったマーティさんは、世界的なヘヴィメタルバンド「メガデス」で活躍。バンド脱退後は有り余るJ-POP愛から日移住し、音楽というフィールドから日の魅力を発信し続けています。 そんなマーティさんは「日一の繁華街」とも言える新宿に、どのような魅力を見出しているのでしょうか。 日人にとっては当たり前すぎて気づかない「便利さ」や「安全さ」。J-POPにもどこか通ずる雑多さ。そして、「雀荘」や「質屋」の看板を読めるようになり、街の様子が

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  • ミクシィで出会った犬と秋田が、僕の漫画家人生を変えた。(文・みずしな孝之) - SUUMOタウン

    著者:  みずしな孝之 秋田に縁がなかった僕が「いとしのムーコ」を描いたわけ 秋田に縁のない人生でした。 東京生まれ東京育ちで、親は長野出身。親戚がいるわけでもなく、修学旅行は奈良京都、好きな球団は横浜大洋。「北国へ旅行に行こうか」と思うことはあっても、一気に北海道まで飛んでしまう感じで。東北には興味はあっても、訪れる機会はほぼなかった秋田県。 なのに、みずしな孝之がなぜゆえ秋田を舞台とした漫画「いとしのムーコ」を描くことになったのか。それはもう、うちのアシスタントのフジイのおかげです。 2010年ころ、秋田県・大曲出身のフジイからこんな情報を聞きました。「知り合いに、秋田の山奥のガラス工房でガラス吹き職人をやっている人がいる」「そこで飼っている犬がむちゃくちゃ可愛くて、ミクシィもやってる」と。 「えっ! 犬がミクシィ!?」「なにそれ! 器用! おもしろい!」と、早速興味津々だったのですが

    ミクシィで出会った犬と秋田が、僕の漫画家人生を変えた。(文・みずしな孝之) - SUUMOタウン
  • 自転車乗りにとっての天国・神奈川県「橋本」に移住してアウトドアを楽しんだ3年間(文・篠さん) - SUUMOタウン

    著: 篠 明神三国峠。富士山バックの絶景が眺められます 皆さん、「橋駅」はご存じでしょうか。神奈川県相模原市緑区にあるJRと京王線が通る駅です。 突然ですが、私の趣味はロードバイクです。2014年ごろ、『弱虫ペダル』のアニメを観たのをきっかけに、約30万円ほどかけてフレームを購入するところからスタートしました。 最初は川沿いなどを中心にサイクリングしていましたが、徐々にヒルクライムやレースにも参加するようになり、昨年はロードバイクで千葉を24時間かけて一周(約520km)したり、灼熱の熊谷で行われるバーニングマンレースに参加し、まさかの男女ペアカテゴリーで優勝を果たしたり、今年で7年目を迎える今も現在進行系で自転車の魅力にのめり込んでいます。 そんな自転車沼にどっぷりと浸かっている自分にとって、天国とも言えるのが橋。最近は何かとリニア中央新幹線開通の話題で注目を集めることが多いのですが

    自転車乗りにとっての天国・神奈川県「橋本」に移住してアウトドアを楽しんだ3年間(文・篠さん) - SUUMOタウン