ブックマーク / www.newsweekjapan.jp/rebelpepper (5)

  • 習近平が私営企業に押す「共産党印」の不安

    中国共産党が開始した、私営企業内に党組織を作る運動が中国の経営者たちを戦慄させている。私有財産を公有化した文化大革命時代の政策を連想させるからだ> 中国共産党は最近、すべての私営企業を対象に「党建設がすべてを覆う」という運動を始めた。中国歴史を少しでも知っている企業主たちの中には仰天し、自分の会社を閉じて全ての家族を海外に移民させた者もいる。 中国共産党が全ての企業の中に党組織をつくるだけなのに、どうして彼らはこのように恐れるのだろうか。 49年の共産中国建国後、毛沢東は「公私共営」という社会主義改造政策の名の下に全ての非公営企業、全ての土地、無数の商人と企業主の財産を公有化した。多くの金持ちは迫害され死亡し、政治の動揺で中国経済は停滞。30年間も発展のチャンスを逃した。76年に毛沢東が死去すると文革は終わり、鄧小平が「改革開放」を始めた。 鄧小平とその後の共産党の指導者の戦術は、私有

    習近平が私営企業に押す「共産党印」の不安
  • 人権派弁護士を有罪にした独裁国家の法治主義

    2015年12月22日、北京市第二中級人民法院は弁護士の浦志強(プー・チーチアン)に懲役3年、執行猶予3年の刑を言い渡した。その日の午後、彼は1年7カ月の間勾留された拘置所を出た。浦志強は中国の有名な人権派弁護士であり、89年の天安門事件では所属する中国政法大学で初めてハンストに参加した学生の1人でもある。 浦志強が天安門事件後、公安当局によって逮捕されずに済んだのは、当時、彼が学生リーダーではなく、さらに学内で教師や学生たちにかばわれたためだった。このことについて、私は以前「天安門事件で彼は幸いにも逮捕されなかった。今回はその『借金』を返したことになるのでは?」と冗談を言ったことがある。ただ、私はこうも考える。浦志強自身もこんな風に考えていたのではないか? この種の「借金返済」の心の準備と覚悟はかなり前からあったのではないか?――と。 2014年5月4日、天安門事件25周年の1カ月前の夜

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  • 「落第」習近平を待つアメリカの評価

    中国の習近平国家主席は9月25日前後にアメリカを訪問する。ホワイトハウスでは建物の南に位置する広場「サウスローン」で歓迎式典が行われる予定だ。 中国国内で、習近平は反汚職キャンペーンという「金棒」で政敵を叩き潰すだけでなく、党中央に新設した「財政経済指導小組」など10数個の小組トップを自ら兼務。政府機構は骨抜きになり、7人の政治局常務委員による協力と分担は彼の独断に取って代わられた。 「法治」も落第だ。浦志強弁護士や高瑜記者の逮捕など人権活動家に対する弾圧が加速しており、7月にはさらに大規模な弁護士拘束事件も発生。多くの人たちがいまだに釈放されていない。習近平の反汚職キャンペーンは法的手続きをまったく無視して続いており、腐敗幹部に対して共産党は「家法」である「双規(編集部注:共産党内部で法律に基づかず人身の自由を制限し、隔離・審査する制度)」を使って捜査・拘束を続けている。そして反汚職キャ

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  • 軍事パレード直前に爆発事故が続く中国の皮肉

    9月3日、北京で抗日戦争と反ファシスト戦争勝利70周年を記念した軍事パレードが行われるが、今回のパレードはまったく普通ではない。パレードを極めて重要視している共産党政府は、当日の北京を青空と白い雲の好天にするため、北京市と天津市、河北省、山西省、内モンゴル自治区、河南省と山東省の7省・直轄市の1万を超える工場に生産停止・生産制限を命じ、9000余りの工事現場の工事を停止させた。農家の「かま」での煮炊きによる排煙すら禁じた場所もある。北京市ではナンバーに基づく車両の通行制限も続く。 共産党政府は治安維持にも相当敏感になっていて、地下鉄では最高レベルの警戒を実施。公衆トイレに行くにも実名登録が必要になった。百万人近いボランティアを治安要員として動員されているが、あきれることに事前に決まっていたかなりの数の文芸イベントや新書の発表会、展覧会までが中止に追い込まれた。 しかしパレードの準備が進んで

    軍事パレード直前に爆発事故が続く中国の皮肉
  • 弁護士大量拘束事件と「法治国家」のデタラメ

    中国の人権派弁護士が最近、共産党政府によって計画的かつ大規模に拘束された。これは歴史的な事件だ。ウィキペディアの中国語版にはすでに『中國710「維權律師」大抓捕事件』の名前で項目が立っている。 「710」は2015年7月10日、つまり政府が全国で弁護士拘束に乗り出した日を指している。7月25日午後10時の段階で、少なくとも225人の弁護士あるいは弁護士事務所の関係者が拘束、失踪、警察の事情聴取、短期間の行動の自由の制限を受け、その範囲は23の省・直轄市に及ぶ。 この大拘束劇の最初の犠牲者は王宇弁護士一家だ。7月9日未明、数十人の警察官が麻薬捜査の名目で王宇の家に踏み込み、この後彼女は行方不明になった。彼女の夫である包龍軍弁護士はオーストラリア留学に出発する息子の付き添いに行ったはずだったが、王宇の友人が空港関係者から聞いたところによれば、2人は出国しなかった。 その後、王宇の息子は釈放され

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