たった今、テレ朝のワイドショー見ていたら、「篦棒な人」川内康範先生が、24日に首相官邸を尋ねて、福田首相と一緒に都内のホテルで面会したことが報道されてました。検索しても、その記事は現時点(昼12時半)ではまだネットに流れてないようですが、テレビでは車椅子でホテルを出る川内先生の後ろ姿がバッチリ映っていました。 http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/071225/plc0712250249001-n1.htm ↑産経新聞12月24日「福田日誌」 俺が品川のホテルで川内先生と二人で食事をしたとき、「悪いな。これから小渕(総理)と会わねばならんから、メシだけで勘弁してくれや」とおっしゃっていたことを思い出しました。川内先生は、福田総理の父親の故・福田赳夫首相のブレーンも勤めるジッコンの間柄でしたから、今回も息子に「なにか一言」伝えたのでしょう。 その「
大東亜戦争末期沖縄での集団自決の実態再検証に世論の関心が高まっている。大江健三郎『沖縄ノート』(岩波新書)の真偽を巡って係争中の裁判の報道もあった。その中に、えっと思う記述があったので『沖縄ノート』を読んでみた。 第九章にこうある。 沖縄住民に集団自決を強制した(と大江が断じている)元守備隊長は一九七〇年春、慰霊祭に出席すべく沖縄に赴いた。それは「二十五年ぶりの屠殺(とさつ)者と生き残りの犠牲者の再会」であった。 自決強制の有無の検証は私の任ではない。私が驚いたのは虐殺者(大江の見解での)を屠殺者になぞらえていることだ。 これ、いつから解禁になったのか。虐殺を屠殺になぞらえようものなら許すべからざる差別表現として部落解放同盟と屠場労組の苛烈(かれつ)な糾弾が展開されたことは言論人なら誰知らぬ者はない。 一九八二年、俳優座のブレヒト原作『屠殺場の聖ヨハンナ』は改題してもなお激しい糾弾に遭い上
フランス語版ルー語はどうなるだろう、と思ったら、それって『おそ松君』のイヤミではないか。しかし、いま気がついたけど、イヤミってフランスかぶれのはずなのに、「ミー」て英語じゃん! というわけでこんなんとか? 与野党アンサンブルしようよ! ホトケのヴィザージュもトロワ・フォア チリも積もればモンターニュ ピエールの上にもトロワ・ザン 嘘から出たヴェリテ 泣きっ面にアベイユ ……あきた 追記: そういえば、フランス語版ルー語っぽいものといえば、たしかルパン3世の『カリオストロ』の城で、ルパンが変装したフランス人が、フランス語っぽいしゃべり方をするというシーンがあった。こんな感じだった。 こ〜れはパイプじゃネスパ?そ〜〜じゃネスパ? みたいな。これは、「ねすか?(ないですか?)」と「n'est-ce pas?」を掛けている秀逸なものだった。故山田康夫氏のアドリブだったのだろうか? さらに追記: i
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