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教育と思想に関するytnのブックマーク (2)

  • (争論)文系学部で何を教える 冨山和彦さん、日比嘉高さん:朝日新聞デジタル

    大学で文系学部は何を教えるべきか。むしろ職業訓練に力を入れたほうがいいのか。人文・社会科学系学部などの「廃止や転換」を促す通達を文部科学省が昨年、全国の国立大学に出して以来、議論が盛り上がっている。いま、大学に求められる役割とは何だろう。 〈議論のポイント〉 ・重視すべきは学術か実学か ・… こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

    (争論)文系学部で何を教える 冨山和彦さん、日比嘉高さん:朝日新聞デジタル
    ytn
    ytn 2015/03/04
    まあこの例えに乗っかるなら、「簿記会計の観点と宅建の観点と観光の観点」がバッティングしたときにどのようにそれらを調停したり止揚したりするか、そのプロセスはどのように説明可能かが教養教育に求められる。
  • 法と道徳の区別がつかない人々 - 読む・考える・書く

    前回記事で、教育勅語が説教する「徳目」(ただし最後の1個は除く)について、「時代背景を考えればまあ常識的な内容で、当時の感覚では当たり前の道徳」だと書いた。 これは、当時の人々はそれらを「当たり前の道徳」と感じたであろう、ということであって、その内容が普遍的に通用するという意味ではない。また、人々が自発的に何らかの「徳目」を尊重することと、国家に命令されてそれを守らされることとは、やっていることは同じように見えても、意味はまったく違う。 それが分からない、法と道徳の区別がつかない人々がこの国には多すぎる。これは、この社会の未熟さの表われの一つであり、またこの国を蝕む宿痾の一つとも言えるだろう。以下、渡辺洋三『法とは何か』(岩波新書 1979年)から引用する。 わが国では、法と道徳との分離が徹底せず、しばしば、法的正義と道徳的正義とが同一の「正義」の言葉で呼ばれ、混同して使われてきた。このた

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