ブックマーク / members.jcom.home.ne.jp (9)

  • わくわくページ:時間旅行映画海外3

    yu_i
    yu_i 2010/04/14
  • 『Kanon』における家族の様相

    初出:Tactics/Keyゲーム評論集『永遠の現在』(2007年8月19日 コミックマーケット72)、2007年6月24日脱稿 Key作品においては、感想等で「家族がテーマである」と言及されることが多いが、これまで、この「テーマ」という言葉が発せられるとき、家族の存在を自明とし、家族「である」ことを称揚する家族主義の立場から発せられていることに特徴があるとの印象を有していた。そこで、この際、Key作品において水瀬家という特異な存在を有する『Kanon』において、改めてその家族の有り様を検討し、表現上実際にどのような家族の姿や人物同士の関係が示されているかについて検討する。 『Kanon』における主人公、相沢祐一の水瀬家への招待から馴染んでゆくまでの部分について、まず見ていこう。冒頭、名雪が迎えに来た際のやりとりについては、水瀬家全般に関わるというより、名雪自身の有するわだかまりに端を

  • http://members.jcom.home.ne.jp/kazuma-sano/owabi02.htm

  • Tactics/Keyゲーム評論集『永遠の現在』発刊について

    評論集は、恋愛ゲームも新たな文学の一種との基的認識に基づき、作品論的見地から、恋愛ゲームのテクスト、ゲーム構造などを論じ、その価値を追究するための論考を発表してきたthen-dの取組をまとめたものです。 作品のテクストを丁寧に読むことにより、最も日陰者の扱いで語られることの多い恋愛ゲームの中に、これだけ豊かな世界が広がっていることを示し、我々の生(性にあらず)に切実な課題が含まれていることを認識し、これらの作品の価値を理解することを目的としています。 また、このような価値を見出すことができたのは、何よりも作品自体の言葉に対する信あってこそのことです。それだけの言葉が紡がれた作品に、まず感謝を述べるとともに、それらの言葉を切り刻む高慢さを自戒しつつ、評論集を上梓したいと思います。 さらに、評論集の企画に賛同いただいた方々より、幅広い観点からご寄稿をいただき、より重層的にT

  • YouTubeで見れるPVの総まとめページ

    更新履歴 ハロプロ特設ページ設置 ごまっとう,後浦なつみ,DEF.DIVA,ZVX,ROMANS,あぁ!,あか組4,黄色5,青色7,三人祭,7人祭,10人祭,ハッピー♥7,おどる♥11,セクシー8,7AIR,SALT5,11WATER,セクシーオトナジャン,エレジーズ,プリプリピンク カントリー娘。,ココナッツ娘,安倍なつみ,タンポポ,DOUBLE,W(ダブルユー),藤美貴,美勇伝,プッチモニ,モーニング娘。,モーニング娘。おとめ組,モーニング娘。さくら組 あ行、か行、さ行、た行の削除されたものの再リンクおよび曲目追加 な行、は行、ま行、や行、わ行の削除されたものの再リンクおよび曲目追加 再度探してみても無かったものも、そのままリンクしておきました。どうしても欲しい人は“削除されたYouTube動画を落とす「YouTube list to irv」”を試してください。 スポンサードリンク

    yu_i
    yu_i 2006/05/24
  •  彼方の記憶(CLANNAD論)

    初出:Romantic Irony(2005年12月30日 コミックマーケット69にて初売り) 0.論の目的 論は、『CLANNAD』の作品論として、映画『花とアリス』や麻枝准作品『ヒビキのマホウ』を引き合いに出しつつ、『CLANNAD』の作品について検討するものである。 1.花とアリスの記憶の捏造 以前、C.F氏とともに『花とアリス』を映画館で鑑賞した際、氏から「自動的に打ち込まれたI(アイ)について」という方向性の指摘を受けた。確かに、宮雅志のことを記憶喪失だと自分に都合の良いよう決定づけ、宮との恋人の関係を、過去の感情と記憶を捏造していくハナ。ハナにつじつま合わせをお願いされたことをきっかけに、宮との過去の恋人役を務めながら二人がつきあっていた頃の思い出を捏造していくアリス。全てが嘘だと分かっても、「責任取ってもらうからね」とその嘘に乗り続けることを表明する宮

  • http://members.jcom.home.ne.jp/hotaru-net/front.htm

  • 『マリア様がみてる』シリーズにおける視点位置の考察への試み

    初出:Game Deep # Vol.8(2004年5月3日 あゆけっと3 にて初売り) 『マリア様がみてる』一連の作品群における地の文の記述においては、使用されている人称に「私」の記述が積極的に採用されず、三人称を使用しながらも、視点位置はほぼその章における主人公からの視点で描写されるという形式を取っている(注1)。 ただし、注意すべきは、例え祐巳視点の三人称的名称で書かれている章であっても、視点は首尾一貫しておらず、同一場面においても移動が行われており、地の文の記述においても、視点人物に対する距離の相違が存在する。 例えば、地の文において突然他の登場人物からの感想という形で記されたり、登場人物の誰でもないところから突然の感想の表出が入るなどがある。具体的には『マリア様がみてる』(初巻)p.129における、 あ、だめだ。言葉にしてみたら、涙も一緒にこぼれてしまった。 という文章

    yu_i
    yu_i 2006/03/17
    あのひとにおしえてあげる。
  • http://members.jcom.home.ne.jp/oriha/diary0602.htm

    yu_i
    yu_i 2006/02/16
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