最近、フィクションとはなんだろう、ということをよく考える。 きっかけのひとつは、本田透の「電波男」だった。あの本では、フィクション(2次元)を現実(3次元)の代用品と位置づけているように思えた。現実が理想通りにうまくいかないから、フィクションが必要とされる――その理屈に、なじめないものを感じた。 それをいうなら、現実が理想的でありさえすれば、フィクションは必要ないことになってしまう。それはフィクションに対する過小評価ではないだろうか。 ひとが架空の世界をもとめるのは、必ずしも実人生が満たされていないからではない。フィクションは現実の代用品にとどまるものではない。そう思った。 そもそも、ひとはなぜ虚構の物語に一喜一憂するのだろうか。フィクションのなかの人物が成功しようが失敗しようが、ぼくたちの人生にはなんのかかわりもない。さらにいえば、かれは実在するわけですらない。 それはたぶん、「寄生獣」