先に、反論を受けて自説に訂正を加えたい。 まず、何か誤解されているようで、これは一重に私が回りくどく書きすぎたせいだと思うのだが、別に私は遡及説を否定しているわけではない。「「みんな助かる」のはもちろんKanonとは別の物語ですが、「誰かが犠牲になる」のもまたKanonとは異なる別の物語です。」というのならば、それは合意できる。そもそも私は前回「2003〜05年に流行した時点でさえ「どちらとも解釈できるから後は好みの問題」という結論が出てしまっており」と冒頭の段落で書いているのだが…… 微妙にツイッターでつぶやいてしまったが、今回の私の動機は、最初に八柾さんのブログでKanon問題なるものを知ったのが発端であった。それまではさっぱり知らなかったし、興味も無かったのである。しかし、八柾さんと短い討論をしているうちに興味がわいた。折りしも世間で微妙に話題になったのは、タイミングが偶然重なっただ