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ブックマーク / garegesale.hatenablog.com (3)

  • 今日オートノミーとはなんであるか? フランコ・ベラルディ(ビフォ) 櫻田和也 訳 - Garege Sale

    主体ではなく主体形成を アウトノミア(オートノミー)*1運動の歴史的復元をしようというのではなく、その特異性を理解するために「労働の拒否」や「階級組成*2」といったコンセプトをふりかえってみたい。ジャーナリストはよく、60年代のイタリアにあらわれたこの政治的・哲学的運動を「労働者主義 operaismo 」という言葉で説明するが、わたしはこの用語がきらいだ。というのも、この言葉は社会的現実の複雑性を後期近代の社会的ダイナミクスでの産業労働者の中心性だけに還元してしまうからだ。労働者階級の中心性というのは20世紀の偉大な政治的神話だったが、わたしたちの取り組むべき問題は資主義支配からの社会的空間のオートノミーであって、社会的労働のもたらした多様な文化的・政治的・想像的な組成の方なのだから。 この哲学的・政治的運動の起源はマリオ・トロンティ、ロマノ・アルクァティ、ラニエロ・パンツィエリ、トニ

    今日オートノミーとはなんであるか? フランコ・ベラルディ(ビフォ) 櫻田和也 訳 - Garege Sale
    yuiseki
    yuiseki 2011/12/14
  • ネット文化、ニューメディアと社会的身体 フランコ・ベラルディ(ビフォ)へのインタビュー 櫻田和也 訳 - Garege Sale

    Q :ビフォ、あなたの仕事のなかで取り組んでこられた言葉のひとつに「コグニタリアート」という概念がありますよね。これは危険な、新しい形の抑圧のことなんでしょうか? そしてもしそうだとするなら、解放の可能性はどこにあるのでしょうか? また、コグニタリアートという概念はどのような社会的展望をもたらすのでしょう? A :コグニタリアート(認知労働者階級)またその一員としての「コグニタリア(認知労働者)」という概念は、この間、おそらくは過去10年くらいまでさかのぼることのできる期間、わたしたちが自分自身の身体、社会的・物理的・性的な身体への感触を失ってきたという考えと関係があります。ネット文化や新しい形のデジタルな生産、ニューメディアといったものは、わたしたちの社会的身体との関係性を消去してきました。しかし、社会的・経済的な危機の時、わたしたちは自分が身体を有しているという事実、社会的・物理的な身

    yuiseki
    yuiseki 2011/12/14
  • 秘密言語の共同体──スペクタクルの社会におけるドゥボールの闘争の戦略 木下誠 - Garege Sale

    スペクタクルはいつどこにでもある。美学の重要性はいまでも、酒の後の冗談の結構な話題になっている。われわれは映画館から外に出た。スキャンダルはあまりにも理にかなっている。わたしは決して説明することはないだろう。今、君はわれわれの秘密を前にして孤独だ。新しい美の起源にあって、そしてやがては、アレ・デ・シーニュの区切られた広い液状の荒れ地のなかで(すべての芸術は、凡庸で何一つ変化させない遊びである)、美の顔は美自らがその生と呼んでいたあの幼年期を初めて脱しつつあった。映画の特性は、空虚な沈黙に覆われた大衆によるエピソードを終わらせることを可能にしていた。アラビアのすべての香、ヴィレンヌの夜明け。新しい美の起源に。だが、もはやそんなことが問題ではなくなるだろう。これらはみな真に興味あることではなかった。重要なことは、道に迷うことだ。「フランス・シネ-クラブ連合のための略述」 ギ=エルネスト・ドゥボ

    秘密言語の共同体──スペクタクルの社会におけるドゥボールの闘争の戦略 木下誠 - Garege Sale
    yuiseki
    yuiseki 2011/05/19
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