たとえ貨幣の雨を降らすとも、 欲望の満足されることはない。 「快楽の味は短くて苦痛である」 と知るのが賢者である。 ・・・ブッダの言葉より 生きるのが、なかなかうまくいかないので、だれも苦しいのです。 もちろん楽しいこともありますが、楽しければ楽しいほど、アッという間に終ってしまいます。 終ったときに充実感もあるのですが、たちまち実感が遠のいて色あせてしまいます。 あの楽しさをまた味わいたいと思い、同じ条件を必死でそろえても、なぜか前のようにはトキメキが得られません。 なぜ満たされないのだろう…。 シェークスピアの『十二夜』という劇は次の一節で始まります。 『…あの旋律をもう一度、奏いてくれ。 あれには何か、絶え入るような響きがあった。 川岸一面に咲き誇るスミレの芳香を運んでくる南風のように、 甘く切ない調べに私には聴こえた。 …… …もうよい。奏くのは
ここでは歩行瞑想の意義について説明しています。尚文末の註もぜひお読みください。 また、具体的にすぐ実践されたい方は歩行瞑想マニュアルをご覧ください。 ヴィパッサナー瞑想は、まず体の動きに気づくことから始めます。心の現象よりも 体の動きの方が簡単に気づけるからです。 目的は、妄想を離れることです。妄想は止めようと思っても止められません。何を 見ても聞いても必ず連想や妄想が浮かんでしまうので、一瞬々々の体の動作に注意を 釘づけにしてしまうのです。 体が動く。センセーション(身体的実感)が生じる。それを感じる。気づきを入れ る。この「気づき」を修行用語として「サティ:Sati」と言います。現在の瞬間を捉 える心です。ヴィパッサナー瞑想のキーワードなので、覚えましょう。 このSati(気づき)を徹底的に連続させていくのが、妄想に巻き込まれない技術な のです。体が動いている実感
ここではどなたでも読んですぐに歩行瞑想を始められるよう、やり方のみを説明しています。歩行瞑想の意義やもっと詳しく知りたい方は歩行瞑想の意義のページをご覧ください。 ステップ1 足を軽く開いてまっすぐに立ちます。手は組んでも組まなくてもかまいません。大切なのは、足の感覚に意識を集中させることです。 ふだん歩くより少しゆっくりのスピードで歩き始めます。左右どちらの足からでもかまいません。 右足から歩き始めた場合には、まず右足が動いた実感に対して「右」とラベリング(言葉確認)します。黙って心のなかの内語でやります。 次に左足を一歩前に出します。「左」とラベリングします。足の動いた実感に対してラベリングをしないと、だんだん掛け声やマントラ感覚になってしまうので気をつけてください。 ざわついた心が落ち着くまで繰り返します。 足を軽く開いてまっすぐに立ちます。 ステップ1よりもさらにゆっく
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