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ブックマーク / touch-touch-touch.blogspot.com (5)

  • GIFとの遭遇:ザ・ブルー・マーブルとearth.gif

    昨日,やっとGIFについての論文を書き終えました.タイトルは「GIFとの遭遇:選択的認識と低解像度のデフォルメ化された世界」.「GIFとの遭遇」の部分は「未知との遭遇」から. 最初はヴァルター・ベンヤミンやロザリンド・クラウスの「視覚的無意識」やロジェ・カイヨワの「擬態」という言葉を使って,「GIFになる」ということを書こうとしていたのですが,どうもちがう感じがして,最後は「選択的認識」という言葉を作って,それについて考えました.そのときに,参考にしたのは,センボーのブログの「コンピュータ 記憶 シンクロ」とHGWのBLANKの「保存について」でした.そうしたら,パーカー・イトーのテキストも参考になって,GIFの話というよりも「ポスト・インターネット」的状況におけるヒトとコンピュータとの認識についてのテキストになっていたような感じがします.「GIFとの遭遇」が認識の変化をさぐるきっかけにな

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    yuiseki
    yuiseki 2013/03/16
  • 田中一光→セミトランスペアレント・デザイン

    先日,「インターネットヤミ市」に参加しました.そこでの戦利品の紹介などは後日書くことにして,今回は21_21 DESIGN SIGHTで開催されている「田中一光とデザインの前後左右」で展示されているセミトランスペアレント・デザイン(以下,セミトラ)の作品について考えてみたいと思います. 田中一光という日を代表するデザイナーについての展示については「すごい」というしかないという感じします.そんなグラフィックデザイナーの回顧展のなかにウェブ中心に活動しているセミトラが参加しているのが興味深いのですが,田中さんはデジタル表現についてとても興味を持っていたとセミトラの作品キャプションに書いてありました.

    田中一光→セミトランスペアレント・デザイン
    yuiseki
    yuiseki 2012/11/11
  • スライド:情報美学概論A 第12回 主観的|間主観的|客観的:人称のゆらぎ

    東京藝術大学 芸術情報センター:情報美学概論A 第12回 主観的|間主観的|客観的:人称のゆらぎ→スライド 参考資料 クラウド化する世界 アルゴリズミック・アーキテクチュア FORM+CODE -デザイン/アート/建築における、かたちとコード ダブルネガティヴスアーキテクチャー|塵の眼 塵の建築 (現代建築家コンセプト・シリーズ) 市川創太×松川昌平[メール対談] フィロソフィア・ロボティカ ~人間に近づくロボットに近づく人間~ アーキテクチャの生態系――情報環境はいかに設計されてきたか -- 主観的、間主観的、客観的 (現代哲学への招待Great Works) 合理性の諸問題 (現代哲学への招待 Great Works) デイヴィドソン ~「言語」なんて存在するのだろうか シリーズ・哲学のエッセンス -- コメントのコメント 「わからない」ことを講義すること.「わからない」ことを「わかり

  • touch-touch-touch

    三輪さんとのトークとのために自分の立ち位置を確認する必要があるのではないかと思いつつ,なかなかできないでいるのでとりあえずのメモを書く. インターフェイス研究で知ったエンゲルバートのヒトとコンピュータとの「共進化」というのが,僕の基的的スタンスを決定している.コンピュータという「種」が出てきたことによって,人間が「ヒト」という生物種として進化する可能性がでてきた.もちろんコンピュータがなくても進化するものだけれど,「知的」というか「論理」を扱うもうひとつの種が出てきたことで,それまで唯一の種であったヒトにこれまでとは異なる進化の可能性がでてきたということ. ヒトがコンピュータをつくったと考えるのが普通だが,コンピュータがヒトに自らをつくり出させたと考えても面白いのではないかと思う.現時点ではヒトがコンピュータをつくったということになっているけれども,1000年後には立場が逆になっているの

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  • メディアアートはさらに夢を見るのか?

    1945年のヴァネバー・ブッシュの「As We May Think」から始まる,膨大な情報量を処理していくためのヒトとコンピュータとのあいだのコミュニケーション/インタラクションをよりよくしていく壮大な夢.それが,ひとまず,1984年のアップルのマッキントッシュで終わると考える. 1989年のジェフリー・ショーの《レジブルシティ》からはじまる.コンピュータを使ってより自由なインタラクションを創造していくというきらびやかな夢.このラインとは別のところで,コンピュータ科学者がいろいろなインターフェイスを創造していたのだろうけれど,1989年から1998年は,アートにおけるインタラクションの追求の方が,やはりきらびやか.もしくは,新しく開発されたインターフェイスが魅力を放つところとして,アートが機能していたのかもしれない.ここにメディアへの批判的まなざしがあったのかは考えないといけないところだが

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    yuiseki 2011/05/28
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