『さよなら絶望先生』は、絶望先生こと主人公の糸色望が、「絶望した!」という台詞を吐くのが物語の定型になっている。しかし、メインヒロインの風浦可符香のようにポジティブな考え方をする「希望先生」ではいけなかったのか。いや、そもそも可符香が、実は主人公である可能性はないか。可符香視点の話とは読めないのか。しかし結論から言うと、「絶望先生」の主人公は絶望先生*1だと言える。ではなぜそう言えるのだろうか。 ここでは、『ドラえもん』を考えてみて欲しい。読者は、出来杉が主人公だとは思わないだろうし、彼を主人公にしても面白くならないと思うだろう。「ドラえもん」でのび太が主人公*2なのは、彼が常にダメでプアな状況にあるため、ドラえもんの道具への欲望が成立するからだ。ジャイアンにいじめられたくないとか、スネ夫が持っているプラモが欲しい、といった欲望は居候のドラえもんではなく、のび太のものなのである。 だから、