[本稿執筆後、ベーシックインカム懐疑論者に転向した。詳しくは末尾へ] 自由人にとって政府とは一つの道具や手段にほかならず、何か施しをしてくれるやさしい庇護者でもなければ、敬い仕えねばならない主人 でもない。また国家の目標も、一人ひとりの目標の集合体としてしか認めない。 — ミルトン・フリードマン(『資本主義と自由』) 私の政治思想では「セイフティネットや機会の平等を重視するリベラル的な側面」と「市場原理を重視しつつ結果としての経済格差も許容するリバタリアン的な側面」が併存しています。 これは奇妙に見えるかもしれません。というのも、一般的には、リベラリズムとリバタリアニズムは矛盾すると思われているからです。 しかし、リベラリズムとリバタリアニズムそれぞれの弱点を補う形で、「新しい政治思想」に昇華させることができるのだ、というのが私の主張です。それを可能にするカギは、ベーシック・インカム制度で
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