〈聴竹居〉という住宅 桑名 麻理 京都の大山崎といえば、羽柴秀吉と明智光秀が戦った山崎の合戦の地であり、千利休の待庵を有する地でもある。京都-大阪間の交通の要所であるこの大山崎の天王山の麓に、1927(昭和2)年に建てられ、当時の姿をとどめながら現存する一軒の住宅がある。〈聴竹居〉と呼ばれている。またの名を第五回実験住宅という。実験住宅とは奇妙な名だが、この住宅は、建築家であり京都帝国大学建築学科の教授でもあった藤井厚二の自邸である。また、実験という文字通り、藤井は自らにモニターとしての役割を課し、自邸を住宅建築研究の対象としていた。そして、この実験は合計五回にもわたって繰り返されたのである。 1920(大正9)年、藤井は天王山の麓に約1万坪の土地を購入し、そこに第二回実験住宅(第一回は神戸の石屋川に建てられた)を建てた。それからほぼ二年ごとに1927(昭和2)年の第五回まで自邸