2017年5月10日のブックマーク (2件)

  • 子規の俳句③落したか落ち足るか路の椿かな

    落したか落ちたか路の椿かな自選句集「寒山落木」巻一に収録。明治23(1890)年です。前回に続いてこれまた初期作品です。 椿が見ごろを迎えた春の道。歩いているとふと落花の気配が。あれ?俺が落としちゃったの?いや落ちたんだよね?もしかして美しい椿を落としてしまったんだろうかと申し訳なさを感じているような。そういう読みでいいのかな。 漱石の落椿椿は「散る」より「落ちる」がしっくりきますね。夏目漱石にもこんな句があります。 落椿重ね合ひたる涅槃かな 大正3(1914)年ごろ使っていた手帳に記されていた句だそうです。さすがに晩年の漱石の句の方が格調高い感じがします。落ちる椿と言えば「草枕」にもこういう一節があります。 「見てゐると、ぽたり赤い奴が水の上に落ちた。静かな春に動いたものは只此一輪である。しばらくすると又ぽたりと落ちた。あの花は決して散らない。崩れるよりも、かたまつたまま枝を離れる。枝を

    子規の俳句③落したか落ち足るか路の椿かな
  • 子規の生涯①生誕150年!

    はじめましてみなさんは正岡子規をご存じですよね?明治時代を代表する文学者の一人。坊主頭の横顔写真のあの人です。「病床六尺、それが我が世界である」。子規は結核と脊椎カリエスを患い、晩年は寝たきり生活を送ることになりました。布団1枚の広さで最後まで書き続け、35歳の若さで亡くなりました。その短い人生の中で俳句や短歌の革新など、後世に残る仕事をたくさんやった人です。 私は子規が大好きなのですが、ご存じのとおり、彼は今年の10月で生誕150年を迎えます。親友だった夏目漱石ともども150年です。節目の年にちなんで子規のあれこれを書いてみたいと思います。どうかよろしくお願いします。 子規は慶応3(1867)年9月17日(新暦10月14日)、松山市に生まれました。父親は松山藩の下級藩士。名は常規。幼名は升(のぼる)。近しい人からは「のぼさん」と呼ばれていました。亡くなったのは明治35(1902)年9月

    子規の生涯①生誕150年!