2017年5月12日のブックマーク (1件)

  • 子規と漱石②七草集と木屑録

    寄席通の二人ともに慶応3(1867)年生まれの子規と漱石。明治41年、「ホトトギス」の子規七回忌号に寄せた漱石の談話によると、二人が親しくなったのは寄席好き同士だったからでした。 「わすれてゐたが彼と僕と交際し始めたも一つの原因は二人で寄せの話をした時先生(子規)も大に寄席通を以て任じて居る。ところが僕も寄席の事を知つてゐたので、話すに足るとでも思つたのであらう。それから大に近寄て来た」(「子規全集別巻二」より) 当時は第一高等中学科(文科)一部の1年生。おそらく予備門時代から面識はあったでしょうが、交際が始まったのは明治22(1889)年の1月ごろ、とされています。はて?出典がなんだったかが思い出せず、なかなか分かりませんでした。いろいろ見返してようやく発見。 「木屑録(ぼくせつろく)」の評でした。漱石はこの年の夏休みに房総を旅行。その紀行文を漢文で書き、子規に評を求めました。子規も漢

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