2017年5月15日のブックマーク (1件)

  • 柳原極堂の句碑

    子規の俳句革新支える松山市の井手神社というところに柳原極堂の句碑ができました。極堂は子規と同年生まれの友人。子規存命中は「ほとゝぎす」を創刊するなど、その活動を支え、子規没後は顕彰活動に尽力した人です。「友人子規」を書いたことでも知られていますね。 中学時代からの「文友」極堂と子規は中学時代からの友人で、子規は極堂を「文友」と称しました。子規と同時期に上京しますが、学業半ばで帰郷。松山の「海南新聞」の記者になり、明治28年、子規が病気療養のため帰省し、夏目漱石の下宿愚陀仏庵で過ごした時には日参組の一人となり俳句指導を受けました。海南新聞に子規選の俳句欄を設けて子規の俳句革新に協力。明治30年に創刊した「ほとゝぎす」は新聞社で印刷していたそうです。のちに新聞社を経営したり、政治家になったりもしました。今も活動中の松山子規会の発足にも貢献したそうです。 吾生はへちまのつるの行き処句碑は生誕15

    柳原極堂の句碑