つい先日,どんな人間でありたいか,という質問を投げかけられた. そのとき,「怒らない」ようにありたい,しばらくはそれだけでいい,と答えた. これまで私を動かしてきたのは,怒りの感情だった.自身の理想を自信でかためて,そのとおりでない環境や自分に怒り,それをエネルギーにして自分自身を動かしてきた. 怒りの感情を,自分の内側に留めきれれば良いのだけれど,どうしても漏れだしてくる.ほかの人に近づけば近づくほど,漏れでた怒りは強くあたってしまうことになる. 怒りはたしかに力を与えてくれる.でも,つまらない. 近くに寄ることができた人に対して,その距離が近いほど,つまらない思いをさせてしまう.自分も,大切な人につまらない思いをさせて,つまらない. 近くにいる人ほど,強く怒りをあてて遠ざけてしまうので,怒る人は孤独である. そして,孤独ということは,自分自身に対する甘美な言い訳である. 2年前,降り積
進化生態学の研究者であるJohn N. Thompsonさんの書かれている ”ON BEING A SUCCESSFUL GRADUATE STUDENT IN THE SCIENCES (Version 8.1)" という文章*1 *2 を読んで,なかなか有益な部分もあるなと思ったので,自分のために和訳してみました. あくまで自分のためなので,逐語訳ではなくほとんどが意訳ですし,省略した部分もかなり多くあります. この訳文からの引用などはあまりおすすめしません.必ず原文をご覧ください. ---------- Thompsonさん本人の許可を取っていませんでしたので,該当部分は削除いたしました.ですが,すばらしい文章ですので,興味のある方はぜひ原文をご覧ください. (2015年2月2日) ---------- *1 もともとは @thinkeroid さんのtweetにあったリンクを拝見し
15ヶ月間の仕事を通してはっきりと感じたことを2つあげてみます.(学んだ というと何か違うような気がしてます.) 1. 物事を決めるのは意志である 2. 魅力的な人は,学び続け,本質を外さない ほかにもいくつかあるのですが,とりあえずこれらが大きいのかなと思います. 1. 物事を決めるのは意志である データを集めて,人が顔をつきあわせて話をしても,物事が「決まる」わけではない.そうではなくて,意志をもった個人が,物事を「決める」必要がある.世の中の問題にはたいてい確実な解が存在しないか,または確実な解に到達するためのコストが非常に高いから,ある程度から先は,意志でもって,決め打ちで解を出してしまわなければならない. ある程度確実な「事実」の上に新たな「事実」を積み重ねていく自然科学の考え方では,確実な(と考えられる)解に到達するために許容できるコストが比較的大きい. その一方,スピードや新
2010年度に新卒で入社して1年と数ヶ月勤めた会社を,このたび,退職することにいたしました.今後,私は大学院に戻り,修士課程の頃から引き続いて,自然人類学(生物としてのヒトを,進化や文化などの観点から解釈し理解しようとする分野)の研究をする予定です. お世話になったみなさま,本当にありがとうございました.この1年あまりの期間で,視野が広がり,自身の軸が明確になりました.たくさんの魅力的な方に出会い,大いに刺激を受けました.そして,これからもどうぞよろしくお願いいたします.(といっても,退職日はまだ少し先ですが) …さて,このエントリの本題に移ります.ここでは,なぜ私がそのような決断をするに至ったか書いてみたいと思います. 今回の選択をするにあたって,考えたことが3つありました. 1.自分のしたいことは何か? 2.自分は何において価値を創り出せるのか? 3.これからの社会では何が必要とされる
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