三連休の初日に、京都大原へ行ってきた。 夏に訪れるのは初めてだ。 快晴ではなく曇り空。 湿気をたっぷり含んだ空気、その中に感じる苔むした匂い。 虫も結構いたけれど、私は夏の山奥らしい、このしっとりした曇天の大原が気に入った。 うっすら霧がかった青い山並みがとても美しさったのだが、残念ながら私の携帯では上手く色が表現できず…^^; なので山の写真以外で、お披露目できそうなものを並べてみた。 この苔の美しさをどう表現すればいいのか! 肉眼ではもっと素敵だったのですョ。 山も苔も素敵。 これは勝林寺。お堂の中に金ピカの如来様が鎮座されている。 宝泉院の門。 ここの額縁庭園はこじんまりしているけれど、いつ眺めても飽きない。 朝早く着いたので、30分ほどお部屋を独り占めできた。 置かれているのは私が頂いたお抹茶茶碗。 エアコンなしでも十分快適な空間だった。 手前は水琴窟。 竹筒に耳を当てるとコロンコ
激動の50年 永禄11(1568)年に織田信長が入京してから、元和元(1615)年の豊臣家滅亡までの僅か50年に満たない日月。 この短いながらも激動の時代は、近世封建制度の成立と、京都の新たな都市計画の始まりでした。 中世の終わりから仏教は貴族から庶民のものへと脱皮していき、旧仏教系の寺院も新仏教系の寺も、新しい時代への対応を模索しながら堂宇の復興に努めることになります。 京都の仏教界は豊臣政権の成立とともに、信長時代から一転した親和的な復興援助を与えられていました。 ただ、それには寺領検地という代償も伴なっていたのです。 寺領検地は、信長の時代から洛中の寺院に対して出されていた令でしたが、秀吉政権によって本格化されました。 洛中のすべての土地の所有権は、原則的にはもともと皇室・公卿などにあります。 これが、何世紀にもわたる長い歳月のなか、この所有主から直接または間接的に、寄進・買い入れ・
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