それが絵であれ、音楽でも 小説だとしても、 ある作品に向き合って何かを感じる ということは 自分を「楽器」として鳴らす ことだと思う。 うまく鳴らしたり、大きな音を立てたり、 妙なるメロディーが流れるためには、 それなりの習練がいるし、 経験もいるし、才能も必要と される。 小林秀雄は大変すぐれた楽器だったのだと 思う。 他の人が鳴らない形で鳴らすことが できた。 小林秀雄を目の敵にしたり、 「美」という概念を嫌悪する人たちは 自分がどのような楽器だと思っているの だろう。 そもそも、美を目の敵にする のならば芸術などやらなきゃよいし、 そもそも目の敵にするところが あやしい。 何かやましいことがあるから、 感情的な反応を示しているのではないか、 そのようにさえ勘ぐる。 方法を追求する一方で、 モーツァルトは「ああ、いいですね」 と放っておけばよかろう。 何よりも問題なのは、 方法が全面に