前回の続き。 群雄割拠の状況においては、時代の流れは確実に、実学が必要とされていくだろうと予測し、実際にそれを学んでいた諸葛孔明であったが、 「泣いて馬謖を切る」、「法正とのやり取り」 これらのシーンを見るだけでも、 孔明の政治は、賞と罰の基準を明確にしたルールを作り、そこに一切の私情を挟まず、厳格にそのルールを実行するという、 「信賞必罰」を重きにしていた。 つまり孔明は、法家思想を持った、法治主義者だったと分かる。 人民への信賞を、支配者の恣意的な判断に任せるのではなく、客観的なルールを作り、それに基づいた上で、合理的に国家を運営していくという点が、奇しくも、敵対していたあの曹操と同じだった。 また、孔明は、単に法治主義者というだけでなく、そこには、多面的な人物像を見てとれる。 (風水に詳しいという道家の思想が見られたり、墨家十論の影響を受けているのではないだろうかと思われるような場面