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ブックマーク / kasasora.hatenablog.com (74)

  • 教養がないとはどのようなことか - 傘をひらいて、空を

    私の勤務先では人事部だけが採用活動をするのではなくて、現場の人間が面接を担当する。面接官は通常二人組で、このたび私を指名したのが篠塚さんである。篠塚さんは言う。僕、教養がないんで、面接でその手の話になったときにはよろしくです。 篠塚さんは私よりいくらか年長の男性で、職務上の能力がとても高い。専門知識を常時アップデートしている。ものの言い方が率直すぎて誤解を招くことがあるが、内容はおおむね正論である。基的に誰にでも親切で骨惜しみをしない。イギリスで修士号を取ってから就職したと聞いている。 教養とはこの場合、何のことでしょうか。私が訊くと、篠塚さんは明快に(だいたい明快な人物である)答えた。文学とか芸術とかです。マキノさんそういうの好きでしょ。 私はたしかに小説を読み美術館に行くが、それを教養と呼ぶのか。好きなものを好きなように摂取しているだけではないのか。篠塚さんは言う。僕、仕事関係以外の

    教養がないとはどのようなことか - 傘をひらいて、空を
    yz_s
    yz_s 2019/01/30
    最近、他人と比べて「幸福かそうでないか」を騒ぐ人も多いからねえ。
  • 向こう側からの会釈 - 傘をひらいて、空を

    死者が私に向かってほほえむ。私は、それに慣れている。ときどきほほえみをかえす。彼らはとても遠いところにいるから、とても小さく見える。消そうと思えば私はそれを簡単に消すことができる。けれども、そうしない。 なんの不思議もない。ネットワーク上に世を去った人のアカウントが残っているだけだ。多くの人が自分の姿をアイコンにする。ウェブ上のさまざまなサービスの上にみんなの姿が並んでいる。今の姿と大きくちがう人、ずっと同じアイコンの人、誰だか覚えていないような人。ずっと連絡していない人は、生きているか死んでいるかもほんとうはわからない。 私のアカウントが接続している相手のなかで、はっきりと死んでいるのはふたりだーー今のところ。くっきりした笑顔がひとつ、ほとんど人物が特定できないぼやけた全身像がひとつ。知った人をなくしてはじめてそれを見たとき、首の下のほうに氷を当てられたような感触がした。不意打ちだからか

    向こう側からの会釈 - 傘をひらいて、空を
    yz_s
    yz_s 2016/03/30
  • 正しさより必要なもの - 傘をひらいて、空を

    ぜったいに病院になんか行きたくないと彼女は言う。ため息をつく。どうして自分の意思に基づいた行動を邪魔するのかと尋ねる。死ぬからだ、と私は思う。このままではあなたが、あなたを必要とする小学生の子どもと夫と老いた両親を残して、死んでしまうからだ。そして病院で治療を受ければそこそこ健康なからだを維持できる見通しが高いからだ。 そう思う。でも言わない。彼女にとってそれは真実ではない。まったくの嘘っぱちだ。彼女は真実を知り、それについてよく学び、正しい生活をおくり、その結果、多くの人に賞賛され、教えを乞われている。そうして私はいろいろなものに騙され、また怠惰であるために、ろくな人生を送っていない。でも私が特別に罪深いわけではない。多くの人はそうなのだから。ただすこし愚かなだけの、気の毒な人なのだから。 彼女にとって私はそのような人物だ。だから私が何を言っても耳をかたむけてはもらえない。そんなことは十

    正しさより必要なもの - 傘をひらいて、空を
    yz_s
    yz_s 2016/03/02
    周囲にこういう人はいないけど、いたらどうすればいいのかはやっぱりわからない。
  • あなたはこれを好きだった - 傘をひらいて、空を

    はい、これ、いっぱいもらったから、お裾分け。私がそう言うと彼女は小首をかしげ、それから、笑った。声を出して笑う彼女を久しぶりに見て私はうれしかったけれども、その笑いにはもちろん屈折が感じられた。 ハンドクリームは二目、と彼女は言う。ボディクリーム、フェイスソープ、リップバーム、バスオイル。たったの二ヶ月かそこらのあいだに、会社の人も親戚も友だちも、やたらとスキンケア用品をくれる。忘年会のゲームの景品であたったとか、夫の仕事の関係で、とか、年末年始にパリに行ったから、とか。ここのは肌に合うって言ってたからっていう人までいた。他人によくそこまで関心持てるなあって思う。私の肌ってそんなに荒れちゃってるのかしら。 彼女はそう言って両のてのひらを頬のやや下でひらひらと振る。結婚指輪はもともとつけないタイプだ。そのことにすこしほっとして、それから、荒れてはいない、と私はこたえる。お肌に問題はないよ。

    あなたはこれを好きだった - 傘をひらいて、空を
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    yz_s 2016/01/06
  • 死にまでいたる恋の完成 - 傘をひらいて、空を

    結婚は死にまでいたる恋の完成である、などというせりふがありますが、あんなのは嘘です。なぜ嘘かといいますと、多くの家庭では、恋をしたといって結婚して、そのあとはすっかり、稼ぐなり世話をするなり、家庭での役割になじんで、恋もへったくれもなくなるからです。ええ、それでよろしいのです。なぜって、恋というのはほんとうはおそろしいものだからです。出会った当初のときめきから少々のあいだに恋を手仕舞いにして、あとはそれなりの情愛と役割におさまるのがよろしいのです。 しかし、なかには家庭におさまっても不満な者があって、たとえばここに、小さいながらその業界では名の知れた新興企業の責任者がおります。この男は三十代半ば、も同世代、同じ会社の取締役です。 結婚して数年たつと、男はどうにも気が晴れなくなりました。男とそのは社内で同じ程度の責務を負い業績を上げています。は家事もします。しかし半分しかしません。残り

    死にまでいたる恋の完成 - 傘をひらいて、空を
    yz_s
    yz_s 2015/11/04
    こういうの好き
  • ストレスなんかありません - 傘をひらいて、空を

    マキノさんはのんきでいいねえ。ストレスなんか、ないんでしょ。 ありませんねえ、と私はこたえる。表情のバリエーションというのはこまやかな感情や感覚のやりとりに用いるためにあるので、この手の相手には三種類しか要らない。笑顔のようななにか、無表情に近いなにか、あからさまな不愉快面。最初のひとつで九割を済ませ、警告として稀に二番目を用い、それでも理解しない場合はからだごと引きながら三番目を用いる。 ストレスという語はよくも悪しくも心的な刺激を指すのであって、はたから見ても喜ばしいこと、人も喜んでいることだって、ストレスにはなる。「ストレスがない」人間なんか、いない。いたら死んでいる。好ましくない負荷という意味にとったとしても、ない者はいない。生きているだけでけっこうたいへんなのだし、そのうえ職場で「ストレスないでしょ」などと訊く愚か者もいるのだ。それだけで反証は終了する。 ナイデスネーとこたえて

    ストレスなんかありません - 傘をひらいて、空を
    yz_s
    yz_s 2015/09/29
  • 編み込まれたパズル - 傘をひらいて、空を

    やたらと交友関係の豊かな友だちが年に一度、山と海があるところに大勢の人を呼ぶので、都合がつけば私も行く。何度か見た人と初対面の人と、この場の外でもつきあいのある人がいる。みんなで炭に火をつけていろんなものをてきとうに焼いてべ、小さなグループが散発的にでき、それが変化する。みんなが楽しそうに動き、年齢や性別に偏らず作業が進んでいくところを私は気に入っていた。 何度か見たことのある、たしか佐藤だとか、そういった匿名的な名前の男が口をひらく。好きな仕事をして評価されて恋人や親しい人たちがいて経済的にも安定してたら幸せだよねえ。一般的には、と誰かが相づちを打つ。他人にはわからないことがあるし病気とかの可能性もありますけどねと別の誰かが言う。佐藤はうなずく。そして但し書きめいたせりふを口にする。これから僕はあまり愉快でない話をする。そこにはこの場の主催者と私とほかに三人ばかりの人間がいた。誰も席を

    編み込まれたパズル - 傘をひらいて、空を
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    yz_s 2015/09/23
  • 精神的おむつ替えサービスに対する誇り - 傘をひらいて、空を

    ねえサヤカ、昨日彼のBMでデートしてたんだけど、お店がちょっと複雑な場所にあったから、彼、ちょっと迷っちゃったみたいで、だから私、コンビニ寄りたいなあって言って、店員さんにお店の場所きいたの。そしたらすぐ見つかったんだけど、そのあと彼すごく機嫌悪くって、お事中もお話してくれなくなっちゃって、帰りはね、私じぶんで帰ってきたの、うん電車で行けるとこだし、それでね私、コンビニに行きたいって言ったタイミングとかまずかったかなあって思って、ごめんねってメール送ったんだけど、まだ返事がないの、どうしたらいいかな。 学生時代にかかってくる彼女の電話の「相談」は、たとえばそのような内容だった。要するに彼氏が不機嫌になる原因を知るために私に想像をさせるわけだ。そして私はきまってため息をついて、たとえばこう答えるのだった。タイミングの問題じゃないよ、あなたの彼氏みたいな人ってたいてい、人に道を訊くのが極端に

    精神的おむつ替えサービスに対する誇り - 傘をひらいて、空を
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    yz_s 2015/05/20
    女にも何種類もいるからな。
  • 「優雅な生活が最高の復讐である」 - 傘をひらいて、空を

    久しぶりにおばさんの家に行くことになった。おばさんというのは叔母さんではなくて、伯母さんでもなくて、赤の他人だ。十代の終わり、ファミリーレストランでアルバイトをしていて、それで知りあった。私は皿を運び、彼女は皿を洗っていた。おばさんの家はほとんどお屋敷といっていいような構えで、私は一年のあいだ、週に一度そこでおばさんの子に勉強を教え、おばさんのごはんをべた。おばさん親子の部屋は離れで、女中部屋、とおばさんは呼んでいた。息子は小柄で無口で坊主頭の中学生だった。 おばさんがごちそうをつくってくれたのは私のためで、勤め先のある大阪から来た息子は近くで私と少し話して今日はホテルに泊まるのだという。あの人にはあした寿司わせるんで、と息子は言った。もう小さくはない。全長や体積は男性の平均を下回るのだろうけれども、骨のかたちも顔つきも物言いもすっかり大人だった。話の流れで、おばさん、なんか可愛いから

    「優雅な生活が最高の復讐である」 - 傘をひらいて、空を
  • 小さな毒と小さな解毒剤 - 傘をひらいて、空を

    職種がちがうからよくわかんないけど、行きたいとこに行けたんだから、よかったんだよね、おめでとう。友だちの転職祝いの席でみんなが順繰りにお祝いを口にするなかで何気なくそう言うと、彼はやおら椅子から立ち上がり、それだー!と大げさに私を指さして早口で続けた。それだよ、それが正しいせりふってもんだ、あ、みんなはいいんだよ、おめでとう、ありがとう、だもんな、そういうのは言われてうれしい、みんなはいい。 じゃあ誰がだめだったわけ。誰かがのんきにメニューに目を落としながら訊くと彼はようやく着座し、みんなの知らないやつ、とつぶやいた。みんなが知らなくて、なんか、えらい人。俺、けっこう律儀だからさ、業界の人にはちゃんと、こう、ひとりひとりとは言わないけど、グループ分けして文面考えて辞令もらった日に転職のご報告ってやつをしたわけ。業界関係ない友だちには、わりとてきとうに何日も遅れてLINEで流しただけだけど、

    小さな毒と小さな解毒剤 - 傘をひらいて、空を
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    yz_s 2015/05/06
  • 愛に関する事後的な学習 - 傘をひらいて、空を

    人を上手にだいじにできる人ってやっぱり生育歴上で親とかに上手にだいじにされてきたことが多いよ、つまり、愛情に関して育ちが良い。そりゃそうだ、愛情に関する学習は親とか養育者の影響が初期値だもの、だけどさ、私は初期値が不利だからって人を上手にだいじにすることができないとは思わない、人を適切なかたちで愛することは、訓練は必要だけど、誰にだって可能なことだと思う。 断定するなあ、どうして。どうしてって、そりゃあ、私自身が、愛情に関して育ちが良くないからですよ、あとから学習すればOKだと仮定して努力してきたんだよ、親が悪かったらもうアウトだなんて、私はぜったい認めない、「養育者から抱きしめられず、褒められもせず、精神的サンドバックとして一定年齢まで使用されると、その後のリカバリは不可能です」みたいな話って、ときどきそこいらに落ちてるけど、そんなもの私は信じないね、燃えるゴミとして扱う。 リカバリは可

    愛に関する事後的な学習 - 傘をひらいて、空を
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    yz_s 2015/03/03
    自己満足は美味しいよなぁ。
  • 働いているだけで背後から石を投げられる話 - 傘をひらいて、空を

    だからさあ槙野さんみたいな人は俺の嫁さんみたいな人に感謝してほしいわけよ。突然の大声に視線を向けるとすこし離れた席に私の嫌いな同僚がいて私の嫌いな笑いを笑っていた。この人と話をすると不愉快になると入社当初から思っていた。幸いなことにふだんの仕事で直接やりとりすることはごく少なく、あっても事務的なやりとりだけですむ。 私は情熱的に人を憎むことがあるが、それは戦うべき何らかの理由があるとき、あるいは嫉妬などがあるときだ。彼はその対象ではなく、ただいると不愉快なのでいないほうがいいと、そう感じている相手だった。そういう相手とは同じフロアに勤めていてもなぜだかあんまりすれ違わない気がする。そう言ったら昔、そりゃあ脳みそがよぶんなものを認識しなくていいようになにか処理しているんだ、と言われたことがある。私の脳にはそんなに便利な機能がついているのかなあと思った覚えがある。そんなだから今日も、その人がそ

    働いているだけで背後から石を投げられる話 - 傘をひらいて、空を
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    yz_s 2015/02/17
  • あなたはもうそれを求めなくていい - 傘をひらいて、空を

    この一年はねえずっとこうなのよお、なんかねえ、ラク、その前はちょっとした浮き沈みがあったんだけど、まああんまり気にしなかった。私の正面に座って彼女は言う。私はひどく驚いて彼女をじろじろ見てしまう。すんなりと長いきれいな手足をして腫れたように膨れても枯れたように縮んでもいない。彼女は苦笑して言う。不躾ねえ、みっともない。私はもぐもぐといいわけを噛んで目をそらし、目の前にいる人を見ないのもおかしいのでもう一度見た。彼女は愉快そうにけらけら笑った。 知りあって十数年になるけれども、会うたびに膨らんだり縮んだりする人だった。そしてしばしば長期間会うことがないのだった。縮むときのようすがほんとうに切実だったから、そのあいだ無事でいるか気を揉んだ。縮んだときの彼女は不吉な記号みたいな骨の浮いた手足をぎこちなく動かし、こぼれそうな目の幼子みたいな老婆みたいな顔をして、ひどく陽気だった。 彼女はいい人だっ

    あなたはもうそれを求めなくていい - 傘をひらいて、空を
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    yz_s 2015/01/27
  • 黒い犬の会 - 傘をひらいて、空を

    ごちそうさま、うん、人の手料理はいいわあ。旦那に作ってもらえばいいじゃん。旦那の手料理はあれよ、人の手料理というより分担してる家事の一部だからさ、いやあ、別世帯の手料理はいいわあ。なるほど。ねえここ、何畳。その仕切りの向こうもあわせて十二畳。向こうはベッドか、よかったねえ、学生時代あんた納屋みたいな部屋に住んでたじゃん、廊下に共用キッチンがついててどんだけ掃除してもねずみが出てせっけん囓っていくとこにさあ。ね、あの家はすごかったねえ。やだなあ学生時代だけじゃないよ社会人三年目までいたよ。 いまとは雲泥の差だね。ほんとほんと、よかったねえ。そうなのかな、えっと、お子さんは元気。元気元気、また来て遊んでやって。なに。なにって、そうだなあ、あんまりうれしくなさそうだから。なにが。引っ越しが。引っ越し祝いの場のわりに。そうかな、うれしいよ、うーん、でも、たしかに、べつにうれしくないといえば、そうか

    黒い犬の会 - 傘をひらいて、空を
    yz_s
    yz_s 2015/01/13
    「なまえをつける」のはきっといい手段なのだろうと思ってたんだけどネーミングセンスがなくて。そうか、黒い犬か。
  • 自意識補填ビジネスと私 - 傘をひらいて、空を

    延々とブログなんか書いていると、年に一回くらいの頻度で「この媒体に載せてやるから金を出せ」という趣旨のアプローチがある。投稿者の原稿を掲載する雑誌だとか、そういうのだ。そのたびに私はなんだか、うっすらと、しかし特有の、不快感を覚える。私はお金を払って原稿を掲載されたいと思わないから、それは不要な勧誘だ。ただそれだけのものだから、メールにスパムの印をつけてそのまま忘れてしまえばいいのに、都度、少しだけ、そのメールを覚えていて、うっすらと不快な感覚を維持してしまう。 そういった宣伝のメールの第一声はたいてい、「ブログ読みました!ステキですね」というようなものだ。感想めいたお世辞を連ねるものさえある。もちろん多くはテンプレートだけれども、それにしても、なんだかすごいな、と思う。商売目的で素人の文章を読んでお世辞を書くってどんな気分だろうと思う。その種の宣伝を受け取った経験は一度や二度ではないので

    自意識補填ビジネスと私 - 傘をひらいて、空を
    yz_s
    yz_s 2014/12/02
    はてブとかTwitterとかって自意識補填サービスよね。
  • 烙印の取り扱い - 傘をひらいて、空を

    出産した友だちと半年ぶりに会うことが決まる。難産だったと聞いていて、けれどももうすっかり元気だと人からのメッセージのには書かれている。だいじょうぶかなと私は思い、それから、人に任せようと思う。彼女に家にいてもらって私がそこを訪れてお粥をべさせていたら私は安心だろうけれども、そんなの私の安心のためだけのことだ。何たべたいと尋ねると驚くべき早さでパンケーキと返ってきた。打つのが早い、と私は思う。スマートフォンのメッセージがリズミカルに増えていき、あっというまに店と待ち合わせの時刻が提案される。いいのかなと私は思う。人がそうしようというのだからいいのだろうと思う。 当日そう言うと彼女は空っぽになった皿を満足げに眺めてから、それでよろしい、と言った。出産した女は甘いものをべてはいけないというのは都市伝説。すべての産婦に押しつけるような科学的根拠があるものではない。私は犬みたいな顔してほう

    烙印の取り扱い - 傘をひらいて、空を
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    yz_s 2014/11/04
    「嫁」にも烙印あるな、と思った。
  • いくつかの種類の下劣な要求 - 傘をひらいて、空を

    同業の会社がいくつか参加しているパーティに出る。酔っぱらいに絡まれたので適当に笑顔で交わしてその場を去る。彼女はそういう人間に慣れているけれど、愉快ではない。しばらく社交を遂行していると、また同じ人物につかまる。少し離れたところにいる仲の良い先輩が気を利かせて彼女の名を呼ぶ。彼女ははーいと返答しすみませんねとにっこり笑って背をむけかけた。上腕をつかまれた。 無表情で振り返るとその男はわあ怖いといかにも冗談らしい声を出して彼女の腕を離さない。離してくださいと彼女は言う。男はへらへら笑って怖あい怖あいと甘えた声を出す。あのさあ、さっき、そこの若い人頼むわって言われて嬉しそうにいそいそ手伝いに行ってたじゃなぁい、そういうの痛々しいからやめたほうがいいって、これ僕からの忠告ね、若い若いって言われてそんなね、真に受けちゃって、見てらんないよお、あんた若くないでしょお、若くないでしょうよ。 先輩が駆け

    いくつかの種類の下劣な要求 - 傘をひらいて、空を
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    yz_s 2014/10/29
  • 他人の偽善の遇しかた - 傘をひらいて、空を

    私はちいさく手を振る。彼女はタブレットに目を落としてほほえんでいる。私に気づかない。私はそっと彼女の横にまわる。突然目の前に顔を出して驚かせようとすると彼女は片眉を上げて私を見、子どもか、と冷たく言う。それからにっこりと笑う。くっきりと刻まれるきれいな笑い皺、骨のかたちの透けて見える長い指、そこにつけられたいくつもの派手な色の石、よくデザインされたいかにも高価な衣類。私も笑う。そうして尋ねる。なに見てたの、うれしそうだった。講演の感想だよと彼女はこたえる。 彼女はいわゆる社会起業家だ。この数年で少し有名になったようで、そうしたことに関心のある企業や学校で講演などもしているということだった。感想は良い、と彼女は言う。学校行事を切り抜けたい子どもが通り一遍のせりふで講演者を褒めそやしている文章。講演から連想された自分の体験を綴り、もはや感想ではない文章。ときに激烈な批判。そういうものをひっくる

    他人の偽善の遇しかた - 傘をひらいて、空を
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    yz_s 2014/08/26
    ああ。排除しないできちんと受け取る人というのは、こういう風に考えているのか。
  • 友だちの焼豚の話 - 傘をひらいて、空を

    私たちは焼豚の披露宴のはじまりを待っていた。焼豚はやきぶたともチャーシューとも読む。中学校時代の友人のあだ名で、小学生の時分からついていたという。色彩と形状で呼び名が決まるのがいかにも子どもらしく、けれども大人になっても彼は豚と呼ばれていることを、何年かに一度会う私たちは知っていた。特定の相手にそのように呼ばれるのが好きなのだそうだ。私たちはなんだか納得した。 披露宴のテーブルには当時の賭けごとの仲間が集められていた。中学生の賭けだから行き交う物品はたいしたものではなかったけれども、今にして思えば期末試験の点数を返却順に足し、一定のラインを超えた者を「ゴール」とする賭けはそれなりに気が利いていた。私たちはそれをダービーと呼んでいた。焼豚は動作と口調が軽快な肥満児で、英語の答案が先に返ってくるとまずまちがいなく負け馬と決まっていて、そうでなければ上位三位には必ず入る手堅い「馬」だった。 「馬

    友だちの焼豚の話 - 傘をひらいて、空を
    yz_s
    yz_s 2014/08/20
  • 居残りのゆくえ - 傘をひらいて、空を

    うんと年下の友人と会う約束をしていたら、かれし連れていきます、とメッセージが入った。かれしは劣化していますのでよろしく。劣化、と私は内心で繰りかえした。いやな言い回しだと思った。人間はしばしば疲弊し、かならず老化し、ときに頽落する。それを劣化と表現する心性を私はいやだった。けれどもそれだけのことでかわいがっている女の子を嫌いになるのではないから、約束の日にはもちろん出かけていった。 劣化、と私は思った。いやだと思ったはずの表現がなんだか適切に思えた。少し前に紹介されたとき、彼女の恋人は二十代半ばという年齢以上にしっかりして見えた。礼儀正しくバランスがとれていて適度に快活で見栄えのいい青年だった。小さいころから選ばれてきてそれに慣れている人々によく見られるようすだ、と私は思った。それが今はなんというか、全体にもっさりしている。冴えない。うっすらとだらしない。なるほど、と私は思う。 私と彼女の

    居残りのゆくえ - 傘をひらいて、空を
    yz_s
    yz_s 2014/08/12
    あ、いいな。この話。