志士の夢を見るにはやや枯れた年になってはいる。曹操が「駿馬は老いて厩(かいば)に繋がれても志は千里を走る」と読んでいて、いつの頃からか、その詩の気分に寄り添う自分を感じるようになっていた。けれども、本当に、何事も「隗より始め」ないと始まらないというのは絶対的な真実であり、隗より始めるためには若返らないといけない。自分はまだ若いのだと自分に言い聞かせて信じなければいけない。「革命の初動期は詩人的な予言者があらわれ、「偏僻」の言動をとって世から追いつめられ、かならず非業に死ぬ。松陰がそれにあたるであろう。革命の中期には卓抜な行動家があらわれ、奇策縦横の行動をもって雷電風雨のような行動をとる。高杉晋作、坂本竜馬らがそれに相当し、この危険な事業家もまた多くは死ぬ。それらの果実を採って先駆者の理想を容赦なくすて、処理可能なかたちで革命の世をつくり、大いに栄達するのが、処理家たちの仕事である。伊藤博文