わさび園では、生わさびが売り切れ。 その後、帰り道周辺の幾つかの飲食店に立ち寄ったものの、臨休、店休、閉業、営業時間のオーバーなどが続いて、結局、この日はお昼を食べそびれてしまった我々です。 でも、ま...
●第4章 悲しき記録、広島・長崎の惨禍を見よ ★湯川秀樹ノーベル賞と原子爆弾との関係 この章では、主として原爆被爆者と国家との関係について記すことにする。しかし、私はすこし廻り道をしようと思う。それは、日本初のノーベル賞(物理学)学者である湯川秀樹について書いておきたいと思うからである。まずは、先に1度引用した中条一雄の『原爆は本当に8時15分に落ちたのか』から引用する。 ・・・私の高校の同窓生は、広島在住の有志が中心となって『ヒロシマと広高』という同人誌を不定期に発行している。そこには「被爆前から原子爆弾の存在を知っていた」とする2人の証言がある。1つは1997年8月発行のもので、同級の中野武彦君のものだ。彼は皆実町の高校の寮で朝食をとっている最中に被爆したが、全壊した食堂の残骸を押しのけて、やっとの思いではい出した。顔に深い切り傷を負っていた。その夜は近くの芋畑で野宿したという。 (被
私の高校の同窓生は、広島在住の有志が中心となって『ヒロシマと広高』という同人誌を不定期に発行している。そこには「被爆前から原子爆弾の存在を知っていた」とする二人の証言がある。 一つは一九九七年八月発行のもので、同級の中野武彦君のものだ。彼は皆実町の高校の寮で朝食をとっている最中に被爆したが、全壊した食堂の残骸を押しのけて、やっとの思いではい出した。顔に深い切り傷を負っていた。その夜は近くの蓮畑で野宿したという。(被爆した夜、野宿していると)高校生の集団ができて、夜空になおも赤い炎をちらちら見せている市の中心部を見つめながら、私たちは時折元気づけに寮歌を歌っていた。ふと私は、京都帝国大学で物理学を専攻し、荒勝教室にいた義兄が、物知り顔に話していたのを思い出した。マッチ箱一個の大きさで、戦艦一隻すっ飛ばす爆弾があるんやデ。原子爆弾言うんや」 B29一機か二機の爆撃で、これほど広範囲に被害を与え
配布されたばかりの「Tokyo 古田会 News」No. 126 May, 2009 に驚くべきことが書かれている。古田武彦「学問論(第14回)」から。 昭和20年5月、京都大学の工学部冶金学科の学生水田泰次氏は恩師の西村英雄教授から「今度、アメリカで原子爆弾ができた。それを投下する場所は広島だという。君の家族がいるなら、避難した方がいい。」と言われた。それを聞いて水田氏は無理やり父親を説き伏せ、広島市内の自宅から大八車で廿日市へ移転させた。その3か月後に広島市に原爆が投下された。 西村教授には米国の学会から秘密裡にニュースが送られたのだという。水田泰次氏は、すでに廣島高等学校同窓有志の会が発行する「廣高と原爆ー被爆55年・回想と追悼ー」(平成12年8月発行)にそのことを書いているという。
ウチの会社は鹿児島の企業と取引をしているので、鹿児島に本店のある地方銀行から入金される事がある。 今日その取引先び会社の手形のサイト日で、約4000万が入金されるはずだったのだが、手形が落ちないと入金されるウチの会社のメインバンクから連絡が来た。 「すわ不渡りか?」と祭りになりかけたのだが、それどころじゃない。 うちの会社も明日支払いがあるのでそのお金がないとヤバイことになりかねない。幸いにして、支払いをしてもマイナスにはならないので何とかなる事が判明したのだが、問題は落ちなかった手形である。 メインバンクからの連絡からしばらくして、手形の振り出し元である取引先から連絡があり、信じられない事を聞いた。 いわく「銀行が送金を忘れた」との事。 「天下の銀行様がそんな事ないだろ、(取引先が金なくて)嘘ついてんじゃネーの?」と、プチ祭り状態に……。 その後、送金を忘れた取引先の銀行(鹿児島市
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