日産自動車の労働組合リーダーとして大きな影響力を持ち、小説のモデルにもなった塩路一郎(しおじ・いちろう)さんが1日、食道がんで死去した。86歳だった。葬儀は近親者で行った。 東京都出身。明治大学を卒業後、1953年に日産自動車に入った。58年に日産労組書記長、62年に日産グループの労組でつくる自動車労連の会長に就任。72年に自動車総連を結成し、86年まで会長を務めた。 日産で労使一体化路線を進めた。役員人事にも影響力があるとされ、高杉良の小説「労働貴族」のモデルになった。国際労働機関(ILO)理事にも当選し、国際的な活動もした。 世代交代を求める声が高まり、86年に労働界から引退。その後はコンサルタント会社の経営などに携わった。