タグ

ブックマーク / arisan-2.hatenadiary.org (11)

  • 四方田犬彦と帝国の欲望 - Arisanのノート

    以下の文章、あまりにも酷いので批判を書いておく。 『四方田犬彦, 朴裕河を弁護する』 http://parkyuha.org/archives/5161 ただ、かなりの長文であり、その一行ごとに突っ込みどころがあると言っていいぐらいだ。 あまり長い文章を書くのも気が引けるので、ここでは最低限、自分が特に言いたいことだけを書くことにしたい。 僕が一番驚いたのは、3のなかで、朴裕河が「従来の慰安婦神話に突きつけた」重要な視点の一つとして語られている、次の個所だ。 日軍兵士と慰安婦を犯す/犯されるといった対立関係において見るのではなく、ともに帝国主義に強要された犠牲者であると見なす視点は、今後の歴史研究に新しい倫理的側面を提示することだろう。それは日帝国主義による強制連行が朝鮮人・中国人にのみ行使されたのではなく、長野県や山形県の農民が村をあげて満洲国開拓に動員された場合にも指摘しうるとする

    四方田犬彦と帝国の欲望 - Arisanのノート
    zaikabou
    zaikabou 2016/08/30
  • 慰撫と欲望 - Arisanのノート

    石牟礼さん願い お忍びで実現 皇后さま 「胎児性水俣病患者に会ってください」 http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013102902000238.html 天皇と皇后が、水俣病の被害者に会うということが発表された当初から、今回の熊訪問では、これまでになく天皇の存在を用いた国民的な和解のメッセージが強調されているという印象を受ける。 大震災で拍車のかかった、弱者切り捨ての新自由主義的な政治と社会の状況、原発の強引な推進、安倍政権の極右的・強権的な暴走という、何重にも重なった暴力的な現実のなかで、弱者を包み込む装置としての天皇制の機能をフルに活用することで、国家による統合を維持していこうとする政治の思惑が、かつてないほどに強力に働いているのだろう。 とりわけ今回の訪問では、天皇以上に皇后の存在が前面に押し出され、「皇后と弱者」

    慰撫と欲望 - Arisanのノート
    zaikabou
    zaikabou 2013/10/30
  • 竪川・野宿者の住まいのことと、その人たちへの「不安」について - Arisanのノート

    何度か情報を紹介してきた、東京竪川の強制排除の問題だが、解決の糸口が見えず、排除強行がいつ行われるかという不安と緊張の毎日が続いているようだ。 http://blogs.yahoo.co.jp/tatearakansai2012/3091621.html (是非、上の記事を読んでください。) ところで、こうした問題が起きると、「出て行って別のところに住めばいいではないか」と、考える人も多いだろう。 しかし他に住む場所が無いから、そこに小屋を作ったりテントを張ったりして住むわけで、そこさえも追い出されるということは、路上にでも寝泊りしろいうことであり、事実上、死ねと言ってるのと同じである。 町を歩いていても、この人は路上で毎日寝泊りしてるのではないか、という人を時々見かけるが、考えたくないが、ぼくたちはその人を毎日見殺しにしながら生きている。 今回の強制排除のようなケースでは、なんとか夜露を

    竪川・野宿者の住まいのことと、その人たちへの「不安」について - Arisanのノート
    zaikabou
    zaikabou 2012/12/04
  • ノルウェーの事件に寄せて - Arisanのノート

    予想されたことではあるが、日でもこういう論調が幅を利かせてるようだ。 ノルウェーでのテロ事件と日 http://news.livedoor.com/article/detail/5738369/ ブレイビグ容疑者が敵視したイスラムは、生活規範として信仰者の日常生活行動を規定する面がある。また、外国人移民が有する同郷・同民族などの連帯意識により、国家内に別の国家のような移民地域ができることがある。このため、EU諸国内では、オランダの自由党をはじめ右派政党の台頭が見られ始めている。ブレイビグ容疑者はこのような右派思想の活動家であり、犯行目的は移民排斥だとも伝えられている。 もちろん、その目的を爆弾テロと銃乱射という方法で追って達成できるわけではない。しかし、この衝撃的な事件によって、外国人移民問題が抱える(1)宗教と民主主義の関係、(2)多文化主義の矛盾など、問題の質ともいえる要素につい

    ノルウェーの事件に寄せて - Arisanのノート
    zaikabou
    zaikabou 2011/07/29
  • 野宿者と図書館 - Arisanのノート

    この記事が、最近話題になってるんですね。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080830-00000909-san-soci ぼくが以前に書いたエントリーも、何人かの方が言及してくださってるようなので、いまこの記事を読んで思うところを少し書いておきます。 このように図書館に来る野宿者と思われる人の多くは、考え方として、を読んだり図書館に居ること自体が好きで来てるか、他に居られる場所がなくて、やむをえず図書館に来てるかの、どちらかだろう。 前者なら、普通の利用者だということになる。この場合、利用する権利があること自体は、絶対に自明である。 勝谷誠彦は「税金を払わないホームレス図書館に入れること自体おかしい」なんて言ってるけど、税金を払ってない子どもや他地域から来た人であっても、(貸し出しは出来なくても)を読んだり、ちょっと息抜きにブラブラしたり座る

    野宿者と図書館 - Arisanのノート
    zaikabou
    zaikabou 2008/09/04
    共感できる
  • アフガニスタンでの事件の報道を見ていて - Arisanのノート

    アフガンで亡くなった伊藤さんという方についての報道をいくつか見聞きしてるが、どこのテレビ局だったか忘れたけど、ひとつ「ひどいなあ」と思ったものがある。 それは、「(伊藤さんたち)ペシャワール会などのNGOが行っている支援は、飢餓や貧困を無くすことで、遠まわしにテロの撲滅にもつながっている」という言い回しだ。 こんな言い方がされたのでは、きっと死んだ人も浮かばれないだろう。 支援を行って飢餓や貧困を無くすという、「目的」であるべきものが、「テロの撲滅」とやらいう事柄の手段みたいに扱われてるからである。 「テロの撲滅」という言葉の裏にあるのは、どんな理由(飢餓や貧困)があろうと、「テロリスト」と見なされるような連中は、すべて地上から抹殺するべきだという思想だ。つまりそれは、テロ行為の原因になるような困難な状況を解消・減少させて現地の人たちを救うことによって、(その結果として)テロが行われるこ

    アフガニスタンでの事件の報道を見ていて - Arisanのノート
    zaikabou
    zaikabou 2008/08/31
    『原因になるような困難な状況を解消・減少させて現地の人たちを救う』ことがテロを無くすためにも大事なんだっていう蒙を開くという、意味のある報道だろう。なんでこんな悪意にしかとれないのか
  • オリンピック報道について、いろいろ - Arisanのノート

    今回のオリンピックは、日選手が活躍する映像や報道ばかりが流れるので、とても窮屈な感じである。 せっかく世界の最高水準の選手が集まってるのに、国内大会みたいな報道ばかり見せられるのには辟易する。 視聴者の大半が日選手の活躍だけを見たがってるから、ということだろうか? だが、そうでないような番組編成をしても、やはり結局は多くの人がオリンピックを見るであろう。なのに、報道は日選手に関することしか取り上げない。 それが商業的に「安全策」だからか?よく分からないが、もっとオリンピックらしいというか、国際大会にふさわしい報道の仕方をしてもらいたいものだ、と思う。 そして、当然それと関係するわけだが、結果に関わらず、競技が終わった直後の選手にインタビューして、感想を聞きだすという仕組みになってるのも、選手がマスコミなり視聴者の願望なりの犠牲になってる感じで、見ていて(視聴者である)自分が疚しいよう

    オリンピック報道について、いろいろ - Arisanのノート
    zaikabou
    zaikabou 2008/08/20
    NHKBSなどでは海外選手の競技・組も流していると思う…どこかで『欧米ではもっと自国選手の競技しか流さない』と聞いたような気がするが、実際どうなのか/最後の部分は季語とか係り結びのようなものなのでしょう
  • 釜ヶ崎の暴動から受けとる(聞きとる)べきもの - Arisanのノート

    さきほど生田武志さんのホームページを見ていたら、以下の記述があった。 http://www1.odn.ne.jp/~cex38710/thesedays13.htm 今日は西成署に花火を打ち込む若者もかなりいたようだ。上で「野宿者に投げていた石をこの2〜3日だけ機動隊に投げていただけかもしれない」と書いているが、それを見ていると、よくある野宿者への花火の打ち込み襲撃を思い出さざるをえなかった。 つまり、共闘か襲撃かは紙一重でありうる。だからこそ、「彼らはおもしろがって便乗しているだけだ」と切り捨てるのではなく、ビラであれ何であれ語りかけるべきなのだろう。 生田さんはもちろん、『<野宿者襲撃>論』の著者として知られているが、日常的に頻発しているという野宿者に対する若者たちの「襲撃」は、今回のような暴動以上に、報道され問題にされることが少ない。 じつは、先日このブログに案内を載せた東京蒲田での

    釜ヶ崎の暴動から受けとる(聞きとる)べきもの - Arisanのノート
    zaikabou
    zaikabou 2008/06/17
    共感しました
  • 『パッチギ!』受賞なし! - Arisanのノート

    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060303-00000514-yom-ent これは露骨だろ。 井筒監督は憮然としてたよね。 ぼくは、今回の日アカデミー賞にノミネートされていた他の映画をほとんど見ていないし、12部門を独占した『ALWAYS 三丁目の夕日』という作品も見ていない。 だから、賞の選考が公平に行われたどうかの判断はできない。まあ、他の作品を見てても決められないが。 しかし、『パッチギ!』が1部門も受賞できなかったというのは、この作品が独立系の製作によるもので、日アカデミー賞が前々から大きな映画会社の持ち回りで賞を決めているのではないかと批判されていることを差し引いても、やはり異様だとおもう。映画界なのか、メディアの世界全体なのか、ひとつのメッセージをそこに感じる。すごく露骨な、拒絶のメッセージだ。 しかもそれを、監督をテレビカメラの

    『パッチギ!』受賞なし! - Arisanのノート
    zaikabou
    zaikabou 2006/03/05
    「続」も読みましたが、この方の言うことにはまった賛同できない。むしろ物凄く有害。
  • 早大ビラまき逮捕事件にふれて - Arisanのノート

    早稲田大学で起きた、ビラをまいていた学生が逮捕されたという事件のことは、ずっと気にはなっていたが、どう書くべきかが分からなかった。 先日、『成城トランスカレッジ!』に、同サイトの運営者であるchikiさんが、この事件についてのシンポジウムを傍聴した報告と感想を載せておられるのを読んだので、この事件と記事の内容とに関して、思うことを少し書いておきたい。 空間の私営化 この事件に関して、ぼくは大雑把な印象しか言えないのだが、最近ずっと書いてきた大阪市の公園からの野宿者の排除と共通しているものが底にあるのだろう、とは思う。 それは、公園とか大学の構内(あるいは大学そのもの)といった、これまで誰でもが出入りできるし適当に使っていいとされていた空間や場所が、急速に「私営化」されつつある、ということだ。 「私営化」というのは、カントのいう「パブリック」な場所ではない、そこを所有・運営している特定の主体

    早大ビラまき逮捕事件にふれて - Arisanのノート
    zaikabou
    zaikabou 2006/02/13
    『運動』の方法論に関して同意。そしてコミュニケーションが大事なのは確かだが、端からコミュニケートする気の無い層に届く…気軽に参加できる…ようなメッセージをいかに発せられるか、も重要。
  • 撫順戦犯管理所 - Arisanのノート

    先日あるところで、数年前にNHKのETV特集で放映された中国の撫順戦犯管理所での出来事に関する番組を見る機会があった。 撫順戦犯管理所には、1950年にスターリンと毛沢東との間の取り決めによってシベリアのラーゲリから移送されてきた、旧日軍の戦犯(捕虜)1000人が収容されていた。この人たちは、映画『ラスト・エンペラー』で有名な元満州国皇帝溥儀とともに、中国に引き渡されたのである。 その後、収容されていた6年の間に、この人たちは戦争中の自分たちの加害行為を認めるようになり、中国でおこなわれた公開の裁判でその罪を告白して謝罪し、許されて日に帰ってくる。この人たちの多くは、日に帰ってから中国帰還者連絡会(中帰連)という組織を作って、「洗脳者」という誹りを受けながらも、証言をとおした平和のための活動をつづけることになる。 体験者から見た、この間の出来事の経緯は、中帰連の下記のサイトに詳しい。

    撫順戦犯管理所 - Arisanのノート
    zaikabou
    zaikabou 2005/11/10
    人間工学の勝利としての撫順戦犯管理所。今の中共にこの懐の深さはありや(日本にははじめから無いが)
  • 1