なぜ、文明国ドイツにヒトラー独裁政権は誕生したのか。『ヒトラーとナチ・ドイツ』を著した東京大学大学院総合文化研究科教授の石田勇治氏に、ヒトラー政権誕生の歴史から、わたしたちはどのような教訓を導き出すことができるのか、話を聞いた。 はじめは有権者の26%しかナチ党に投票していなかった ーーヴァイマル憲法という民主的憲法をもったドイツに、なぜ民主主義を否定する政権が誕生したのでしょうか? 「ヒトラーは選挙(民意)で首相になった」とよく言われますね。たしかにヒトラー率いるナチ党はヴァイマル共和国末期の経済的危機、社会的混乱に乗じて台頭し、1932年7月の国会選挙で第一党(得票率は37%)になりました。 しかしナチ党の勢いはここまででした。その年の11月の国会選挙で約200万票を失い、得票率も33%に下落します。地方選挙でも大敗を喫し、12月には党のあり方をめぐって分裂の危機に直面します。 経済は
【東京】米軍普天間飛行場の辺野古移設計画に関連し、昨年12月17~18日に訪米した自衛隊トップの河野克俊統合幕僚長が米海兵隊のダンフォード総司令官に対して「普天間移設反対派の知事が就任したが、辺野古への移設問題は政治レベルの議論であるので方針に変更はないとの認識である。安倍政権は強力に推進するであろう」と述べ、米側に日本の辺野古移設推進堅持の方針を伝えていたことが明らかになった。 新基地建設反対を訴え当選した翁長雄志知事が昨年12月10日に就任してから、わずか数日後に自衛隊トップが辺野古移設を米側に「約束」していた格好で、今後の議論を呼びそうだ。 河野統幕長の会談内容を記した統合幕僚監部の機密資料を共産党が入手した。資料は「取扱厳重注意」とした上で「統幕長訪米時のおける会談の結果概要について」との件名で、2014年12月24日に作成されている。 河野統幕長が訪米し、ダンフォード氏のほか、ワ
本日(9月2日)午後1時15分、東京地裁631号法廷で、私自身が被告にされている「DHCスラップ訴訟」の判決が言い渡された。被告代理人席も傍聴席も、被告の支援者で満席だった。原告代理人席だけが、ポッカリ空席。その法廷での言い渡し。原告(DHC・吉田嘉明)の請求はすべて棄却となった。被告(澤藤)の全面勝訴である。 たくさんの方から「勝訴おめでとう」と声をかけていただいきました。弁護団の皆さま、支援をしてくださった皆さまに、感謝を申し上げます。この1年余の間、孤独を感じることなく「もっとも幸せな被告」であり続けられたことは、ひとえに皆さまのおかげです。感謝しきれない思いです。 原告両名の、私に対する請求は以下の3点。 1 6000万円の損害賠償 2 ブログ「憲法日記」5本の記事削除 3 謝罪文をブログに掲載せよ このすべてが、斥けられた。 この件で被告になっているのは形の上では私(澤藤)だが、
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く