先日、駅のホームで近くにいたオッサンが膨らんだカバンの中をガサガサと引っ掻き廻し始めた。ふと見ると、大量のお菓子が入っている。それも、田舎のばーちゃんとこで、お盆や年末年始に菓子盆に入れられているようなヤツ。思わず見ていると、そのかさばるお菓子の中から一冊の見覚えある装丁の雑誌を取りだした。 何と、WiLLじゃないの。 オッサン、おもむろに手にしたWiLLを読み始める。列車が来て乗り込んでも立った状態でも読み続けている。なるほど、噂に聞いた中高年の極右化、というヤツか。まあ、元々素地はあったのだろうと思う。昨今の環境により“発芽”したのだろう、と慨嘆する。 それにしても、WiLLを衆人環視の中で読む、なんて真似が出来るのは、すでにああしたものが社会に受け入れられているからなのだろう。オレにとっては、極右本を読む、なんてのはエロ雑誌を手にするより恥ずかしいことだが。どういう羞恥プレーなのだ。