サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
タグをすべて表示
かつて私の経歴が侮辱された際、さとうしん先生は私をかばってくださり、加害者を謝罪させるために尽力していただいたのを覚えています。鈴木小太郎は、さとうしん先生の経歴および外見に対して侮辱をしたことを、直ちに謝罪すべきです。 https://t.co/pg9V5As4RQ
当時はヘタリアは許されていたみたいな意見があるけど、私はヘタリアこそ日本のオタクコンテンツが歴史修正主義方面へと決壊する剣が峰だと「当時から」主張していたし、事実ヘタリアの成功がストパンガルパン艦これといった世界史1ビット脳コンテ… https://t.co/QlWMUgdqtP
何度でも言うが、ワープア男性の生活がいかに悲惨・抑圧的なものだったとしても、ストレスのはけ口が外国人や生保に向かうのは勿論必然ではなく、社会の構造と自発的意志による恣意性が挿入されて初めて両者は連続するのであって、安田センセ的ネトウヨの個人史的背景語りってぜんぜん本質的じゃない。
韓国は韓国の事情として、ナショナリズムとかいろんな文脈があるのだろうけど、だからといって侵略した張本人である日本人が「過去のことばかりいってないで自信をもてよ」とか「冷静になって歩み寄ろうぜ!」っていえるかって話。その前にすべきことがあるでしょ。
「電気が無くなったらマイノリティや弱者はあとまわし。それが現実」っていうひとがいるけど、電気があったときからずっと「あとまわし」だったやんっていう。電気があろうがなかろうが、リソースがあろうがなかろうが、まず「あとまわし」にする「現実」かえなきゃだめでしょ。
現に今「電気によって」生存しているひとびとについてどう考えるか、という話と、「だから現状の電気(原発)は必要だよね。減らせないよね」という話は全然別。電気があるかないかという話は付随的なものでしかない。まず生存権や再分配の問題がある。
「弱者救済はリソースを増やして/リソースあってなんぼ」っていうやつがいるけど、その論理だと裏がえしとして現にリソースがない状態(計画停電、震災、不況)になったとき、「弱者救済」できないの仕方ないよねみたいなことになってしまう。絶対だめ。
原発は危険といっていた「反原発」の人がいて、原発は安全といっていた「科学的」な人たちがいて、実際原発は危険だったのに、なお「反原発」の人の運動のやり方とか科学的知識が「科学的」な人たちが問題にしてることに驚く。少なくともまず「ぼくたちは間違ってました」って謝ってからと思う。
ランキング
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く