B29航空士の元米兵が語る、空襲する側のリアル 遺族が手記を本紙に公開「全滅してもおかしくない」【全文あり】 1945年7月、B29爆撃機による岐阜市の空襲に参加した元米兵、故ローランド・ボールさんが残した手記を、遺族が本紙に公開した。米軍が圧倒的な航空戦力を見せつけた空襲だったが、手記ではボールさんの搭乗機が日本軍の攻撃で墜落寸前まで追い込まれたことが明らかになった。「岐阜空襲を記録する会」は「攻撃に参加した米兵の詳細な体験談は日本側に伝わっておらず、貴重な資料だ」と話している。(アメリカ総局・浅井俊典)=次ページに手記全文 岐阜空襲 1945年7月9日午後11時すぎから10日未明にかけ、岐阜市の市街地を対象に米軍が実施した爆撃。約130機のB29爆撃機が焼夷(しょうい)弾などを投下し、市街地の7割が焼失した。死者は約900人、負傷者1000人以上に上った。