kumonoami プレカリアートユニオン 非正規雇用の駆け込み寺から砦へ 相談はTEL03-6276-1024 info@precariat-union.or.jp
国際社会学会の集計による最重要社会学文献のランキングです。参考までに、20位まで紹介します。19位まではなるほどという印象を受けたのですが、20位の『労働と独占資本』は意外でした。多くの社会学者はこの本を読んだことさえないと思うのですが、一部では非常に重視されているのかもしれません。このランキングは投票数が少ないですし、偏りがあるのは否めませんので、ちょっとした参考程度に見てみるのが良さそうです。 Books of the Century http://www.isa-sociology.org/books/vt/bkv_000.htm Author/s Title Votes 1 Weber, Max Economy and Society 95 Economy and Society: An Outline of Interpretive Sociology作者: Max Weber,
プログラミング, ソフトウェア近年効率性の概念に基づいて企業の経営効率や向上の生産効率等を計測する手法が盛んに適用される傾向があり,効率性計測の需要は高まっている.そこで,効率性計測手法の2本柱であるDEA(データ包絡分析)SFA(確率的フロンティア分析)に関して,自身の知る限りで分析可能なツールをまとめた.ちなみに自身はDEAの場合GAMSを,SFAの場合はLIMDEPを愛用している. DEA(データ包絡分析)<有償>DEA-Solver PROFrontier AnalystPIM DEASoftLIMDEP(ver.9.0以降)元々パッケージとして分析ソフトが入っているため,いとも簡単に計算できるらしい.(Ver.8.0しか利用したことが無いので詳細はわからないが.)-MATLABMATLABについて知識が無いのでよく分からないが,結構MATLABでDEAを解く方は多い.私は勉強はし
かつてnagaichiさんが佐々木はSFオタ男子にとっての理想の彼女なので、はっきり言って「こんなやついねえ」である。http://h.hatena.ne.jp/nagaichi/225690343486455268とおっしゃっていたが,後半部分はともかく前半部分については激しく同意する。そう,佐々木はSFオタ異性愛者男子にとっての理想の彼女であろう。SFスキーであるところの谷川流のリビドーがぶち込まれたキャラクタである。 だがそこでもうちょっと敷衍して,単なる「SFオタ男子」ではなく,「インドア派男子」という括りで考えてみたい(以下では異性愛者を想定している)。ここでの「インドア派」というのは,「文系」「理系」「体育会系」のような区分とは関わりがない(たとえば歴史研究系の部活・サークルでも,頻繁にフィールドワークとか発掘に出掛けて部員の結束を深めていたりしたら該当しない)。要するにインド
『成長の限界』という本を読んだ。要約すると、「物的資源の限界が近付いてきてるので、今までの成長に依存した社会をそのまま続けていると、石油は枯渇し農地は砂漠になり、人口は急にガクンと減って壊れた環境の中で人口の低いままの状態に甘んじることになるよ。」という内容だった。 僕は、基本的には貨幣なんて機械のパイプの中で液体が循環している作用そのものみたいなものなのだから、機械がストールして循環が一時的に止まったのならスパークを起こさせて正常な状態に戻せばよい。と考えてる。失業者が出たら政府が労働者を雇って意味もなく地面に穴を掘って埋めさせればよい。そうしたら、ばらまかれたお金はまた別の財の購入に使われるという波及効果を呼んで、経済循環は再び活性化するのだから。 でも「意味のない賃労働を作り出す」というアイディアは、物的資源が無限にあって、しかも(賃)労働需要は既に満たされているという前提に立脚して
「週刊アスキー」の読者がTwitter上でこの雑誌は面白くないとつぶやいたら、同雑誌の編集者の人が「面白いか面白くないか決めるのはアナタではありません」と反論した。すると、その当の読者やそれを見ていた第三者の間から、「面白いか面白くないのを決めるのは読者だ!」ということを言い出す人がたくさん現れて、話題になっている。 週刊アスキーの人に本の面白さを決めるのはお前じゃないと言われちゃった - Togetter ここで一つはっきりさせておきたいのは、「面白さを決めるのは読者ではない」ということだ。これはもう、反論どころか議論の余地さえない既成事実である。では、「面白さを決めるのは作者か?」というと、それも違う。実は、そのどちらでもないのである。それ(面白さ)は、この世にすでにもともと存在している、先天的なものなのだ。この世には、ピタゴラスの定理みたいに「面白さの公式」というのがあらかじめ在って
ぼくには、いつだって「世間からは認められないだろう」という思いがある。それは今だってある。ドラッカーは「顧客からスタートしろ」と言った。それは分かる。芸術でも何でも、他者に認められて初めて価値がある。しかしながら、こと芸術に限っていえば、そこに一つだけ問題がある。というのは、すぐれた芸術――後世に残るような芸術というのは、えてして「同時代人には認められない」という現象があるのだ。 その例には枚挙にいとまがない。ソクラテス、ゴッホ、カフカ、宮沢賢治。中でも、最も象徴的な例として、セザンヌを挙げることができる。セザンヌは、絵画というものを突き詰めていく中で、やがて「絵の面白さとは写実性にではなく、ある種の心象風景のように、ちょっと歪んだものの中にこそ宿る」と考え、あえて遠近法に則らない描き方で絵を描いた。遠くのものを大きく描き、手前のものを小さく描いたのだ。すると、その評価は散々なものだった。
前のエントリーの続きなんだが、前から思ってたのだが、ぼくのエントリーにしたり顔で突っ込むやつの小者感が半端ない。フジポン氏もそうなのだがノヴ75氏もそうで、文章が下手な人ほどぼくの文章下手に見えるという罠があるが、それは自分の文章がへたくそであるというコンプレックスの投影に過ぎないのでみっともないのでやめた方がいい。そんなだから、消毒氏に口を極めてののしられるのだ。また、ぼくがヲチネタをすることを不自然に感じたり無理やりだと感じる人もちらほらいるようだけど、情弱のそしりを免れなくてみっともない。raf00氏とかashitano244氏とかね。ぼくはもともとヲチネタで弾けた人物であって、それを知ってる人はフエタロ氏みたいにヒットアンドウェイーでけっして近くに寄って殴りかからず、遠くから石を投げるだけにとどめているのだ。近くに寄るとすぐに噛みついてくるのでね。 それはいいとして続きを書くと、今
ここ数日すたでぃぎふとの騒動を面白おかしく横目で眺めているんだけど、これが実にWEB的な面白さで、ぶっちゃけ素人には伝わらないんだよね。ぼくの妻なんかは説明してもなかなか分かってもらえない。だけど、そんな妻に説明するつもりで、つまりすたでぃぎふとの面白さを説明するつもりでこのエントリーを書いたら面白いかと思ったので、書いてみるよ。まず初めに、ネットの世界にはモヒカン族というとネイティブアメリカンに差別的で申し訳ないけど、WWW警備隊というか、変なやつがいないかパトロールして見張ってるお節介なやつらがいるんだよね。これの代表が仮にカノセ(仮名)という名前にしておこうか。他にもたくさんいるけど、総じてハックルベリーのことが嫌いというのは一致しているがこれは余談である。あとオツネ氏とかライツ(仮名)ってのもいるな。いっぱいいるからいちいち列挙するときりがないんでこれくらいにしておくか。で、このカ
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