続きを読む 利下げは3度までにすべきだった 利下げは3度までにすべきだった 戦後70年の中でも、80年代後半のバブルの生成と崩壊は、日本経済にとって特筆される出来事だろう。だが、バブルはなぜ発生し、突然崩壊していったのか。それは、長い経済停滞から抜け出しきれない我々に今、何を問いかけているのか。もう一度、佃の話に戻ってみよう。 日銀は佃が理事になった86年の1月から、それまで5%だった公定歩合を立て続けに3回引き下げ、4月には3.5%にした。前年の85年9月、深刻な貿易赤字に苦しむ米国のために、日米欧5カ国(G5)は突然、ドル安協調政策を打ち出した。プラザ合意である。これが急激な円高をもたらして日本の輸出産業を直撃した。日銀は、銀行の貸出金利に影響する公定歩合を引き下げて内需の刺激を図った。景気のてこ入れとともに対米貿易黒字を減らすためだ。 「自分は営業局長として、企業や金融機関の声を常に
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