部活動のあり方がニュース記事になってたのを見て、自分の人生にとって部活とは?とふと中学の頃を思い出した。 俺は小学生の頃、おそらく同級生の中で一番の運動音痴だった。なのに中学で突然思い立って、野球部に入った。 実をいうと、最初はなぜ皆は部活に入ってわざわざ忙しい道を選ぶのか、理解できなかった。が、体育の授業の持久走で同じく運動音痴だと思ってた奴より遅く走り、明らかに体力がないことに気づき、このままでは体育の授業すらついていけなくなるという危機感を抱いて運動部に入ることを決めたというのが実態だ。 ではなぜ野球部だったか?理由は以下の2つ。 ・小学校時代の仲の良い友人が野球部で、誘われた ・プロ野球をテレビで見たり、野球漫画を読んだりはしてたので、他のスポーツよりはなじみがあった さて、そうは言ってもド素人の俺。最初はキャッチボールすらままならない状態だった。遠投で塁間届かないくらいだったし。
エフ博士は科学者だったが、社会のことに無関心というわけではなかった。やがて一台のコンピューターを作り、それを使って憎悪決定業という商売をはじめた。 高度に分断されエコーチェンバー化が進んだ現代は、憎悪する対象を持っていないと、なんとなく気がひける時代だ。なぜこうなってしまったのかはわからないが、現実にそうなっているのだから仕方ない。 そのため、だれもかれも、憎悪する対象を持たなければとあせる。なかには、別に嫌いでもないことを、性格にあわなくてもおかまいなしに憎み始める人もでてくる。 エフ博士は、それをなんとかしようと思ったのだ。機械学習を使って、その人にぴったりの憎悪を、きめてあげようという仕事だ。 そのコンピューターはかなり大きく、RTX 3090 Tiを何枚も搭載している。チューリングテストをパスする程度の会話能力がある。精細なアバターで会話するビデオ入出力I/Fも付いている。金属製の
何か質問しても「???何が問題なの???」といわれる。 で、聞き方変えて聞いても「あーごめん、その質問わからんわ」って言われる。 見かねた同僚が「あーでこーで」というと「あーそれね」と理解されるが同僚が言っていることと自分の言っていることの区別がつかない。 同じこと言ってるようにしか聞こえないんだが、といつも思ってしまう。 で、その同僚の言い方を参考にして例えば、この人に対してはこういう順序で話すといいとか、そんな奴かなと反省して参考にして改めて質問するとやっぱり「ごめん、わからない」といわれる。 見かねた同僚が「あーでこーで」というと「あーそれね」と理解されるがその言い方前回俺が同じ言い方してわかってもらえなかったやつだなあと思うことも多い。 俺がいくら頑張って工夫して説明してもわかってもらえないで同僚が言うとするっとわかってもらえるっていうのがここしばらく続いていて、なんなんだろうこれ
聴いていて僕はどのフルーツなんだろうとふと思った 毛深いキウイか、種の多いパパイアか、高級なマンゴーか そもそもOR条件でなく、AND条件なのかな 僕はキウイでかつパパイアでかつマンゴーだと指摘されているのか たぶんキウイでもパパイアでもマンゴーでもないけどなあ 「君たち=曲を聴いている人」想定でない歌詞とも考えられるな 南国での恋っぽい歌詞だから「南国にいる人=キウイ、パパイア、マンゴー」という指摘なのだろうか 果実はたとえとして若さや性的要素を想起させる意図で使っていると考えるのが容易だけど、歌詞中で言及されるのは「咲かせましょうか果実大恋愛(フルーツ・スキャンダル)」くらいだ 「咲かす」は「話を咲かす」のような「話が盛り上がる」という意味合いだろうか スキャンダルは醜聞だから「咲かせましょうか果実大恋愛(フルーツ・スキャンダル)」は「荒れたコイバナしようよ」くらいのことなんかね そう
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