Facebookのタイムラインに「日本のウェブデザインはなぜこんなにも世界と違うのか?」という記事の紹介が流れて来たので読んでみたが、これはウェブデザインに限った話ではないと思う。典型的なのがスーパーのチラシ(下の写真はここからの引用)。 日本のスーパーのチラシは、「これでもか」とばかりに情報を詰め込む上に、「安売り情報=赤」という王道を決して踏み外すことはないため、どのスーパーのチラシもこんなデザインになる。情報量だけはすごいが、「エレガントなデザイン」とは正反対のところにある。 米国でも、一昔前までは似た様な状況だったが、ここ数年は差別化が進み、少しこだわったスーパーのチラシのデザインはこんな感じだ。 明らかにプロのデザイナーの手が入っているし、「食欲をそそる」という明確なデザイン・ゴールが見てとれる。 どちらが正しいという話ではないが、米国の一部のスーパーがこんなデザインに走っている
師走だなんて信じない --- プロのミュージシャンが酔っぱらってセッションしていたという話を聞く。 「山崎まさよしがうちあげでドラム叩いてさ。」 「N さんが弾き語りしてたよ」 それを目撃した人も誇らしげだ。うらやましい。僕の仕事では酔っぱらってホームページ作ったところで誰もほめてくれない。ぐちゃぐちゃにして寝るだけだ。ミュージシャンだと 「照明のスタッフもノリノリで照明当ててたよ」 とかスタッフも優しい。僕が酔っぱらってフォトショップ立ち上げても、だれもノリノリでプリンタつないでくれたりしない。されても嬉しくない。ミュージシャンがモテるのはそういうところかもしれない。ほかの職種だって、たとえば、 「このまえ経理の山田さん酔っぱらって伝票ゴリゴリ書いてたよ」 それもだめだ。かなりだめだ。 いいな、ミュージシャン。
土木学会というところから「コミュニケーション能力について」の寄稿を頼まれた。 9月に書いて送稿したものが活字になって今日届いた。 学会誌なので、一般読者の目に触れる機会はないと思うので、そこに書いたものを採録しておく。 「コミュニケーション能力」とは何か 就活している学生が「これからはもっとも重視されるのはコミュニケーション能力だそうです」と言うので、「うん、そうだね」と頷きながらも、この子は「コミュニケーション能力」ということの意味をどう考えているのかなとちょっと不安になった。 たぶん「自分の意見をはっきり言う」とか「目をきらきらさせて人の話を聞く」とか、そういう事態をぼんやり想像しているのだろうと思う。 もちろん、それで間違っているわけではない。でも、どうしたら「そういうこと」が可能になるかについてはいささか込み入った話になる。 例えば、どれほど「はっきり」発語しても、まったく言葉が人
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