◎…“珍客”が登校? 都城市吉尾町の都城高専に、7月上旬から親と6匹の子ダヌキが姿を見せている。じゃれ合う様子はかわいらしく、目にした教職員や生徒らを和ませている=写真。 ◎…低木が生い茂った中庭の小高い場所に夕方ごろ、たびたび姿を見せている。同校によると、子供は生後約1カ月とみられる。タヌキが校内で発見されたのは約20年前以来という。 ◎…同校周辺に山はなく、店や住宅が並ぶ。どこから来るかは謎で、もしかすると親ダヌキは、勤勉な学生たちの姿をわが子に見せ「生き抜くために彼らのように賢くなって」と教えたかったのかも。
官公庁やオフィスビルが並ぶ宮崎市中心部で1日、不発弾が処理された。7千人に避難勧告が出るなど市民生活に影響。担当した自衛隊は太平洋戦争末期に米軍が投下した爆弾と推定する。当時を知る世代は1945(昭和20)年5月11日にあった「宮崎空襲」のときのものではないかと振り返る。宮崎男子師範学校付属国民学校(現宮崎大付属小)の児童など一日で死者約40人を出した、空襲の恐ろしさはどんなものだったのだろうか。戦渦を知る2人に話を聞いた。 (詳細は19日付朝刊または携帯サイトで) 【写真】当時の宮崎市宮田町にあった青木賢児さんの生家。爆弾が直撃し建物は壊れ家具や衣類は爆風で吹き飛んだ(青木さんの著書「回想の早送り」=鉱脈社刊=より)
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