ブックマーク / okinawa-archives-labo.com (201)

  • 【FILMS】那覇の風景、パンショットなど

    イベントだけが8ミリ映画ではありません。風景だけをなんとなく記録した映像もあります。このフィルムは冒頭は花やシーサーなどの静物。その後、長いパンショット(カメラの向きを左右に回して撮影する方法)で、那覇の街のパノラマを撮影しています。1970年初頭のランドマークなどがいくつか映り込んでいて、細かく調べていけば,ハッキリとした撮影時期が特定できる、楽しい映像です。 No. 0159-01 タイトル:那覇の風景、パンショットなど 撮影者:真境名敏夫(Toshio Majikina) 撮影メディア : 8mm Film/Color 編時間: 3m43s 撮影時期 : 1970年ごろ 主なロケ地 : 沖縄三越,前島,アドベンチストメディカルセンタ- (沖縄県那覇市) スキャン方式 : Frame by Frame パノラマショット1 花とシーサーの映像の後、最初に映るパノラマショットは、おそらく

    【FILMS】那覇の風景、パンショットなど
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    zu2 2024/04/15
  • 【FILMS】空襲前の旧那覇市のパノラマ〜「沖繩懸の名所古蹟の實況」より

    製作者 : 渡口政善 (Seizen Toguchi) タイトル:空襲前の旧那覇市のパノラマ〜「沖繩懸の名所古蹟の實況」 編時間:55sec 主なロケ地 : 旧那覇市街(市役所からのながめ) 撮影時期 : 1932年 撮影メディア : 35mm撮影、ベーカムに複写後デジタル化 ハワイに移民した渡口政善が1932年に沖縄で制作した観光映画『沖繩懸の名所古蹟の實況』の冒頭3カットの映像。のちに10・10空襲で壊滅する前の旧那覇市の繁華街のパンショットと、撮影を行った那覇市役所の塔が映されています。 フィルムの説明は、以下のぺーじを参照ください。 » 『沖繩縣の名所古蹟の實況』を巡るあれこれ(1) » 『沖繩縣の名所古蹟の實況』を巡るあれこれ(2) 追記すると、フィルムの製作者、渡口政善氏の消息が掴めなかったのですが、ハワイ沖縄協会のご協力で、ご遺族の方と連絡をとることができ、2020年2

    【FILMS】空襲前の旧那覇市のパノラマ〜「沖繩懸の名所古蹟の實況」より
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    zu2 2024/01/24
  • 【FILMS】泊小学校校舎増改築工事・解体

    那覇市立泊小学校の旧校舎を壊した時の映像です。 No. 0945-04 タイトル:泊小学校校舎増改築工事・解体 撮影者:外間宏三(Kouzou Hokama) 撮影メディア : 8mm Film 編時間: 4m36s 撮影時期 : 1979年ごろ 主なロケ地 : 泊小学校,解体作業 (沖縄県那覇市泊) スキャン方式 : Frame by Frame 泊小学校の元を辿れば琉球王朝の時代まで遡ります。 1803年(享和3年)に教倫堂が設立された。同じ土地に明治14年に教倫小学校開校。さらに明治21年に泊尋常小学校と改称するも同年11月には那覇尋常小学校分校となります。それが明治32年に泊尋常小学校として独立。そこから昭和16年に泊国民学校になります。 映像で解体されている「旧校舎」は昭和5年に鉄筋コンクリートの建築として竣工しています。戦時を乗り越えて、戦後も使われてきたわけです。 那覇市歴

    【FILMS】泊小学校校舎増改築工事・解体
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    zu2 2024/01/17
  • 【FILMS】登録日 琉球大学首里キャンパス

    琉球大学がまだ首里にあったころの卒業生の方には必見の懐かしいフィルムです。受けたい講義を登録するために右往左往する大学生の姿が、同じく大学生の撮影者によって記録されています。 No. 0756-00 タイトル:登録日 琉球大学首里キャンパス 撮影者:外間政一郎(Seiichiro Hokama) 撮影メディア : 8mm Film/Color 編時間: 3m23s 撮影時期 : 1978年 主なロケ地 : 琉球大学 首里キャンパス (沖縄県那覇市首里) スキャン: Frame by Frame 琉球大学は1950年に、現在の首里城正殿のある首里の丘の上に開校しました。現在は宜野湾、中城村、西原町にまたがる広大なのキャンパスに移っています。 映像は1978年の秋の登録日の様子です。受けたい授業や、単位の取りやすい授業を目指して、学生たちが我先にと争って走り回っています。。 冒頭、事務所の前

    【FILMS】登録日 琉球大学首里キャンパス
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    zu2 2023/10/13
  • 【FILMS】本土復帰 最後のパスポート

    沖縄が米国の統治下にあったころは、沖縄と日土を行き来するためにパスポートが必要だった。1972年5月15日の日復帰を境にパスポートは廃止されます。この映像は復帰の直前に、パスポートを使う様子を記録した珍しい映像です。 No. 0535-00,0562-01 タイトル:土復帰 最後のパスポート 撮影者:大城隆盛(Ryusei Oshiro) 撮影メディア : 8mm Film/Color 編時間: 3m18s + 41s 撮影時期 : 1972年5月5日 主なロケ地 : 那覇港那覇埠頭 (沖縄県那覇市) スキャン方式 : Frame by Frame ********************************* 主なロケ地表示(Google Map表示) 那覇港那覇埠頭 沖縄が復帰する前の米軍統治時代。沖縄から日に行くためにはパスポートが必要でした。この映像は復帰の直前に、

    【FILMS】本土復帰 最後のパスポート
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    zu2 2023/10/13
  • 【FILMS】1950年の国際通りとマチグヮー〜ハワイからの帰省〜

    ハワイ移民が戦後に里帰りをして撮影した1950年の沖縄の繁華街の映像です。 No. 1946-08 タイトル:1950年の国際通りとマチヤーグヮー〜ハワイからの帰省〜 撮影者:上原亀千代(Kamechiyo Uehara) 撮影メディア : VHS/Color/16fps 編時間: 2m39s 撮影時期 : 1950年3月 主なロケ地 : 国際通り、市場 (沖縄県那覇市牧志) スキャン: Screen Process アーニーパイル国際劇場 冒頭に映るのは、国際通りの名前の由来となったと言われる「アーニーパイル国際劇場(以下「国際劇場」)」の動画です。那覇の活気を作った有名な娯楽施設でありながら、この時代の動画はあまりありません。国際劇場の右側にあるのが「那覇無尽」で、これは国際劇場の経営者である高良一が作った無尽会社。のちに「沖縄第一相互銀行」と発展し、その後「沖縄相互銀行」と合併して

    【FILMS】1950年の国際通りとマチグヮー〜ハワイからの帰省〜
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    zu2 2023/10/02
  • 【FILMS】愛楽園

    撮影者不明、1956年の愛楽園の映像。短いフィルムで外から撮影されただけの不思議な後味が残る。 No. 0841-06 タイトル:愛楽園 撮影メディア : 8mm Film/Color/16fps 編時間: 49s 撮影時期 : 1956年秋 主なロケ地 : 愛楽園 (沖縄県名護市) スキャン: Frame by Frame フィルムは撮影者不明。主に海外旅行の映像の一群の中にあった沖縄旅行の映像の最後に写されたもの。 名護近辺と思われる道路の映像から一転して、塀の向こうに何棟かの建物が並ぶ施設の前にやってくる。箱書きにあったように名護市にあるハンセン病患者の隔離施設として造られた国立療養所愛楽園の映像だとわかる。 » 国立療養所愛楽園 公式サイト » ハンセン病に関する主な出来事 | 厚生労働省 ▲畑の向こうに塀に囲まれた施設が見えてくる。 ハンセン病は伝染性の低い病気であるにも関わ

    【FILMS】愛楽園
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    zu2 2023/04/07
  • 【FILMS】ゴミ処理場

    何でこんな風景を記録したのだろうかと思うような映像が時々出てくるが、これもそういった一。撮影者の仕事と関係があったのだろうか。 No. 1086-00 タイトル:ゴミ処理場 撮影者:島袋光男(Mitsuo Shimabukuro) 撮影メディア : 8mm Film/Color/18fps 編時間: 16m54s 撮影時期 : 1974年 主なロケ地 : ? (沖縄県) スキャン: Frame by Frame 映像の提供は撮影者の息子さんから。撮影者は浦添市の役所勤めだったそうで、仕事の関係でフィルムを回したのかも知れない。 場所はゴミ処理所で、辺り一面にゴミが山積みとなっている。いたるところで火がついているようで、煙はもちろん炎も映し出されている。まるで地獄か、SF映画に登場する荒廃した未来の風景のようだ。 ▲フィルムではよくわからないが何かを発見したようだ。 ゴミの最終処分場と言

    【FILMS】ゴミ処理場
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    zu2 2023/04/04
    “但し前述のように撮影者は浦添市の職員である。もしかしたら浦添市のどこかかも知れないが、僕の記憶にはちょっと思いつくところがない。 どなたか情報があれば教えていただきたい所である”
  • 【FILMS】沖縄ボーイスカウト 南部地区競技大会

    ボーイスカウトの競技大会。場所は那覇商業高校のグランドである。 No. 0395-03 タイトル:沖縄ボーイスカウト 南部地区競技大会 撮影者:遠藤保雄(Yasuo Endo) 撮影メディア : 8mm Film/Color/18fps 編時間: 6m49s 撮影時期 : 1965年12月26日 主なロケ地 : 沖縄県立那覇商業高校 (沖縄県那覇市松山) スキャン: Frame by Frame いつもの集合地点から那覇商業高校に向かう子供たちの姿で映像はスタート。歩いている場所がどこだろうと悩んだが、よく見ると中央分離帯がある。この時代に那覇市内で中央分離帯と言われて最初に思いつくのは、行政府ビル(現在の沖縄県庁)から一号線(現在の国道58号線)に向かう通りくらい。那覇商業高校も近い。そうやってみると道の奥に見える店が沖縄タイムスビルの横にあった「沖縄植物園」であることに気がつく。ガラ

    【FILMS】沖縄ボーイスカウト 南部地区競技大会
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    zu2 2023/04/01
    “競技大会は那覇商業高校のグラウンドで清代に行われている” これは何のtypoだろうか?
  • 【FILMS】昭和の新潟1 アナモレンズ使用

    恐らく1960年ごろに撮影されたとおぼしき撮影者不明の映像です。非常に珍しいアナモレンズで撮影された動画。 No. 1389-00 タイトル:昭和の新潟1 アナモレンズ使用 提供者:外間政一郎(Seiichiro Hokama) 撮影メディア : 8mm Film/Color,B&W/16fps 編時間: 18h48m 撮影時期 : 1960年代 主なロケ地 : 新潟県ほか (新潟県) スキャン: Frame by Frame ********************************* 主なロケ地表示(Google Map表示) 新潟信用金庫山の下支店 / 新潟遊園 アナモフィックレンズ アナモレンズは正式にはアナモフィックレンズ。画面の縦横比を変えるための特殊なレンズです。このレンズで撮影すると、横長の縦横比を左右圧縮して、縦長の画像が記録されることになります。上映する時に映写

    【FILMS】昭和の新潟1 アナモレンズ使用
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    zu2 2023/03/31
    “その後も様々な場所が映し出されますので、ぜひ新潟県の方には見ていただき、コメント欄などに撮影地などの情報屋、思い出などをお聞かせいただければ幸いです”
  • 【FILMS】69KV送電線 那覇 架線工事

    電力工事シリーズ。1962年の架線工事の様子。黄色いハーフトラックが活躍するのがポイント。 No. 0046-00 タイトル:69KV送電線 那覇 架線工事 撮影者:遠藤保雄(Yasuo Endo) 撮影メディア : 8mm Film/Color 編時間: 25m44s 撮影時期 : 1962年1月4〜6日 主なロケ地 : (沖縄県) スキャン: Aerial Image 仕事の記録をとった高圧送電線の架線工事の様子。 ▲タイトルに撮影日などが書かれているのはありがたい。 細かい作業内容は見ていただきたい。素人目に見ていてもおもしろいのは、ワイヤーを巻いたドラムは、専用の台があるわけではなく、角材を組んで現場で作っている。必要なものは作れば良いとでも言いそうな、職人っぽさに魅かれてしまいます。 ▲ワイヤーを巻いたドラムの台は手作り。 まわりの風景はよくわからないのだが、撮影地は那覇と思わ

    【FILMS】69KV送電線 那覇 架線工事
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    zu2 2023/03/22
    これはさっぱり場所がわからない。川のようなものが遠景に写っているので、川だとしたら国場川??
  • 【FILMS】69KV送電線 基礎工事/上間変電所視察

    撮影者は戦後の沖縄で電気工事を行った技師。仕事の合間に撮影した電気工事の様子を記録している。 No. 0042-00 タイトル:69KV送電線 基礎工事/上間変電所視察 撮影者:遠藤保雄(Yasuo Endo) 撮影メディア : 8mm Film/Color 編時間: 7m35s 撮影時期 : 1961年 主なロケ地 : 上間変電所 (沖縄県那覇市上間) スキャン: Frame by Frame 戦後、米軍統治の時代に、あっという間に敷設された沖縄県の送電ラインは、那覇市を横切る幹線道路の軍道一号線(現 国道58号線)に沿って引かれていた。当時の映像は、同じ撮影者の記録した「泉崎から上之屋(1号線)」と「米軍のヘリからの空撮」で見ることができる。 しかし、そのルートのままでは、那覇市の開発において、大きな障壁となることが予想され、迂回工事をすることになったと言う。 1961年に那覇市の端

    【FILMS】69KV送電線 基礎工事/上間変電所視察
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    zu2 2023/03/10
  • 【FILMS】琉大新キャンパス 1980 No.1〜2

    前回に引き続き、移転間もないころの琉球大学新キャンパスの映像です。首里からの移転の途中で、まだまだ建設中の校舎、さっぱりとした周囲の様子など、現在と比較してお楽しみ下さい。 フィルムは2巻あり、つなげてアップロードいたしました。 No. 0767-00 タイトル:琉大新キャンパス 1980 No.1 撮影者:外間政一郎(Seiichiro Hokama) 撮影メディア : 8mm Film/Color/18fps 編時間: 3m26s 撮影時期 : 1980年6月 主なロケ地 : (沖縄県西原町) スキャン: Frame by Frame No. 0768-00 タイトル:琉大新キャンパス 1980 No.2 撮影者:外間政一郎(Seiichiro Hokama) 撮影メディア : 8mm Film/Color/18fps 編時間: 3m28s 撮影時期 : 1980年6月 主なロケ地

    【FILMS】琉大新キャンパス 1980 No.1〜2
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    zu2 2022/08/16
  • 【FILMS】メキシコサーカス(玉泉洞)

    行楽地の映像はいろいろありますが、その中でも際立っているのがこの「メキシコサーカス」。おそらくメキシコからやって来たと思われる動物サーカスの巡業風景が記録されています。 N0. 0290-00 撮影者 : 匿名 タイトル:メキシコサーカス Mexico Circus 編時間: 2m36s 主なロケ地 : 玉泉洞 (沖縄県南城市玉城前川) 撮影時期 : 1974年夏 撮影メディア : 8mm Film スキャン方式 : Frame by Frame 『メキシコサーカス」という手描きの看板。どこかのイベントステージであることは想像できましたが、長らく場所が不明でした。ところが上映会で披露したところ、観客の一人が独自調査で資料をみつけてくれました。 »『懐かしの沖縄 8ミリ映画のメキシコサーカス(1974年)』 上記のリンク先の記事により、「メキシコサーカスとおやこ動物園」が玉泉洞広場(現 沖

    【FILMS】メキシコサーカス(玉泉洞)
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    zu2 2022/08/14
  • 【NEWS】「八月十五夜の茶屋」沖縄公演のスチール発見

    1954年に沖縄で公演されたブロードウェイの演劇『八月十五夜の茶屋』(Tea House of the August Moon)の、宣伝スチールのようなものが、突如持ち込まれました。 『八月十五夜の茶屋』とは? 沖縄公演ポスター(クリックで拡大) 沖縄公演の二年後に封切られた1956年の映画版が有名です。大スターのマーロン・ブランドが沖縄の青年”サキニ”を演じるなど珍妙な作品ですが、原作はヴァーン・J・スナイダーの小説で、ブロードウェーで舞台化され好評を得た。 物語は第二次世界大戦終了直後の沖縄が舞台で、占領政策に苦労する米軍人と、したたかな沖縄の人々とのやり取りを描いたコメディ。 » 映画版『八月十五夜の茶屋』の解説 | ウィキペディア この芝居については上原栄子著『辻の花』の戦後のエピソードにも登場している。琉米親善のイベントとして企画され、米軍人の演劇経験者や、沖縄の芸能家、素人もま

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    zu2 2022/06/21
  • 【FILMS】戦後初の観光団〜ハワイからの帰省〜

    戦後最初の沖縄への民間人観光団が来たのは1950年3月。その様子を記録した貴重な8ミリ映画が存在する。同じくハワイ移民の上原亀千代氏の記録といわれている。 No. 1946-14 タイトル:戦後初の観光団〜ハワイからの帰省〜 撮影者:上原亀千代(Kamechiyo Uehara) 撮影メディア : VHS/Color/16fps 編時間: 8m34s 撮影時期 : 1950年3月 主なロケ地 : ホワイトビーチ (沖縄県) スキャン: Screen Process まず特徴的なのは、この映像が旅行団のカメラではなく、受け入れる沖縄側から撮られているということ。撮影者の上原亀千代は小禄村出身のハワイ移民。日系アメリカ人としてハワイで暮らしていたが、この旅行団よりも前に、沖縄入りしていた。 当時はハワイから豚、山羊、小学校への物資など、寄付を運ぶ目的に沖縄に来る民間人はいて、亀千代も何らかの

    【FILMS】戦後初の観光団〜ハワイからの帰省〜
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    zu2 2022/06/14
  • 【FILMS】社内ピクニック いんぶビーチ

    復帰直前の夏。社内のビーチパーティー。目的は恩納村いんぶビーチです。 No. 1868-00 タイトル:社内ピクニック いんぶビーチ 撮影者:山里景吉(Keikichi Yamazato) 撮影メディア : 8mm Film/Color/18fps 編時間: 9m58s 撮影時期 : 1970年6月12日 主なロケ地 : インブビーチ (沖縄県恩納村名嘉真) スキャン: Frame by Frame ********************************* 主なロケ地表示(Google Map表示) 沖縄県恩納村 泊港ターミナルビルの横にあった那覇港湾のビーチパーティー。会社の前に集合して出かけるところからスタートします。 ▲那覇市前島三丁目にある会社の駐車場から。 おもしろいのは移動手段がバスではなく会社の幌付きトラック。社員は荷台に座って一時間くらいは揺られていきます。今に

    【FILMS】社内ピクニック いんぶビーチ
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    zu2 2022/04/20
  • 【FILMS】清明祭

    もうみなさんはお墓参りは終わりましたか。復帰直前の1969年。那覇市天久の丘の上にあるお墓での清明祭の映像です。 No. 1400-00 タイトル:清明祭 撮影者:外間政一郎(Seiichiro Hokama) 撮影メディア : 8mm Film/Color/18fps 編時間: 3m24s 撮影時期 : 1969年4月13日 主なロケ地 : 那覇市天久の墓地 (沖縄県那覇市天久) スキャン: Frame by Frame ********************************* 主なロケ地表示(Google Map表示) 墓地 ロケ地は那覇市泊にある丘の上の墓地。泊港北岸の側にある、外人墓地の横から上った丘の上にある、那覇市を一望できる墓地。フィルムの後ろには、那覇市のパノラマもあります。今は泊大橋は横たわっていますが、当時はすっきりした海岸線がよくわかります。 ▲上がフィル

    【FILMS】清明祭
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    zu2 2022/04/20
  • 撮影:外間宏三 – 沖縄アーカイブ研究所

    那覇空港から飛び立ち、慶良間へ向かう小型機からの撮 […] 730の記録。膨大にとり溜めた730関連映像から7 […] 外間教授の730シリーズの一つ。タイトル通り、73 […] 1978年の道路交通法改正”730(ナ […] 奥武山運動公園のプールは現在も稼働しているけれど、 […] 小さな港から出発するグラスボート。現在も続く知念海 […] 国道58号線ではなく、沖映通りで行われた1977年 […] 旧校舎が残っていた時代の、那覇市立泊小学校での運動 […] 那覇市立泊小学校の旧校舎を壊した時の映像です。 N […] “730(ナナサンマル)” […] 1978年の道路交通法の改正、通称730(ナナサン […] 1分ほどのフィルムに三つのパンショット(横にカメラ […] 衝撃的なタイトルながら,沖縄では日常茶飯事でもある […] 海洋博覧会の翌年。沖縄県の観光の顔となっていた守礼 […

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    zu2 2022/01/18
  • 【FILMS】国際通り 金城時計店前

    No. 0695-03, 0695-05 タイトル:国際通り 金城時計店前 撮影者:金城真助(Shinsuke Kinjo) 撮影メディア : 8mm Film/Color/18fps 編時間: 2m37s + 0m58s 撮影時期 : 1971年ごろ 主なロケ地 : 国際通り (沖縄県那覇市牧志) スキャン: Frame by Frame 沖縄一の繁華街である国際通りの中ほどに建っていた金城時計店は、撮影者の職場であり自宅でもありました。生れて間もない我が子を抱っこする夫婦とその知人。 歳末大売り出しの旗がはためく、冬の晴れの日で、陽射しが心地よく、やや荒い画質ながらも、キレイな色合いの映像が楽しめます。 看板の感じや、人々のファッション、車の形など、そこはかとなく漂ってくる1970年代の空気感がたまりません。今は無くなったガードレールなんかも時代を繁栄していますが、並木がヤシでは無く

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    zu2 2021/09/21