中世の聖徳太子信仰は泥沼なので手をつけたくなかったのですが、事情があって調べざるを得なくなりました。その方面の最近の論文は、 堀 裕「掘り出される石の讖文―聖徳太子未来記と宝誌和尚讖―」 (佐藤文子・原田正俊・堀 裕編『仏教がつなぐアジア―王権・信仰・美術―』、勉誠出版、2014年) です。 堀氏は、太子の予言に関する研究史の紹介から始めます。そうした研究は戦前から始まってますが、『日本書紀』では「未然」を知るとされていただけであったものが、南岳慧思の生まれ変わりとされた宝亀10年(779)の『唐和上東征伝』では200年後に「聖教」が日本に興ると預言したことになり、平安時代の『上宮聖徳太子伝補闕記』『聖徳太子伝暦』では平安遷都などの予言もするに至ったことが指摘されています。 中世にはさらに「未来記」などと称される太子の予言が次々に現れますが、寛弘4年(1007)に四天王寺で発見されたとする
