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  • 聖徳太子の未来記と呼べるのは石製の「御記文」から:堀 裕「掘り出される石の讖文」 - 聖徳太子研究の最前線

    中世の聖徳太子信仰は泥沼なので手をつけたくなかったのですが、事情があって調べざるを得なくなりました。その方面の最近の論文は、 堀 裕「掘り出される石の讖文―聖徳太子未来記と宝誌和尚讖―」 (佐藤文子・原田正俊・堀 裕編『仏教がつなぐアジア―王権・信仰・美術―』、勉誠出版、2014年) です。 堀氏は、太子の予言に関する研究史の紹介から始めます。そうした研究は戦前から始まってますが、『日書紀』では「未然」を知るとされていただけであったものが、南岳慧思の生まれ変わりとされた宝亀10年(779)の『唐和上東征伝』では200年後に「聖教」が日に興ると預言したことになり、平安時代の『上宮聖徳太子伝補闕記』『聖徳太子伝暦』では平安遷都などの予言もするに至ったことが指摘されています。 中世にはさらに「未来記」などと称される太子の予言が次々に現れますが、寛弘4年(1007)に四天王寺で発見されたとする

    聖徳太子の未来記と呼べるのは石製の「御記文」から:堀 裕「掘り出される石の讖文」 - 聖徳太子研究の最前線
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    zu2 2024/12/20
  • 太子会、満州から献上された白鹿の写真を掲載して『大成経』の「聖皇本紀」を皇紀2660年に刊行 - 聖徳太子研究の最前線

    毎月ネット連載している「仏教のヨコ道ウラ話」に、先月は「「憲法十七条」は白い鹿の角の根にあった字に基づく?」(こちら)というエッセイを掲載しました。タイトルの通りで、『大成経』に収録された『五憲法』の由来話です。「根にあった」と書きましたが、鹿の角のどこに字があるかは、版によってさまざまでした。 『大成経』では、聖徳太子の主な事績は、第「三十六巻から三十八巻までを占める「聖皇紀」に書かれています。この「聖皇紀」は、延宝5年(1677)に江戸室町の書肆、戸嶋惣兵衛が刊行し、延宝7年にも(1679)にも出版されています。人気ぶりがわかりますね。 『大成経』は結局は禁書とされましたが、その人気は近代以後も続いており、四天王寺のすぐ側で太子会を組織して活動していたいた上西眞澄が熱烈に信奉しており、延年5年版の「聖皇紀」を皇紀2600年、つまり昭和15年(1940)に影印版で刊行しています。

    太子会、満州から献上された白鹿の写真を掲載して『大成経』の「聖皇本紀」を皇紀2660年に刊行 - 聖徳太子研究の最前線
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    zu2 2024/11/27
  • 雄略天皇時に全国支配、第一回の遣隋使の影響は限定的:榎本淳一「倭の五王と遣隋使」 - 聖徳太子研究の最前線

    前々回取り上げた大津氏編集のの中から、次に紹介するのは、 榎淳一「倭の五王と遣隋使」 (大津透編『日史の現在2 古代』、山川出版社、2024年) です。榎氏は東アジアの外交史の代表的な研究者の一人です。 このは、教科書に書かれていることを補足したり、新しい説を紹介するという立場で書かれているため、ここでも教科書の説明を示したうえで、最近の研究や自分の考えを述べています。 まず、倭の五王については、倭王が宋に欲張りな称号を求めたことが有名ですが、榎氏は、『宋書』倭国伝によれば、五王のうちの珍について「倭隋等十三人を平西・制虜・冠軍・輔国荘厳の号に除正せんことを求む」とあり、配下の者たちにも将軍の号を求めたことに注意します。 つまり、五王の朝貢は、自らが安東大将軍に任じられて朝鮮諸国に誇示するためだけでなく、配下にあった国内の有力者たちを序列化しようとしていたという点に着目するので

    雄略天皇時に全国支配、第一回の遣隋使の影響は限定的:榎本淳一「倭の五王と遣隋使」 - 聖徳太子研究の最前線
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    zu2 2024/11/27
  • 高句麗の影響も受けた神聖な王族の血統意識:小宮秀陵「6世紀新羅における大王号の使用とその意義」 - 聖徳太子研究の最前線

    小宮秀陵「6世紀新羅における大王号の使用とその意義」 (佐川英治編『多元的中華世界の形成―東アジアの「古代末期」―』、臨川書店、2023年) です。小宮氏は、ソウル大学で学位を得た朝鮮古代史研究者です。 新羅は高句麗に従属していた状態から脱し、高句麗に対抗できる国家として自立すると大王(太王)を名乗るようになります。この王号に関連して様々な改革がなされますが、この問題を検討したのが、 です。小宮氏は、ソウル大学で学位を得た古代朝鮮史の研究者です。 新羅で大王号が用いられたのは、智証王の時代(500-514)からです。智証王は503年に臣下たちから「新羅国王」という尊号を献上され、新羅が成立します。臣下の奏上では、「羅」については、「四方を(網)羅するの義」と述べていました。つまり、小中華ですね。 それ以前、中国北地を押さえていた苻堅は、初めは皇帝を名乗らず、「天王」と称していました。また、

    高句麗の影響も受けた神聖な王族の血統意識:小宮秀陵「6世紀新羅における大王号の使用とその意義」 - 聖徳太子研究の最前線
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    zu2 2024/11/27
  • 和語の「ミコト」から「天寿国繍帳銘」を考えてみる:新川登亀男「「ミコト」と「尊」「命」字称の成り立ち」 - 聖徳太子研究の最前線

    2023年2月に亡くなった早稲田大学名誉教授、新川登亀男氏は、古代の天皇制に関するを出す予定で準備していたものの、体調の悪さなどもあって実現しないまま終わった由。 ただ、出版社である吉川弘文館に渡していた原稿がかなりあったため、大学の同僚である川尻秋生氏を中心として友人や教え子たちが協力し、未定稿や書きかけのものについて形式面の統一や典故の確認その他、最低限の加筆・訂正をおこなった結果、刊行されたのが、 新川登亀男『創られた「天皇」号―君主称号の古代史』 (吉川弘文館、2024年6月) です。こののうち、冒頭の「Ⅰ 二度創られた「天皇」号」については、このブログでも以前、紹介したことがあります(こちら)。今回、いくつかの論考を紹介しますが、最初は、「Ⅳ 「ミコト」と「尊」「命」字称の成り立ち」です。 「刊行にあたって」で秋尻氏も述べているように、「文章のつながりの悪いところや、不完全な

    和語の「ミコト」から「天寿国繍帳銘」を考えてみる:新川登亀男「「ミコト」と「尊」「命」字称の成り立ち」 - 聖徳太子研究の最前線
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    zu2 2024/10/24
  • 王号・国王号を東アジアの視点で再考する:金子修一「唐以前の東アジア諸国に授与される称号の特質について」 - 聖徳太子研究の最前線

    推古朝の天皇号について考えるには、当時の諸国の王の号について検討する必要があります。それをおこなったのが、 金子修一『古代東アジア世界史論考―改訂増補 隋唐の国際秩序と東アジア』「第四章 唐以前の東アジア諸国に授与される称号の特質について」 (八木書店、2019年) です。 「東アジア」というのは、戦後になって使われるようになった概念であり、中国・朝鮮・日を東アジアとみなし、冊封体制という観点からその特徴を論じたのが西嶋定生でした。この主張は一時期は通説となっていたものの、近年になっていろいろ批判されるようになり。現在では北方や西方の遊牧民族を重視した東ユーラシア世界といった枠組みも用いられるようになっています。 金子氏は、恩師である西嶋氏の説の問題点も考慮したうえで、中国・朝鮮・日という領域はやはり特殊な性格を共有していると見ます。その検討の手がかりとなったのは、中国が諸国に与える称

    王号・国王号を東アジアの視点で再考する:金子修一「唐以前の東アジア諸国に授与される称号の特質について」 - 聖徳太子研究の最前線
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    zu2 2024/10/24
  • 「偽作の『五憲法』と『先代旧事本紀大成経』関連」のブログ記事一覧-聖徳太子研究の最前線

    2025年3月16日、東北大学で『大成経』シンポジウムが開催されました。日の近代仏教研究をリードしている一人であって、このブログでも紹介したオカルト的な聖徳太子観の歴史を追いかけ『隠された聖徳太子』(リンク)を出したオリオン・クラウタウさんの企画です。 東北大学大学院国際文化研究科の准教授であるクラウタウさんは、現在、東北大学学術資源公開センター資料館助手の曽根原理さん、そして私と科研費研究「憲法作者としての聖徳太子」に取り組んでおり、今回はその成果研究報告の一部として、『大成経』シンポジウムを東北大学の日学研究会学術大会と連動して以下のように対面とリモートのハイブリッドで開催したわけです。 残念なことは、科研費の共同研究者であり、このブログでも紹介したように『大成経』研究の代表者の一人であった曽根原さん(こちら)が、闘病中の身で『大成経』関連の文献を含む、 曽根原理・W.J. ボート

    「偽作の『五憲法』と『先代旧事本紀大成経』関連」のブログ記事一覧-聖徳太子研究の最前線
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    zu2 2024/05/02
  • 中華意識を持ったアジア諸国の一つとしての倭国:川本芳昭「《日本側》七世紀の東アジア国際秩序の創成」 - 聖徳太子研究の最前線

    中国中華意識は有名ですが、実は、中国北地の北方遊牧民族国家や中国周辺の国家の中にも、中華意識を持っていた国はいくつもあります。そうした国々と比較しつつ、倭国について検討したのが、 川芳昭「《日側》七世紀の東アジア国際秩序の創成」 (北岡伸一・歩 平編『「日中歴史共同研究」報告書 第1巻 古代・中近世史篇』、勉誠出版、2014年) です。日中国韓国は、歴史観の違いによってこれまでいろいろな問題が起きてきましたが、このは書名が示すように、日中国の学者が協議してそれぞれの視点を示し、ともに認めることができる事実を明らかにしようとした試みの一つです。川氏は、外交面などに注意している東洋史学者です。 川氏のこの論文の次には、王小甫「《中国側》七世紀の東アジアの国際秩序の創成」が掲載されています。このように、諸国の研究者がそれぞれの視点で意見を出し合い、協議していくことが大事です

    中華意識を持ったアジア諸国の一つとしての倭国:川本芳昭「《日本側》七世紀の東アジア国際秩序の創成」 - 聖徳太子研究の最前線
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    zu2 2024/05/01
    “聖徳太子関係を含め、トンデモ説や闇雲な日本礼賛主張者は、様々な史料をきちんと読まず、自説に有利な箇所だけを切り貼りして妄想をくりひろげるタイプばかりですので、文献派の海外の研究者からは相手にされませ
  • 古代日本は家族が未成立、中国と違って直系相続の意識無し:官文娜「日本古代社会における王位継承と血縁集団の構造」 - 聖徳太子研究の最前線

    前回、日中を比較して「朝政」の検討をした馬豪さんの論文を紹介しましたので、同様に中国人研究者による日中比較の論文を紹介しておきます。 官文娜「日古代社会における王位継承と血縁集団の構造-中国との比較において-」 (『国際日文化研究センター紀要』28号、2004年1月) です。20年前の論文ですが、この方面の論文は以後、あまり見かけないため、取り上げることにしました。 官氏は、冒頭で「日古代社会には有力豪族による大王推戴の伝統がある」と断言し、大伴氏・物部氏・蘇我氏・藤原氏らは次々に王位継承の争いに巻き込まれ、その勢力は関係深い王の交代によって増大したり衰えたりしたことに注意します。 そして、6~8世紀には、王位継承をめぐる豪族同士の争いにおいて非業の死をとげた皇族が10数人以上におよぶのに対し、古代の中国では、王位をめぐる争いは常に統治集団内部の権力闘争だったと官氏は述べます。 中国

    古代日本は家族が未成立、中国と違って直系相続の意識無し:官文娜「日本古代社会における王位継承と血縁集団の構造」 - 聖徳太子研究の最前線
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    zu2 2024/04/26
  • 『日本書紀』の守屋合戦に続く敵将と忠犬の記述こそ語りものの元祖、編者は元資料を貼り込んだだけ:石井公成「お説教でない仏教説話」 - 聖徳太子研究の最前線

    葛西太一さん、瀬間正之さん、森博達さんと、『日書紀』の語法に関する論文が続きましたが、今回は私の番で、 石井公成「お説教でない仏教説話」 (『日文学研究ジャーナル』第29号、2024年3月) です。「仏教説話」特集の冒頭のエッセイを依頼されたため、「ですます調」の気楽な感じで書いておきました(PDFは、こちら)。 仏教説話というと、仏教関連の興味深い話を紹介し、最後に教訓となるよううな言葉を述べるというのが通例です。ただ、仏教的な題材であっても、興味深いだけで最後に教訓が述べていない場合は、仏教説話と呼べるのか。 こうした点についていくつか例をあげて検討した後、取り上げたのが『日書紀』の守屋合戦の記事です。この記事では、厩戸皇子と馬子が造寺を誓って誓願すると、敵を打ち破ることができたとし、合戦がおさまった後、「摂津の国に四天王寺を造る。大連の奴の半ばと宅とを分け、大寺の奴・田荘とす」

    『日本書紀』の守屋合戦に続く敵将と忠犬の記述こそ語りものの元祖、編者は元資料を貼り込んだだけ:石井公成「お説教でない仏教説話」 - 聖徳太子研究の最前線
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    zu2 2024/04/04
  • 守屋合戦と「憲法十七条」に見える「自敗」は巻13以前の用例とは性格が異なる:葛西太一「自敗自服する賊虜と日本書紀β群の編修」 - 聖徳太子研究の最前線

    このところ、聖徳太子に関わる論文を含めた古代史のが続いて刊行されていますが、面白いのは、以下の2冊が偶然ながらともに2月26日に出版され、同じ日に献が届いたことです。 一つは、山下洋平さんの『日古代国家の喪礼受容と王権』(汲古書院、2024年)です。山下さん、有難うございます。「憲法十七条」における『管子』の影響を論じた山下さんのすぐれた論文は、このブログでも紹介しましたが(こちら)、その論文も収録されています。最近、考古学の発見が続いているだけに、古墳や墓の変化と中国から受容した喪礼がどう関わるかは重要な問題ですね。 もう一冊は、『日書紀』の編纂について語法の面で論じた論文集であって、このブログで取り上げた上智大学国文学科の瀬間正之さん(こちら)と葛西太一さん(こちら)の論文が収録された、小林真由美・鈴木正信編『日書紀の成立と伝来』(雄山閣、2024年)です。瀬間さん、葛西さん

    守屋合戦と「憲法十七条」に見える「自敗」は巻13以前の用例とは性格が異なる:葛西太一「自敗自服する賊虜と日本書紀β群の編修」 - 聖徳太子研究の最前線
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    zu2 2024/03/13
  • 過去の共生思想運動において国家主義に利用された「憲法十七条」 - 聖徳太子研究の最前線

    アメリカの大富豪であるニコラス・バーグルエンの財団は、美術コレクションや文化財保護その他の多彩な活動をしていますが、そのうちのバーグルエン研究所は、政治・社会面の対立が続く21世紀の状況の改善に役立つような新たな哲学を摸索しており、哲学におけるノーベル賞となるべくバーグルエン哲学・文化賞を創設し、毎年、「人間の自己理解の形成と進歩」に貢献した思想家に授賞しています。 評論家の柄谷行人がアジア人初の受賞者に選ばれ、2023年4月に表彰されて賞金100万ドルを得たことで話題になりましたね。 このバーグルエン研究所は、東西交流による思想の発展をめざしているため、中国の大学などに拠点を置いて大がかりなシンポジウムを開催し、論文集を刊行しています。このところ力を入れているテーマが「共生」の問題です。 その研究活動の一環として、昨年12月に中国の北京大学で「共生」シンポジウムを開催する予定でしたが、い

    過去の共生思想運動において国家主義に利用された「憲法十七条」 - 聖徳太子研究の最前線
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    zu2 2024/03/02
  • 『日本書紀』は和語の伝承を漢文化したものとされ、古訓では復元のつもりで和語を創作:福田武史「『日本書紀』の訓読がもたらしたもの」 - 聖徳太子研究の最前線

    現在、「憲法十七条」のを執筆中ですが、悩むのは訓読をどうするかです。平安時代の古訓を載せるのか、国語学者の協力を得てさらに考察し、より古い形を復元するよう努めるのか、太子当時の訓み方を示すのは諦め、現代の普通の形の訓読にするのか。 その点、参考になるのが、2021年に刊行された神野志隆光・金沢英之・福田武史・三上喜孝訳・校注『新釈全訳日書紀』上巻(講談社)です。このは原文と現代語訳はのせていますが、工夫された訓読は付されていません。そうなった理由を述べたのが、共著者の一人による、 福田武史「『日書紀』の訓読がもたらしたもの」 (『和漢比較文学』第71号、2023年8月) です。 福田氏は、『新釈全訳日書紀』の解説では、中国人のように読むことを主張した吉川幸次郎が、『尚書正義』では従来の漢文訓読法に執着する必要はないとし、原文と現代語訳だけにしたことにならったと、と記してあるという

    『日本書紀』は和語の伝承を漢文化したものとされ、古訓では復元のつもりで和語を創作:福田武史「『日本書紀』の訓読がもたらしたもの」 - 聖徳太子研究の最前線
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    zu2 2024/03/02
    “いずれにしても、『日本書紀』は中国の史書を切り貼りして人名のところだけ変えたようか箇所もかなりありますので、古代の日本語で書かれていたように復元するというのは「虚構」なのです”
  • 「嘘を積み重ねても学問にならないのですよ」と言いつつ嘘を語った講演CD:大山誠一『創作された聖徳太子像と蘇我馬子の王権』(1) - 聖徳太子研究の最前線

    「<聖徳太子>はいなかった」という大山説が学界でまったく相手にされなくなって10年以上たちますが、面白いものを入手しました。 大山誠一『創作された聖徳太子像と蘇我馬子の王権』 (CD2枚組:アートデイズ、2011年) こんな講演CDが出ていたとは知りませんでした。聞いてみたら、聖徳太子に関する資料は後代に捏造されたものばかりだが、学問というのは「真実を追求するもの」であるため、「嘘を積み重ねてもですね、学問にはならないのですよ」と言いながら、嘘をいくつも語っていました。 ある文献を610年頃と見るか、630年頃と見るか、650年頃と見るかというのは意見の違いであって、いろいろな説がありえます。ただ、一人だけ720年頃と主張する人がいたら、かなり強引な説ということになりますが、まったくあり得ないわけではありません。 しかし、文献に書いてないこと、それも学界の常識と異なることを「この文献は~と

    「嘘を積み重ねても学問にならないのですよ」と言いつつ嘘を語った講演CD:大山誠一『創作された聖徳太子像と蘇我馬子の王権』(1) - 聖徳太子研究の最前線
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    zu2 2024/01/24
  • スメラミコトは天皇の訓であって須弥(スメール)山に基づくとする学問的な主張:森田悌「天皇号と須弥山」 - 聖徳太子研究の最前線

    このブログは、「聖徳太子研究の最前線」という名ですので、この10年以内、できればこの数年内の論文や研究書を紹介するようにしてきましたが、それらについてコメントしていると、かなり前の研究が問題になることもあります。その一例が、 森田悌『天皇号と須弥山』「天皇号と須弥山」 (高科書店、1999年) ですね。森田氏のこの説については、これまで何度か言及したことがあるものの、20数年前の論文であるため、詳しく紹介してませんでしたが、前々回の記事で須弥山と天皇の関係に触れましたし、天皇号の問題は以後も未確定のままですので、ここで紹介しておきます。 森田氏は、天皇以前の倭王の称号としては「大王」とされることが多いが、大王は皇族中の有力な人に対しても用いられているため、「治天下」という語と結びつけられることによって倭王の立場を示すとします。そして、前後の文脈からそれが分かる場合は、「治天下」の語が省かれ

    スメラミコトは天皇の訓であって須弥(スメール)山に基づくとする学問的な主張:森田悌「天皇号と須弥山」 - 聖徳太子研究の最前線
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    zu2 2023/12/18
  • クラスター分析で『日本書紀』区分論を見直し、巻でなく天皇ごとの検討を提唱:松田信彦「日本書紀「区分論」の新たな展開」 - 聖徳太子研究の最前線

    森博達さんの区分論と加筆の指摘は、『日書紀』研究に圧倒的な影響を与えました。私が三経義疏の変格漢文研究などを始めたのもその影響です。 ただ、同じ巻の中でも天皇によって記述の形が違う場合があるのが気になっており、基づいた史料の違いかと思っていたのですが、この点についてクラスター分析を用いて検討した研究が出ています。 松田信彦『『日書紀』編纂の研究』「第四部第二章 日書紀「区分論」の新たな展開-多変量解析(クラスター分析)を用いて-」 (おうふう、2017年) です。 松田氏は、「序 研究史と問題点の整理」において、これまでの区分論は、別伝注記の用語、分注の偏在、歌謡表記に用いられた仮名、様々な用語、多義性のある漢字の用法、漢籍の出典、助動詞的な用字、などに注目して区分分けしてきたと述べます。 その結果、ほとんどの研究結果が、巻13(允恭・安康)と巻14(雄略)の間で区分の線を引くことで

    クラスター分析で『日本書紀』区分論を見直し、巻でなく天皇ごとの検討を提唱:松田信彦「日本書紀「区分論」の新たな展開」 - 聖徳太子研究の最前線
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    zu2 2023/12/18
  • 『日本書紀』同様に作為のある『隋書』、意外に史実を伝えた面もある『日本書紀』:石井正敏「『日本書紀』隋使裴世清の朝見記事について」 - 聖徳太子研究の最前線

    私が長らくやめていた聖徳太子研究に復帰し、大山説批判に乗り出してまだ数年の頃、2011年に藝林会の第5回学術研究大会としておこなわれたシンポジウム「聖徳太子をめぐる諸問題」に参加しました。 このシンポジウムでは、所功氏の司会のもとで、武田佐知子、石井正敏、北康宏の諸氏と私が発表して相互討議をおこない、翌年、他の研究者が書いた聖徳太子関連論文とともに『藝林』第61巻2号に掲載されました(諸氏の論文の一覧は、こちら。私の論文は、こちら)。 その石井正敏氏は、温和な様子で文献を着実に検討しておられましたが、残念なことに2015年に亡くなってしまっため、知友が編纂して著作集を出しており、その中にこの時の発表に基づく論文が収録されています。 石井正敏『石井正敏著作集第一巻 古代の日列島と東アジア』「『日書紀』隋使裴世清の朝見記事について」 (勉誠出版、2017年) です。 『日書紀』は編纂時の

    『日本書紀』同様に作為のある『隋書』、意外に史実を伝えた面もある『日本書紀』:石井正敏「『日本書紀』隋使裴世清の朝見記事について」 - 聖徳太子研究の最前線
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    zu2 2023/12/18
  • 物部守屋はマヘツキミ層から孤立していた?:篠川賢『物部氏の研究』 - 聖徳太子研究の最前線

    蘇我氏が勃興する以前、最も強大であった豪族、物部氏については研究が進んできており、その代表例の一つが、 篠川賢『物部氏の研究【第二版】』 (吉川弘文館、2009年) です。この研究書は広範な時代を扱ってますが、ここでは「第三章 物部氏の盛衰」のうち、「第二節 物部氏の衰退」を紹介します。 まず、「1 物部守屋と蘇我馬子」では、敏達紀に見られる記事から検討を始めます。敏達元年四月是月条では、「物部弓削守屋大連」を元の通りに大連に任じたとあります。 その前の欽明朝では、当初の大連は物部尾輿でしたが、尾輿の名は崇仏論争の後、見えなくなります。このため、それ以後のどこかの時点で、守屋が大連を受け継いだことになります。尾輿と守屋については、後の文献では父子としますが、篠川氏は確定はできないと述べ、物部氏の長がこの家系に固定されていたと見ることもできないと説きます。 これは妥当な見解ですね。天皇にして

    物部守屋はマヘツキミ層から孤立していた?:篠川賢『物部氏の研究』 - 聖徳太子研究の最前線
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    zu2 2023/10/05
  • 阿毎多利思比孤という名を検討する:新川登亀男「倭の入隋使(第一回遣隋使)と倭王の呼称」 - 聖徳太子研究の最前線

    古代史家であって聖徳太子研究に力を入れていた新川登亀男氏が、今年の2月に亡くなりました。新川さんは、『上宮聖徳太子伝補闕記』の着実な文献研究でスタートしておりながら、福永光司先生が巻き起こした強引な道教ブーム(こちら)に飛びつき、「あれも道教、これも道教」と論じる軽率な日史研究者の一人となるなったことが示すように、時々困ったこと書く場合があったものの(たとえば、こちら)、聖徳太子の受容を跡づけた『聖徳太子の歴史学』のような好著も出していました。 また、若い頃、大分大学など九州で勤務していたこともあってか、韓国との関係など、古代日海外交流についても取り組み、韓国の学者たちを招いた共同研究のプロジェクトを組織するなどしていたことも、功績の一つでしょう。 その新川さんが、開皇20年(600)の第一回目の遣隋使について検討し、特に倭王の名について論じたのが、 新川登亀男「倭の入隋使(第一回遣

    阿毎多利思比孤という名を検討する:新川登亀男「倭の入隋使(第一回遣隋使)と倭王の呼称」 - 聖徳太子研究の最前線
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    zu2 2023/10/05
  • いま時、道慈が『日本書紀』の聖徳太子関連記事を書いたとする時代遅れの概説:水口幹記「道慈」 - 聖徳太子研究の最前線

    『人物で学ぶ日古代史1 古墳・飛鳥時代』の次に出た『人物で学ぶ日古代史2 奈良時代篇』(吉川弘文館、2022年)では、『日書紀』編纂および「聖徳太子はいなかった」説がらみで言うと、藤原不比等、舎人親王、道慈、長屋王その他が取り上げられています。 その中で見逃すことができないのが、 水口幹記「道慈ー奈良仏教の礎を築いた僧侶ー」 です。 水口氏は、天文・陰陽の術や日中交渉を初めとして幅広い分野を研究されているものの、古代日の仏教に関する論文はおそらく書いていないと思います。つまり、この「道慈」という項目は、専門でない分野の人物を担当させられているのであって、気の毒なのですが、このブログとしては聖徳太子に関する記述としては無視できないため、問題点を指摘させてもらいます。 まず、道慈が滞在していた可能性が高い長安の西明寺について、空海・円載・円珍・真如などの日僧が続々と訪れているため、日

    いま時、道慈が『日本書紀』の聖徳太子関連記事を書いたとする時代遅れの概説:水口幹記「道慈」 - 聖徳太子研究の最前線
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    zu2 2023/01/12