ブックマーク / cauchym.hatenablog.com (5)

  • 自分は自分であるというただ一点で何よりも尊い。についてのお話 - こしし(cauchym史)

    この増田(「馬鹿ね、そんなくだらない理由で人を殺したの」)に対して思うところがあってブクマしたところ、 「馬鹿ね、そんなくだらない理由で人を殺したの」 誰を憎めばいいですか→自分ですってのと同じロジックで「そのままでいいんだよ」って誰が言うんですか→自分 とならないのがふしぎ。自分は自分であるというただ一点で何よりも尊い。/書いた <a href="http://goo.gl/5QsxTy" target="_blank" rel="noopener nofollow">http://goo.gl/5QsxTy</a>2015/09/28 22:44 b.hatena.ne.jp 続く増田(続:「馬鹿ね、そんなくだらない理由で人を殺したの」)にて以下のように言及された。 かコメントで、『誰を憎めばいいですか→自分ですってのと同じロジックで 「そのままでいいんだよ」って誰が言うんですか→自分

    自分は自分であるというただ一点で何よりも尊い。についてのお話 - こしし(cauchym史)
    zuiji_zuisho
    zuiji_zuisho 2015/09/30
    『柔道部物語』で試合に勝つためのメントレとして「俺ってストロングだぜ~」と叫べってのがあるんだけど、バランス取るために並行して「俺って馬鹿だぜ~」もやれって言うのね。馬鹿らしいがこれが全てだったりする
  • 動物園で象の写真撮った後、「象年のときはこれ使おう」言うたらやや受けでした - こしし(cauchym史)

    以上です。

    動物園で象の写真撮った後、「象年のときはこれ使おう」言うたらやや受けでした - こしし(cauchym史)
    zuiji_zuisho
    zuiji_zuisho 2015/01/16
    なにこれパクろう
  • 包丁を押し当てて、押し当てて押し当てて。 - こしし(cauchym史)

    料理をする人やリストカッターケンイチくんならわかると思うけど、包丁を押し当てるだけでは、ものは切れない。重力方向に力を入れても切れない。水平方向に押すか引くかして初めて切れるのだ。柔らかくて大事な部分に包丁を当てたとて、グッと押し当てたとて、押し引きさえしなければ、皮が破れ、血が流れることはない。 以前私がハマっていた表現に、「包丁を振り回す」というのがある。社会や人に影響を与えたり、言葉を投げかけたり、とにかく何らかのアクションを起こすのはおこがましいことで、来はすべきでないことである、あるいは細心の注意を払う必要がある。そういう風に考えていたのだろう。いずれも意味がちょっと良くわからないけど昔の私はこんなことを言っている。包丁好きだった。 愛するひとがいますかって話で 愛し方の問題で 包丁を持つ勇気が必要やったりする すなわち自分の間合に入れて同時に相手の間合に入るということ その中

    包丁を押し当てて、押し当てて押し当てて。 - こしし(cauchym史)
    zuiji_zuisho
    zuiji_zuisho 2015/01/13
    刺すように突けば刺さらずとも腕を引いて戻す時に相手の皮膚を切れることもあるので包丁は大変効率的で良いと祖父からは聞き及んでおります。
  • 2014年,知識も素養も筋力も経験も無いこーしーがよく聞いた曲10選 - こしし(cauchym史)

    (アルバム10選はこちら。合わせてお読みください。) 2014年によく聞いた音楽を挙げたい。1曲単位で聞いていたものから10個。音楽的にどうのこうのを語る知識も素養も筋力も経験もないので,自分がいかにして出会ったかと単なる感想,どういうときに聞きたくなるか,などに留める。当は,読んだだけで聞いてみたくなるような藝のある評が書きたいのだけれど。CDを買ったわけではない曲もあり,お金を出していないのに順位をつけるというのもおこがましいので順番は適当です。(感想はええんかい) 岡村靖幸 w 小出祐介『愛はおしゃれじゃない』 とにかくカッコ良い。youtubeのこの動画の小出さんが入ってくる箇所がカッコ良すぎてBBBの音源を聞き直したくらい。2014年は,岡村靖幸の活動が活発で良い年だったように思う。 でんぱ組.Inc 『サクラあっぱれーしょん』 ドラマ「最高の離婚」で出演しているなあと思いつつ

    2014年,知識も素養も筋力も経験も無いこーしーがよく聞いた曲10選 - こしし(cauchym史)
  • 他人によるエピソードは豊穣の大地かもしれない - こしし(cauchym史)

    先日,内定先の同期が別の同期を評して,どちらかというと褒めた後で「〜けど,あいつ飲み会で死ぬほど酔っ払って街路樹に立ちションしてたけどな」と言っていた。強烈な印象を覚えた。彼のことがにわかに身近に感じられたし,何か心に残るものがあったのだ。そしてそれは,決して私が立ちションに親しみを覚えているからではない。このエピソードの是非はさておき,人となりを表し,新たに紹介する手段として,他人による一つのエピソードは非常に有効なのだなと実感したからである。 普通人を紹介する際には,紹介者との関係性,その人の所属や経歴,過去に成し遂げた大きなこと,などを説明するように思う。それらのどこか現実的でないともとれるタグや断片的な情報は白いところに白で字を書いているようなもので,それに比べて「こういう時にこういうことをする(した)人間です」というエピソードは,たとえ短くとも際立っている。息遣いが聞こえるかのよ

    他人によるエピソードは豊穣の大地かもしれない - こしし(cauchym史)
    zuiji_zuisho
    zuiji_zuisho 2014/12/02
    つまりここから導き出される結論は、「みんなもっと俺のこと喋ってくれ」(自分好きか)
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