ブックマーク / fktack.hatenablog.jp (59)

  • 遅刻した - 意味をあたえる

    会社へ行くのに遠回りしたら遅刻した それは時間のかかるルートだったから遅刻するのは当たり前だったが朝いつも寄るコンビニを出たときに側面のガラスから差し込む日がまぶしかったため太陽は昨日よりも低い位置だと判断した 低いということはまだ早い時間なので遠回りしても間に合うだろうと思ったのである そうしたら橋のとちゅうで前の車がまったく動かなくなってしまった 私の通勤路は途中に橋がある 川の上流に目を向け目を細めると私がふだん通るほうの橋がありこちらは車がすいすい通っている 選択ミスである ようやく渡り終えると今度は後ろから救急車がきた 家を出るときにかけたパスピエのアルバムがもう最後のほうの曲になっていて焦った このアルバムが何分あるか知らないがアルバムはだいたい一枚一時間だからもうすぐ一時間経過するということである しかしアルバムが一時間みたいな暗黙の了解のせいで多作の人はいいがそうでない人は

    遅刻した - 意味をあたえる
    zuiji_zuisho
    zuiji_zuisho 2018/01/11
    アルバムの話してる時に「捨て曲」って言葉使うとムッとする人いるけど「はっ?」て顔で返す。本人が「全部頑張りました」って言って本気でそう思っててもそうじゃないことなんざ、なんぼでもあるし。
  • スマホの充電がへらない - 意味をあたえる

    ここのところスマホの充電が減らなくて困っている。減りすぎて困る人の多いご時世だが、私としては15%を切ったカツカツの状態から充電しないとすっきりしない性分で、最近では朝100%で出かけると寝るときに50を切るか切らないかくらいで気持ち悪い。単純に考えれば1日で50なのだから、2日持つ計算になるが、これには寝ている時間が考慮されていない。寝ている間に20から30くらい消費されてしまうのだ。私が寝過ぎなのか。そうすると二日目が心許ない。あとこの前初めて25くらいでいきなり電源が切れた。特に驚く現象でもないが、出先でこれに遭遇すると困る。あきらめて寝る前に必ず充電を差せばいいのだが、どうもバッテリーに無理をさせているような気がしてならない。私としては寝ている間に充電されるのは極めて効率的なのだが、昔満充電に関わらず充電し続けるのはバッテリーの寿命を短くするみたいなことを読んだ。タイマーで切れるコ

    スマホの充電がへらない - 意味をあたえる
    zuiji_zuisho
    zuiji_zuisho 2017/01/05
    検索したら歯切れ良すぎて逆に信用しにくい親切な人を見つけた。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14154593134 /これ、丁寧に取材して正解を記事にしたら200%バズる話題だと思う。
  • 腰痛とオーディオはどこか似ている - 意味をあたえる

    私が初めて聴いたジャズアルバムはジャック・ディジョネットの「スペシャル・エディション」でそれは借りた物をコピーして聴いていたが、その後に初めて私はジャズのアルバムを買い、それらジョン・コルトレーンの「ライブ・アット・ヴィレッジヴァンガード」だった。それで数年後にコピーした方は処分し、今思うととっておけば良かったと思うがまたききたくなったから、今度はiTunesで購入して聞いている。何が言いたいのかと言うと、買った音楽と借りた音楽は聞こえに差があるのか? ということである。私は別にあとから買った「スペシャル・エディション」の方が音が良かったとかそういう風には思わなかったが、一般的には買った方が音がいいと言われている。私がCDやカセットを処分したのはおそらく5年くらい前で、理由は買った音楽の方がよく聞くからであった。結婚してすぐに私は大きめのCDのラックを購入し、いつかそれを埋めてやろうと思い

    腰痛とオーディオはどこか似ている - 意味をあたえる
    zuiji_zuisho
    zuiji_zuisho 2016/10/25
    なるほど、じゃあ病を気で治すための隙間は医療のロジックを捨てるのではなく生きたい理由死にたくない理由を整理して作るのが良い、と考えればいいわけか。
  • 文章が下手になった - 意味をあたえる

    仕事でメールを書く機会が多くなり、思っていることがうまく文字にできず苦労する。そんなときは一行目と二行目を入れ替えるとうまくいったりする。苦労するというのは、つまり私は周りに仕事のできるやつと思われたい、という姿勢の現れだろうか。相手を気遣うと「なに言ってんですか?」みたいな返事が来る。私は電話の方が手っ取り早いというタイプだ。しかし最近ではしゃべっていても結局なにが言いたいんだ? みたいなことが多い。もともと私は前もってしゃべることを考えても、しゃべりながらそのとき思ったことを無理やり入れ込んでしまうことが多く、そういう脳直結のリアルタイムでしゃべれることが私の売り、と思っている節がある。だけれどもそっちの後からのほうに熱を入れ込んでしまうと、元来た道がわからなくなってしまう。黙っていると相手が取り持ってくれたりするから、会話と便利な装置だ。 私が喋るのが下手になった、あるいは文章が下手

    文章が下手になった - 意味をあたえる
    zuiji_zuisho
    zuiji_zuisho 2016/08/30
    "私の記憶は極めて整然として正確無比だった" そう言う話であれば仕方ないな。
  • 彼岸島 感想 - 意味をあたえる

    昨日の記事を書き終わった後に、Twitterで報告する場面で私は、 「彼岸島も続きが読みたいと思ったがあれは裸が多くて」 とコメントした。実は昨日の記事は「いぬやしき」と、タイトルだけで書いているうちに彼岸島のことばかりを書くだろうと私はぼんやり予想していたのだが、予想は裏切られた。裏切られた、というか「いぬやしき 感想」なんてタイトルにしてしまったから、いぬやしきとは人気のマンガだから感想と宣言した手前ちゃんと書かないと、怒られるような気がしたから、うまく脱線できず、結果イヤイヤいぬやしきについてどうこう書かなければならなかった。だから今日は彼岸島について書こうと思うが、やはりタイトルを「 感想」としてしまったからイヤイヤ書く。 私は彼岸島を四巻か五巻まで読んだが、やたらと女の裸と失禁シーンが多くて、 「これはどうしたものか」 と、困ってしまった。私がもし、大人だらけの家に住んでいるなら

    彼岸島 感想 - 意味をあたえる
    zuiji_zuisho
    zuiji_zuisho 2016/07/23
    なんなんすか
  • 社会に出たからって - 意味をあたえる

    プロブロガー、という言葉をよく目にする。なりたいという人がいるのなら、なったら良いと思う。ぜったいなれる、という人も、無理かもしれない、という人もいるかもしれないが、人の心意気は結果にはあまり影響しない。 先に社会に出て、という意見を目にし、それはブロガーに限らずだがそういう意見には耳を貸さないほうがいい。私からアドバイスがあるとしたら、基的に他人の言うことは聞かないほうがいい、である。どっちに転んでも後悔するのが人生だが、自分の決断による結果なら、まだ諦めもつくからだ。と、言ってみたがそうじゃないかもしれない。とにかく後悔はする。 私は十代のころに親に盛んに 「後悔しない人生を送れ」 と言われたような気がしたが、二十代の終わりくらいに父親と話をする機会があり、私は親を満足させようと、 「何にせよ、後悔しない選択をしたい」 と言ってみたら、 「そんなの無理に決まってんだろ、どうして未来

    社会に出たからって - 意味をあたえる
  • 夢 - 意味をあたえる

    仕事については色々言いたいこともあるが、生きている限り明日は続いていく。私は人間というものは死を自分で認識できないというスタンスなので、今のところは、永久に明日は続くものととらえている。とにかく夢も希望もない人は生きづらい世の中だと感じる。そういうことを強要する世の中だと感じる。どうして今日より明日は成長しなければいけないのか疑問だ。それってつまり、成果を未来形にして相対的に現時点を低く見積もるための手段ではないか。未来はやってこない。明日はくるが、未来はこないのである。 そういうことに、私だって気づくのだから多くの人が気付かない筈もない。気づかないのはそういうことを口にする人だけだが、やはり気づいているのだろう。結局はムードでありブームなのだ。今は夢を持つことがブームなのだ。早く過ぎ去ってほしい。夢を持つことも個人の勝手という風になってほしい。自分の夢を朗々と語らないでほしい。私は私以外

    夢 - 意味をあたえる
    zuiji_zuisho
    zuiji_zuisho 2016/06/15
    これはすごい
  • 高木ブーの言葉を信じていた - 意味をあたえる

    私は小学高学年くらいから中学まではテレビゲームに熱中していて、家にはツインファミコンとPCエンジンスーパーグラフィックスとメガドライブとスーパーファミコンがあった。最初に買ったのはゲームボーイで、私の家はテレビゲームが禁止でありその理由が 「テレビの映りが悪くなるから」 だった。確かにそれは正しいが、ゲームなどに熱中されたら、大好きな野球を見れないという父親としての理由もあっただろう。反対しているのは父だった。そういう理由なので、ゲームボーイを買うことには父は反対しなかった。初代ゲームボーイの、外国の複数の男子がトラックの荷台でゲームボーイに興じていたCMが懐かしい。トラックの荷台には幌がかけられていて、荒野のような場所で少年たちはGジャンを着ていた。今思うとゲームより、その日の料の心配をしたほうが良かったのではないか。電気もなにもない場所でもできますよというアピールだったのかもしれない

    高木ブーの言葉を信じていた - 意味をあたえる
    zuiji_zuisho
    zuiji_zuisho 2016/06/09
    “いかりやは天国で「和久さん」とか呼ばれて調子づく” 語感が猫はコタツで丸くなるっぽい
  • 自分の子供を子供と思っていない節がある - 意味をあたえる

    さっきTwitterを見ていたらズイショさんが自分は子供を好きでない旨の投稿をされていて、自分もそうだと思った。ついつい忘れがちだが、私も子供が好きではない。しかし今思うと当時タモリがやはり子供が好きでない旨を公表していて、 「あいつら(子供)にはもう少し大人になってほしい」 という言い回しが気に入って、ファッションとして子供嫌いになった節もある。たまに小さい子供と絡むときにわざと嫌そうにし、周りの笑いも取ったこともある。 実際自分が結婚して子供ができると特に嫌な感情を抱くことなく、子供が嫌いだということも忘れがちで、たまに思い出すときにも 「そういえば嫌いだと昔は思っていたが、どうやら克服したようだ」 と思っていた。しかしあるとき1日友達の子を面倒みる機会があり、それは小学校高学年と未就学児という組み合わせで、未就学児は私の下の子と同い年であった。そうしたらそれが途轍もない悪い子で、

    自分の子供を子供と思っていない節がある - 意味をあたえる
    zuiji_zuisho
    zuiji_zuisho 2016/06/06
    fktackさんが育児の話を始めると大体難解になる
  • 要約されてしまうようなものは書きたくない - 意味をあたえる

    よく文庫だと、背表紙に話の内容が載ってたりしますが、それを読んでから中身を読む、あるいは中身を読み終わってから背表紙の短い文章を読むと、ふざけてんのかと思うくらい中身の内容と異なっていて、私はそれが要約というものの限界なのではないかと思う。あるいは売り手の思惑が、いちばん大事な箇所を改変してしまうというか。 私は難しいを読むのが好きで、どうしてなのかというと、難しいとわからないからであり、わからないと読んだ後に、 「理解できない箇所があった。また読み返そう」 と思えるところが好きな所以です。しかし難しすぎると 「もういいやー」 となってしまう。ちょうど良かったのはウンベルト・エーコの「薔薇の名前」で、私が 「わからなかった。また読もう」 とすっきり思えたのがこの小説だった。しかし、ちっとも読み返すことはない。自分の人生の残り時間を考えると、もう読めないんじゃないかと思う。 「薔薇の名前

    要約されてしまうようなものは書きたくない - 意味をあたえる
    zuiji_zuisho
    zuiji_zuisho 2016/05/11
    僕もこんなこと言いたくないんですが背表紙ではなく裏表紙では
  • スマホはじゃんじゃんやらせたほうがいい - 意味をあたえる

    こちらの記事を読ませてもらって思ったが、私には子供が二人いるが、じゃんじゃんスマホやらせる派である。じっさいやっている現場に遭遇しても、 「やめろ」 とは言わずに、よしよしと思って私はを読んだりゲームをしたりする。ゲームはスマホのを最近始めた。そうすると子供に 「またゲームしてる」 と注意される。ここで私は割と真剣に 「お互い様だろ」 と言ったりする。 は私と違ってスマホをいじる子供に向かって、 「スマホやめなさい」 と注意することが多い。だから、私が注意をしないのは、が注意しているからという理由もあって、も注意しないスタンスなら、私は言うのかもしれないがわからない。しかし私は自分にできないことを、子供にさせようとすると、なんでもそうだけどちょっと笑っちゃって真剣にはできない。は子供からスマホを取り上げて、今度は自分が熱中するのである。私はスマホとかテレビとかに熱中してしまうと、

    スマホはじゃんじゃんやらせたほうがいい - 意味をあたえる
    zuiji_zuisho
    zuiji_zuisho 2016/05/08
    「なんでこのエントリへの言及エントリがこんなことになるんだ」と今更ながらfktackさんの1秒前を忘れる能力に戦慄した
  • 私がブログを書く理由ベスト10 - 意味をあたえる

    目さんの上記の記事が楽しかったので、私もタイトルから拝借してやりたい。ただし、私はいっぺんに10のことを考えられないから、思いついた順の順位です。 第一位、惰性 私のブログはまもなく、開設二年を迎え、二年も続けると、やめるのが難しくなってしまった。 第二位、友達がやっていたから 以前にも書いたが、友達の中におそらく10年くらい書き続けている人がいて、私の認識の範囲では毎日書いている。読んでみると、私の書くものの方が面白いが、しかし毎日書いているとそれだけで「すごい」という周りの評価となり、下手するとそれだけで私より上となってしまうから、それはおかしいと思い、私も毎日やることにした。 第三位、山下澄人を知ってもらいたい 保坂和志、小島信夫も同様であるが、面白いから読んでもらいたい。それでお金なり反響なりによって、彼らに影響をあたえたら、私の自己満足度が高まる。 第四位、読者の反応 良くても悪

    私がブログを書く理由ベスト10 - 意味をあたえる
    zuiji_zuisho
    zuiji_zuisho 2016/04/22
    "「君は暗さに憧れているだけで、決して暗くはない」"/"このブログはエンターテイメントブログである"
  • 春の名前変更 - 意味をあたえる

    私の記憶が確かなら、去年も今時期に当ブログの登場人物名を変えたので、今年も変えたい。そろそろ「弓岡」という名前にも飽きてきたところだ。以下に変更します。 旧 → 新 弓岡(私) → 棚尾(私) ナミミ(長女) → ヒミミ(長女) シキミ(次女) → シカ菜(次女) (弓岡の配偶者) → (棚尾の配偶者) 以上、混乱のないように、よろしくお願いします。昨日の記事にも書いたとおり、ヒミミ(ナミミ)は今年より高校生になりました。私の子供のヒミミです。シカ菜(シキミ)は、また若い先生が担任になったと喜んでいました。どんな先生なのかと訊いたら、 「頬骨がでている」 とのことでした。手紙を見ると全学年の担任や、担任じゃない人の名前が並び、そこは姓名の見市のようでした。どうして子供のことを書いたのかというと、名前を馴染ませたいからです。うっかりすると忘れてしまいそうです。私は土曜日も仕事なのですよ

    春の名前変更 - 意味をあたえる
    zuiji_zuisho
    zuiji_zuisho 2016/04/10
    ああ、春がきたなって感じがするエントリですね
  • いちばんの不安 - 意味をあたえる

    私はもろもろの不安はあるがその中でいちばん大きいのは 「自分の子供が死んだらどうしよう」 という不安である。しかし「もろもろの」とつけたもののそれは一種の保険のようなもので、実際は単に不安というレッテルを貼られたものがほとんどである。しかし自分の子供が死んだらダメージがでかい。よく子供の虐待死とか、虐待じゃなくても色んな要因で死んでしまう子供がいるが、そういうニュースを見ると自分の子供に置き換えてしまうから、可能な限り見ない。 「娘が事故で亡くなった」 という言葉があるとき耳に飛び込んできて、「ああ、またか」と気持ちが沈んだが、その後「娘(68)」という文字を目にしたとたん、 「なんだ」 と心が軽くなったのは、結局自分の子供に置き換えられるかどうかの心の作用な気がする。あと木曜の夜にやっている「アンビリバボー」という番組でもよく、 「余命いくばくもない子供」 とか出てきて、もう見ていられな

    いちばんの不安 - 意味をあたえる
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    zuiji_zuisho 2016/04/02
    なんだか、珍しい話題で遊んでるような気もする。そうでない気もする。
  • 「典型的AB型」からの卒業 - 意味をあたえる

    部署内で何度目かの血液型トークが行われ、確かに私が入ってから二度か三度はお互いの血液型情報の交換を行ったが、少し経つと全員が全員のを忘れている。ただ、自分のは忘れない。今回は最近初めて血液型を知った、という人と、最近入った若い人がいずれもAB型ということで 「おお」 となった。しかしそのとき私は別室で仕事をしていて、最近私は別の業務もやるようになったから、いかにして定時帰りをキープするかに思考のリソースをさくことが多い。残業代の誘惑もある。それでお昼になって、お昼は全員がお昼なので、同じ部屋に集まったから私は 「よう、AB型軍団」 と声をかけた。しかし最近血液型を知ったという人は先輩で、手術したばかりなので、もっとやっこい言い方をした。もうひとりは若いからAB型軍団かと思ったら、 「あ、僕はAです」 と訂正された。私の言い方がそんなに気にくわなかったのだろうか。 それで私がABだと言ったら

    「典型的AB型」からの卒業 - 意味をあたえる
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    zuiji_zuisho 2016/03/20
    血液型占いという概念が存在している世界に生きている以上「ナンセンスだ」の一言で切り捨てるのは処世術的にイマイチなのではないかと考えるに至ったAB型です。
  • 夢という言葉の無難さ - 意味をあたえる

    ナミミの卒業式があったので行ってきたら、体育館の中がとても冷えた。天井が高いせいだろうか。風は強かったにせよ、昨日のような冷たい雨はやみ、日もさしこんだから、もっとあたたかいのかと思った。いっしゅんコートを置いておこうとしたが、車だからあんまり暑かったら車に置いていけばいいや、と思ったから持ってきたから正解だった。子供の頃から車で出かける習慣がついていると、「大きな荷物は車に置けばいい」という発想になって荷物をコンパクトにするのが苦手で、だからたまに新幹線で旅行、となると肝心なものを忘れたりする。私は中学のころに一度だけ家族旅行が新幹線のことがあって、それに乗って新潟の海水浴に出かけたが、電車の乗り継ぎの間に重い荷物を持つことにすら我慢がならず、父親に来年からは再び車にするよう提案をした。しかしそれはもう、家族で出かけた最後の旅行だったのかもしれない。最後というわけではないが、末期だった。

    夢という言葉の無難さ - 意味をあたえる
  • fktackと全体 - 意味をあたえる

    昨日はズイショさんについて、だいぶ時間を割いて書いたが、やはり私はfktackであるから、私についても同じくらい力を入れて書きたい。とは言うものの、いくら私がズイショさんについて書いたところで、私はズイショさん自身ではないから、昨日の記事にしたって、結局は私は私について書かざるをえない。 私は昨日の記事の終わりで 「私のように全体を比喩のようにしてしまうのも手だ」 というような言葉で結んだのでタイトルを「fktackと全体」 とした。「全体を比喩」とはどういうことだろうか。 と、問いかけの形にすると、まるで私が答えを用意してこの文に臨んでいるように見えるが、まったく私は当てずっぽうで書いた。このように「問い」が設定されると、自動的に答えの型、器が用意され、みんなの関心はその器にどのくらいはみ出さずに盛れたか、どのくらい美しく盛れたかみたいな方にばかり向く。 「空でした!」 というのはさも意

    fktackと全体 - 意味をあたえる
    zuiji_zuisho
    zuiji_zuisho 2016/02/06
    fktackさんはfktackさんの話が本当に多い
  • 比喩とズイショさん - 意味をあたえる

    昨日上記の記事を読んで、そういえば以前私はこの記事が掲載されているnoteというサービスに記事を投稿しようと思った時期もあったが、そうしたら 「長いテキストはスマホからはできません」 という注意があって 「冗談じゃない」 と思って、それ以来投げた。いい加減スマホ投稿にも対応したのだろうか。 だけれどもnoteにかぎらず、相変わらずWeb界隈では、「スマホはライトユーザー」みたいな雰囲気があって、たとえば私は数日前の記事ではアマゾンの広告を立て続けで貼った記事があったが、その際スマホのアプリでやったら、広告がどんどん入れ子状になってしまい広告の中に広告、まるで重層下請けのような、上空から見たピラミッドのような外観になってしまい、実は以前にも引用の中にどんどん引用がつけられ、そのときはサラブレッドの血統表のようになってしまったのだが、そのときはそれで読者を不思議な気持ちにさせられれば良いと思い

    比喩とズイショさん - 意味をあたえる
    zuiji_zuisho
    zuiji_zuisho 2016/02/05
    "それが無理そうな人は諦めよう。または、私のように全体を比喩にするのも手である。"
  • 文章の型について、逆再生バージョン - 意味をあたえる

    最近他のブログで「毎日ブログを更新するには、文章の型を決めるのが良い」という主張を見かけ、ほとんど脊髄反射のように「型なんか決めたら、すぐに飽きてしまってとても毎日書くなんて無理だ」と思考した。私は型、と聞いてクッキーの型のようなものを想像し、するとクッキーのような記事ばかりになってしまうぢゃあないか、と憤慨したのである。例えばクッキーは美味しいから、一週間べ続けることは可能かもしれないが、一年とかは無理だ。ブログを毎日更新、というのが一体どのくらいの期間を指すのかは知らないが、おそらく3ヶ月とかなのだろう。3ヶ月をクッキーのみで過ごすのは厳しい。先ほど私は一週間なら可能、と書いたが、よほどの味じゃなければ一週間でもきつい。美味しい味だと尚つらい。だから、ほどほどの美味しさの、白米のような記事を書かないと続けられない。 この前保坂和志の文章を自動で吐き出すTwitterのアカウントを見た

    文章の型について、逆再生バージョン - 意味をあたえる
    zuiji_zuisho
    zuiji_zuisho 2016/01/22
    まじかよ
  • 文章の完成度 - 意味をあたえる

    昨日の「ふくらんでいる」で、ズイショさんが「文章の完成度」について書いていて面白かったので、私も思うところを書こうと思う。 ふくらんでいる — 文章を書くズイショ 記事の中でズイショさんは、「「ふくらんでいる」の参加者は別に自分のブログを持っていて、なかなか書く時間がとれないと思うが、そういうときは文の完成度を下げて投稿してほしい」と述べていて、そうだと思った。おそらく私以外の参加者は「ふくらんでいる」にふさわしい記事、ふくらんでいるっぽいものを書こうとしているのかもしれないが、私が書くときはだいたい他に誰も投稿しないで制限時間ギリギリか、過ぎてしまっているときなので、ふさわしいとか、考えている余裕はない。昼間「意味をあたえる」に書こうとぼんやり考えていたことを、そっちに回すこともあった。今は逆にズイショさんや他の人が熱心に投稿されているので、逆にふくらんでいるに書こうと思ったものをこちら

    文章の完成度 - 意味をあたえる
    zuiji_zuisho
    zuiji_zuisho 2016/01/20
    すげえ、読後感に完成度の話をされた気がひとつもしねえ。