ブックマーク / meltylove.hatenadiary.com (19)

  • 悪い芝居リインカーネーション『春よ行くな、』を観劇しました - 世界は称賛に値する

    悪い芝居 Official Site ▼▼一つも、何も、言葉も意味も、躰さえも、届いてなかったんじゃないか、とは思いそうになってしまって、でも、思わず意識してしまう寂しさや哀しさが、いやいや、一つくらいは、何か――そう何かが、届いていたりもしたんじゃないか? 届いたものがあってもよくない? あの物語にも何かがあったんじゃないか? と思わせようとしてくる。寂寥や哀切の引力によって、そう考えたくなるほうへ、引っ張られていく。追いやられていく。 ▼▼というような、断絶の、いや、届かないことの(届かないことは断絶なのか? 断絶という言葉がそぐうのか? そして、ほんとうに「届かなかった」のだろうか……、と、幾度となく問い直してしまう)、そして、それでも届かせようした意志と、届かないでもよい(届いたほうがよい)(届かなくてもよい)、あたりのことにまつわる物語、として、悪い芝居リインカーネーション『春よ

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  • うまいことを言ってみせる回路 - 世界は称賛に値する

    ▼▼うまいことを言ってみせましょう、と企てる精神回路は、けっこう好きだ。けっこう好きなのだけど、うまいことを言ってみせましょう的な精神回路を稼働させ始めると、稼働開始と同時に、というか、回路の稼働の背後で、妙な――変な――過剰な、前のめり精神、が発揮されてしまうことがある――あったりする、んだよなー。▼▼うまいことを言おうとした時に使われ始める燃料は、時々、精神を、暴走と言えるところまで運んでしまうようなものなのだろう。操作ミスを誘発、という効果すらあるのだと思う。 ▼▼過剰な前のめりの結果、間合いを読み違えがちになり、暑苦しくなり、押しつけがましくなり、そのうえ、時には、コイツうまいこと言おうとしてやがるぜ、と、意図、が見透かされやすくなってしまったりさえする。するのだろう。なので、なるたけ避けたほうがよい、と思っていたりもする。 ▼▼思っていたりするわけだけど、前述した「避けたほうがよ

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  • ぜんぶ覚えていたい欲がある派 - 世界は称賛に値する

    ▼▼すべてを忘れないでいられる装置、なんてものがもしもあったら、欲しいほうだ。記憶と思い出を同値にしたがる、なんて言えるかな。▼▼というのがじぶんの根幹にありそう、と思ったのだった。特性と言えるし弱点とも言えるだろう。 ▼▼すべてを憶えていようと欲するところの源泉を観察してみると、鶏と卵の問題的な雰囲気で、事態のスタート地点が判らなくなるところもあるけれど……。▼▼残したいと思うほどの素敵な何かがあって残したい精神が構築されたのか、もともと残したがる性癖があったからこそ残したいものを中心にして世界を眺めるようになったのか。

    ぜんぶ覚えていたい欲がある派 - 世界は称賛に値する
    zuiji_zuisho
    zuiji_zuisho 2016/04/11
    欲はあるけど、たぶん記憶は朦朧と混濁していた方が面白い。/詳細な知識を明確に覚えているタイプの人はそれらを細かく取り出せないとめっちゃおもんない奴になる。薀蓄の1ブロックがでかいと薀蓄糞野郎になる。
  • 師走なので、今年書いたものをかいつまんだ2015 - 世界は称賛に値する

    zuisho.hatenadiary.jp www.kansou-blog.jp ▼▼これら二つの文章が、今年は強く記憶の中に刻まれていて、ならばじぶんのブログの今年のまとめ、というのを、一言フレーズ的にまとめ上げてみたらどうだろう、という単純な組み合わせを思いついてやってみた。自薦よりは他薦のほうがおもしろいかなあ、というような気持ちで、はてなスターの量を基準に選んだ。じぶんが好きだと思っているものを横目にその隣のスターの多いものを選ぶ、というノリは楽しかったな。 【1月】 常に「細部を見る眼差し」が正当だったり適切だったりするわけじゃないんだぞ……! と思ったのだった。思考止めて目線粗くしてほわほわ過ごしてることが素敵な場面だってあるだろう。おおきな風呂なんてその最たるものでしょ、って意見があったってよいと思った。 【2月】 (ここで余談として挟んでおくと、あまりに好きが継続しすぎてて

    師走なので、今年書いたものをかいつまんだ2015 - 世界は称賛に値する
    zuiji_zuisho
    zuiji_zuisho 2015/12/21
    こうやって並べてみるとこの人いつもめちゃめんどくさいことまで考えてるな。
  • 調理の比喩、食べ物の比喩、お菓子 - 世界は称賛に値する

    ▼▼料理ってもしや比喩に使いやすい? と、ふと改めて思いついて──。▼▼っていう思いつきに至ったのは「調理におけるプロセス」の、工程や手間、工夫、などなどに類似したものが、世の中の行動の中にも沢山あって、おかげで喩えに使いやすいようだ、という再認識によるものだった、のだけど、この再認識のと同時に、料理というかべ物自体が比喩に使いやすい?──使われやすい? あるいは、べ物による比喩って独特の雰囲気があって素敵って言えるような雰囲気もあるような? とかいうことも連想的に──連鎖的に思いついたりして、あれ? 人間の認識機構の中で「料理」ってもしや特別枠なのかな? というような発想まで辿り着いたりした。 ▼▼つまるところ、べる、欲、味覚、あたりの要素って人間の行動の中でも特殊、なんて認識を持ってしまってよい話、なのかな、って思ったのだった。 ▼▼最初に強火で表面を焦がしてから火勢を落として

    調理の比喩、食べ物の比喩、お菓子 - 世界は称賛に値する
    zuiji_zuisho
    zuiji_zuisho 2015/05/29
    言われてみりゃ手を加えて状態を作り変える界の雄なんだから調理比喩は今何をすべきかのイメージ共有にはうってつけな気はする。
  • 世界観追加武装 - 世界は称賛に値する

    ▼▼経験や理解が増えていくにしたがって世界観に追加されていった、新型回路というか部品換装というか、新規開拓し舗装してきた道のりというか、まあこのあたりの話を、一回、まとめたいとは思っている。世界観アップデートの変遷の話って大事じゃん、という意識があるのだ。じぶんが人生において最も語っておくべき話、なんて印象すらある。裏返せば、若い頃に最も聞きたかった話だ、とか思っているのだろう。▼▼世の中の「判りかた」に関しての、子供の頃はぜんぜんぴんと来ていなかったけど、この「回路」を追加したから、今は判るぜ……、という話のまとめを欲しがっている。 ▼▼「局所最適/全体最適」認識 ▼▼「リバウンド」認識 ▼▼あたりが、即座に思いつける「のちのち足されていった回路」と言えるかなあ。経験則を材料にして、新しく設計/製造し、世界観に書き足していった新たな部品。誕生時は誰でも真っ白なんだから書き足しって言い始め

    世界観追加武装 - 世界は称賛に値する
    zuiji_zuisho
    zuiji_zuisho 2015/04/16
    いわゆる「念」によって今までの敵が使ってた超能力的なものが全部説明できるようになったみたいな、経験則で無理矢理対応してたものが理論として提出されて理解できるようになったみたいなたぶんそこらへんの話
  • インターネットでスターをひとに送る時の思惑 - 世界は称賛に値する

    ▼▼はてな社のはてなスターやツイッターのお気に入り、を、刺激を受けるたび、ばしばし押している。好き!新しい!よい!わかる!あたりを混ぜ合わせながら押している雰囲気だ。カラースターも使いまくりである。よいものだー、と伝えたくやっている。じぶんの言葉なんてどうせツマラナイものだ、なんて卑下や気落ちによって去られたら嫌だ、ぼくは困る、ぼくは好きだ、というワガママ心理により、行なっている。 ▼▼この星達がプレッシャーになったら困るな、ということを、けどまあ、前からずっと考えている。押しつけがましくない、重荷にならない、プレッシャーに繋がらない、気軽の匂いがする、切り口があればよい、とは願っているのだ。プレッシャーっていうか苦痛かな……。いやまあ同じようなものか……。気分が重くなるか痛みを味わうか、性格にもよるだろう。 ▼▼こうして星を付けることに対する思惑を語ることが、気軽な雰囲気、に繋がるかどう

    インターネットでスターをひとに送る時の思惑 - 世界は称賛に値する
    zuiji_zuisho
    zuiji_zuisho 2015/02/23
    こうして書かれるまで気付かなかったけど、たぶんおれ「きっと星を付けるハードルが上がったのだな」と積極的に思うおめでたい能力を標準搭載してるわ。
  • 長年文章を書いてきてて「観念的」を使ったのは三回 - 世界は称賛に値する

    ▼▼観念的、って言葉、馴染みが薄くてぜんぜん使いこなせてない、と日記に書いた。不意に思いついてサイト検索をかけてみたら、こうして十年ほども日記を書いてきていながら、三回しか「観念的」って単語を使ってなかった。しかも三回のうち一回は当然昨日の日記であり、残り二回は「固定観念的」って使いかただった。素直な「観念的」って形容のしかたは、つまり一回もなかった。驚いた。ので書き残してみた。 ▼▼検索によってじぶんの言葉の使用頻度を調べる、って遊び、楽しいかもと思った。適切な検索語が思いつけない気もするけど……。執筆のあいだに遭遇する「じぶんわりとこの言い回し使うな」を記録しておかないと極端な頻度のものとは出会えなそう。 ▼▼じぶんのTwitterログを調べて「が好きだ」で検索をかけ、普段のじぶんが好き好き言ってるものを調査してみて──羅列してみて、自己紹介的に開示してみせる、っていう遊びを、昨年末あ

    長年文章を書いてきてて「観念的」を使ったのは三回 - 世界は称賛に値する
    zuiji_zuisho
    zuiji_zuisho 2015/02/11
    面白そう。俺も何かやろう
  • 2015/01/31は、描写背景の時間性に感嘆する日 - 世界は称賛に値する

    ▼▼綺麗な文章だな、と、数秒の出来事と数秒の心の動きを描いたものに思うこともあれば、今日一日ぜんぶの総括のような思い出と情感の描写に思うこともある。おのおのの文章が切り取っている時間の違いにたまに驚くのだ。言葉で切り取ることのできている時間のおおきさの違いに驚くことがわりとあるのだよなー。同じような文字数や文章量を尽くしながら、数秒間に起きた煌めきも掴めれば、百時間が見せた煌めきだって掴める。時間を記憶として──記憶の感想として、言葉にするなら、実際の経過時間はほとんど関係がなくなってしまって、捨象される要素が増えるだけだ、なんて言ってしまえる話ではあるのだろう。とにかくいずれにせよ、言葉を発する瞬間に、頭の中にふわふわさせている世界像、の、時間性の違い、あたりが、妙に好きなのだった。時間観と言えるかな。小刻みかつ繊細なのだったり、緩やかで豊穣だったり。人は、眼差しのフレームレートを、状況

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  • 目の前の物を話題のゲストに呼ぶ(電波時計と醤油の話じゃなくなってる) - 世界は称賛に値する

    ▼▼日記やブログを書こうとして話題が思い浮かばない時に、目の前の物(実際のところ現在は、電波時計や醤油が視野内にあるけど)を切り口にして文章を書く、っていう書きかたを、以前やっている人物がいて(はてな近辺でコンビニ店長と親しまれていたMK2さんがやっていて)、おお、これ、新鮮な遊びかただ、と思ったせいか、かなり印象深く記憶しているのだけど、これ、やってみよう、と自ら挑戦してみた時、挫折してることが多かったりもする、のだよな。 ▼▼具体的な記憶にジャンプすること、と、抽象的な論にジャンプすることに対して、禁則じゃない? 狡くない? って気持ちをなぜか覚えてしまっているせいだろう、なんて思った。なんで駄目なの? って脳内質問してみたら、だって具体的記憶や抽象論にジャンプするのまで許しちゃったらもう何でもありじゃない? 電波時計とか醤油の話じゃ結局なくなってない? って答えが返ってきた。▼▼電波

    目の前の物を話題のゲストに呼ぶ(電波時計と醤油の話じゃなくなってる) - 世界は称賛に値する
    zuiji_zuisho
    zuiji_zuisho 2015/01/25
    醤油が視野内にあるようなところで文章を書く人だったなんて幻滅しました!!
  • 毎日毎日、一つの文章を相手取る、とか - 世界は称賛に値する

    ▼▼ある一つの文章を毎日推敲し続ける、って試みはどうだろうと思いついた。 ▼▼連想というか余談として、同じ情景を毎日異なる文体で描写とか、同じ意味の話を毎日異なる文章で説明とか、いわゆる「文体練習」的な切り口とは異なる「同じと呼びうる文章ではあるけど、実際的に書いてるものは別」って道がありそう、とも思った。同じ単語使ってるけど違うものを描写してる、あたりは一つ思いつけた。▼▼同じ文章や同じ意味、と言えるだけの「同じ、の範疇内でブレさせられる」空間、を少し考えてた。 ▼▼また文章の話してる……!(最近なんか妙に気に掛かっちゃうのだった……) ▼▼最初に話に戻ろう。 ▼▼ある一つの文章に拘って、毎日、改稿を続けてみる、という実験──挑戦。 ▼▼日記を書く、という一連の行為において、前日の日記の改稿を行なっている、という場面が、じぶんは最も好きで、極めて気持ちよく、こうして文章を書いてる理由の一

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    zuiji_zuisho
    zuiji_zuisho 2015/01/14
    一瞬「おもしろいかも」って思って「大変だからやりたくないかも」とも思った
  • ネタ帳の書きかたがワカラナイ、ぜんぶはメモできない - 世界は称賛に値する

    ▼▼日記のネタのストックの話を時々軽く伺うけど、以前から「ネタ帳」の書き残しかたがわからないよー、というのをよく思っている。って思い出した。読み始めた、って意味の「読み出した」って言い回しがあるけど、思い出した、って言葉があるせいで、思うに対しては、同じ言い回し変化を使いにくいな、と唐突に思ったので挟んだ。あとなぜ言い回しと対になる書き回しって言葉はないんだろう。掻き回す、と混同しちゃいそうだからじゃない? って言い訳が思いついたけど、こんな「混同しちゃいそうだけど、うまく回せてる」言葉なんていくらでもあるかと思った……。 ▼▼思いついた「あ、これ書こう!」という閃きって、ぜんぜんうまく言語化できないというか、簡単な図説化すらできないというか、記憶を辿るきっかけになる単語やら一言は書けるけど、あくまでも取っ掛かり、引き寄せる紐のようなものであって、完全に記憶から消えた時に読み直して「あ、こ

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    zuiji_zuisho
    zuiji_zuisho 2014/11/25
    自分は浮かんだキーワードだけパパッとメモる。「この丸太は良い仏が彫れる気がする!」ってとりあえず丸太だけ持って帰る感じ。後は家で彫れそうな気分になるまで放置。
  • じぶんのとっての普通の話、もする - 世界は称賛に値する

    ▼▼普通すぎて書いててツマラナイよー、とか思ってしまうくらい、脳内で自然で自明の話、が、時には誰かの役に立ったり、時に誰かの気づき、驚き、おもしろさや感激、に繋がったりする。することがある──ありうる。って状況認識が、あんまりうまく腑に落とせてないなー、って改めて思った。以前から苦手だ。具体例記憶が少ないせいかなあ。頻繁に聞く陳腐な話だから書かなくてよいよね、誰にだって普通のことだろうし読んでもツマラナイでしょ、とか思ってしまう回路を他意なく使っちゃうのだった。 ▼▼けどまあ、実際、最初に聞いた時は非常に驚いたけどのちのち自明で普通で平凡な認識の中に落ち着いちゃった話題、なんていくらでも思い出せるのだし、だからつまり最初に聞く時の衝撃ってものはぜんぜん舐められないだろ、って思うし、でもって、ある話を新たに耳にするタイミングというのは人によって違って当然なんだから──誰もが同じ時期や同じ時刻

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    zuiji_zuisho
    zuiji_zuisho 2014/10/01
    驚きは脳に良いので聞いた人が俺にはもう思いつけなかった面白い補助線足してくれたりするしなぁ。
  • 文章、日記、ブログを書く時の、負荷と縛り - 世界は称賛に値する

    ▼▼研鑽/トレーニング狙いの場面における「負荷」に対する認識と、読み物/パフォーマンス狙いの場面における「縛り」に対する認識が、似ちゃっているせいで、混同してる雰囲気があるなー、って思った。じぶんの中では混ぜちゃってるところある。 ▼▼読み物/パフォーマンス面における「縛り」認識の話は、完全に自由の状況だと人は逆に何考えてよいかわからなくなってしまいがちなので枠組みとなる決定事項や優先事項があるとよいよー、っていう話、と、経験則や美意識に即したコダワリがおのれの製作物の個性に繋がることがあるぜー、って話、に分けられるというか、混ぜちゃってる。 ▼▼ってところまで書いても混乱が残ってるなあ。▼▼概念の整理の話、と、概念の取り扱いかたや注意事項と注意喚起の話、あたりを混ぜちゃってる雰囲気もあるし。

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    zuiji_zuisho
    zuiji_zuisho 2014/08/27
    うーわこの話、ややこすぎて今は近づきたくないレベルで難しい
  • 三竦みと二元論 - 世界は称賛に値する

    ▼▼三竦み型が好きだ。認識の整理において三つの区分を思いつけてしまうと、三竦みだぜワーイ、なんて思い始めてしまって──綺麗に整理できたでことに対する気持ちよさに酔い始めてってしまって、あとは短絡的に「三竦み」だと決めつけながら語ってしまう癖があるかと思うのだけど、世界全体が「三竦み」なんていう綺麗でわかりやすい枠組みで整理できることなんて稀に決まってるんだから、理解が容易い整理に人は惹かれちゃうぜ流されちゃうぜ的な認識ミスがゼッタイ混じっちゃってそうだよなー、っていう不安にも思いを馳せ始めてることができて──脳裡では踏まえておいていられて、結局、多少は盲信せずにいられる。検証しながら話せたりする。 ▼▼物事をぜんぶ二元論的に見ちゃう、っていうのも、同じような問題を抱えてると思うのだけど、二元論的眼差しは、習慣的かつ基礎にありすぎて──慣れすぎてて、疑いの目を挟みづらいのだよなー。っていうの

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    zuiji_zuisho
    zuiji_zuisho 2014/07/24
    天体とか重力とか食物連鎖とか燃焼とか、人間が勝手に作って勝手にこんがらがってるあらゆる概念についても、実は全部そういう現象と同じ仕組みになってて分類したら全部で31個くらいなんじゃねえかなと思ってる
  • Xシリーズ(森博嗣)の題名でキラレ×キラレだけ不明 - 世界は称賛に値する

    ▼▼Xシリーズ(森博嗣)の題名は前から『キラレ×キラレ』だけ元ネタわからないなと思っている。▼▼最初に『イナイ×イナイ』を見た時は、慣用句や常套句のようなものから援用して題名を決めるんだろう、って想像したのだけど、第二作『キラレ×キラレ』の題名を見た時に、たぶんこれは物語から抽象して付けてるんだな──常に元ネタがあるような付けかたではないのか、って思い直した。でもって、第三作『タカイ×タカイ』と第四作『ムカシ×ムカシ』が刊行されて、次巻の予定が『サイタ×サイタ』だというのを見かけて、あれ? これ、ぜんぶ元ネタあるっぽいな……? ってなった。なんか『キラレ×キラレ』の元ネタをじぶんが知らないだけなんじゃないか、って思えてきた。 ▼▼判断ミスの可能性に至るまでに切っ掛けが必要だった、って経験に遭遇すると、まあおおむね不安にはなるなー。この不安が継続しないところがなおのこと不満だ。 イナイ×イナ

    Xシリーズ(森博嗣)の題名でキラレ×キラレだけ不明 - 世界は称賛に値する
    zuiji_zuisho
    zuiji_zuisho 2014/07/04
    色々考えたけど【レ取りック】によってキラ×キラになるくらいしか思いつかなかった
  • 品性下劣は言い捨てナンボかな - 世界は称賛に値する

    ▼▼はしたない/卑しい/品がない、あたりの評価を下したくなる場面って、短く端的に断言しとかないと恰好つかない(収拾つかない?)ことが多そう、ってふと思った。 ▼▼はしたない/卑しい/品がない、における「じぶんなりの定義」を説明してから評価してみせてたら、手遅れ感が出てしまいそうだ、って発想かなー。▼▼説明したせいで妙にくどくなって、てかむしろはしたないのはこっちかも……、って思い始めそう。 ▼▼って一回試行錯誤したあとならば、軽快かつ優雅に「定義の説明」を決めてから「はしたない」って言ってみせることが、まあ可能にも思えてくる、かとも思ったけど、観測範囲内に見えただけで辿り着ける気がしちゃう、っていう慢心の話かも、とも思った。 ▼▼品性を評価する言葉達の、判断基準軍団内における扱いが、見通せてないのもある。

    品性下劣は言い捨てナンボかな - 世界は称賛に値する
    zuiji_zuisho
    zuiji_zuisho 2014/04/20
    馬鹿・糞・無価値・下品あたりは、ノータイムで無根拠に嫌悪を示せる便利スペルだが、相手の防御スペルが適切な場合は全部自分に跳ね返ってくる
  • ほんとうに大切にしてるから馬鹿にされたら怒る(……?) - 世界は称賛に値する

    ▼▼ほんとうに大切にしてるっていうのと、馬鹿にされたら気で怒るっていうの、接続しちゃってよいのか?ってふと思った。現時点だと結構繋げて考えてる。▼▼ほんとに大切にしてるから誰かに馬鹿にされても気にならない、って理路と比較したり。▼▼ほんとう、って言葉はこの言葉の怪しさで思考停止誘ってくるから難敵、って余談も思った。 ▼▼誰か/皆/君にも素敵さや良さを認めてもらいたいと欲する型の大切さ、と、じぶんが素敵さや良さを理解できているからよいのだと満足できる型の大切さ、の違い?って区別してみた。▼▼けど、誰か/皆/君に認めてもらいたいよー!と、馬鹿にされたら不満である!っていうのも、あまり綺麗に繋がらないのだよなー。同根の派生っぽくない。 ▼▼馬鹿にされたら不満と馬鹿にされても気にならない。皆に認めてもらいたいなって気持ちとじぶんがわかってるからよいって気持ち。まあ違う話なのかなー。▼▼ほんとうに

    ほんとうに大切にしてるから馬鹿にされたら怒る(……?) - 世界は称賛に値する
    zuiji_zuisho
    zuiji_zuisho 2014/03/27
    「怒る」って何らかの事象に対してのカウンターとしてしか出てこない振る舞いなので、本来主体的であるべき「好き」や「大切に思う」と安易に接続するのは何か違うような気はする
  • 文章が持つリズムの大切さあたり - 世界は称賛に値する

    ▼▼記述後に音読してみて読みやすさを確認する、とか、言葉と文章のリズムの心地好さが読みやすさの一因あるいは主要因である、とかいう話は複数回聞いている。明確に意識しながら記述してはいなかったりするけど、文章の接続付近では、多少気にしている、と言えば気にしている雰囲気もある。無自覚のまま結構強く気にしてるのかなー。言葉に関してはデザイン的好き嫌いがおおきすぎて──このデザインの文字をここに置きたくないぜー的な姿勢で手直ししたりしているところがあって、要するに、影響下にあることが明確なので、音楽感に関しては、優先順位を相対的に低く設定しちゃっていて、逆に丁寧に意識できなくなっているところがあるかも、とも思える。 ▼▼当初浮かんだ疑問文から離れた気がするので、明記しておこう。 ・音読しやすさ/読みやすさ/脳に取り込みやすさ、は、同一ないし近似なのか? ・黙読と音読、におけるリズム感、は、同一ないし

    文章が持つリズムの大切さあたり - 世界は称賛に値する
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