1 以下、有馬哲夫『昭和史を動かしたアメリカ情報機関』(平凡社新書)からメモする。 1955年11月7日にマックス・ビショップ(当時の肩書きは国務次官付工作コーディネーター)が合衆国情報局長官セオドア・ストレイバートに書簡を送り、日本の知識人を親米化するために日刊紙や雑誌を始めてはどうかと提案している。 日刊紙や雑誌まで始めることを考えていたことには驚く。それに対するストレイバートの回答はさらに驚愕すべきものだった。 彼は「すでに一紙持っているので、予算の関係でそれはできない」と答えているのだ。(169p) 〔略〕この日刊紙は、占領中に参謀二部が買い取ったものを占領が終わったときに合衆国情報局(占領終結の翌年1953年に設立)に引き継いだものだと見られる。(170p) この機関〔合衆国情報局〕は合衆国広報庁とも訳されることがあるが、単なる広報と違うところは、それがニュートラルな情報ではなく