タグ

2006年4月9日のブックマーク (3件)

  • 国家と反国家──(2)教育 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「国家と反国家──(1)憲法 - モジモジ君の日記。みたいな。」の続き。 個々の人間は国家に保護されつつ、国家を構成し、国家に抑圧される。国家が保護しつつ抑圧する装置であるという両義性を視野にいれて考えなければならない*1。 国家が、個々人のための国家であるためには、国家が体現していないもの、現に存在してはいないものが生まれてくる領域がなければならない。目の前にある世界とは違った世界を構想することが許されている領域、および構想するための力が必要である。すなわち、様々な精神的・身体的自由、および自由な知性が必要である。 こうしてみれば、教育の役割の少なくとも一つがハッキリしてくる。それは現にある国家が体現していない何かを構想しうる自由な知性を育てることである。行政・立法・司法の各種国家権能が、互いに互いを従属させるようなものではないのと同様に、教育は国家に従属してよいものではない。国家と教育

    国家と反国家──(2)教育 - モジモジ君のブログ。みたいな。
  • http://www.asahi.com/life/update/0409/001.html

    zyugem
    zyugem 2006/04/09
    命にはかえられぬ。
  • 国家と反国家──(1)憲法 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「国歌斉唱のときに座り続けること(Life Studies Homepage)」 これに関して考えようとしたら、国家についての話に終始して、国旗・国歌の話に入れなかった。国旗・国歌は後回しに。 個々の人間と国家は、相補的でありながら、対立的でもある。国家は我々を保護する装置であると同時に、抑圧する装置でもある。国家の保護とは、治安であり、戦争である。国家の抑圧とは、やはり治安であり、戦争である。国家を国家たらしめているものは、監獄と軍隊である*1。 言うまでもなく、憲法第9条の意義はここにある。辺見庸は言う。「・・・国家を永遠の災厄とする考えにくみするのならば、なぜ、国家存立の基的条件を定めた根法である憲法を受容するのか、という問いに再び戻る。私の正直な答えはこうである。それは、日の現行憲法の根幹が、言葉のもっともよい意味において、すぐれて「反国家的」だからだ」*2。日国憲法は、国

    国家と反国家──(1)憲法 - モジモジ君のブログ。みたいな。