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ブックマーク / mojimoji.hatenablog.com (20)

  • 排外主義それ自体が暴力です - モジモジ君のブログ。みたいな。

    そして、動画につけられたブックマーク。*1 ブックマーク・コメントを見ると、「思想はどうあれ、暴力はよくない」的な主張が散見されるが、これはどういうことか。在特会の排外主義プラカード&シュプレヒコールは、在日外国人にとっては直接の恐怖だ。常野氏に対してふるわれた暴力に勝るとも劣らない暴力、どっちかだけ批判とかありえない。 元々、薄く広がる無自覚な排外主義は日社会の隅々にある。そういう排外主義的な主張に接しても「事を荒立てない」「大人の」態度が当然とされる。その一方で、近年の右傾化を経て、音ダダ漏れ化が進行、春先のカルデロンのり子さんの問題が持ち上がった頃、「当事者の生活空間に押し寄せて排外主義の主張を行う」という特異なデモが企画されたあたりから、具体的に目に見える形を取り始めた。それから、今回の事件。排外主義者のデモに対して「排外主義反対」の紙切れ(即席プラカード)を掲げた男性に対する

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    zyugem 2009/09/30
  • 北朝鮮の「人工衛星」雑感 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    【追記アリ】【もう一つ追記】 次の記事はとてもおもしろいので、是非参照してください。>「日北朝鮮に宣戦布告した件について」@media debugger 以下、それとは別の話をダラダラと。>するつもりだったんだけど、別の話にならなかったな。 日政府の主張は無理筋 北朝鮮がロクデモナイ国だということは知っている。日という国も、その質に多少の違いはあれども、かなりロクデモナイのも知っているけども、それはとりあえず措く。北朝鮮の「人工衛星打ち上げ」はミサイル技術の誇示以外の何物でもないとは思うが、公式に「人工衛星」と言い張っている以上、それを覆すだけの材料もないなら、「ミサイル」と言い張ることになんの益もない。そこに弾頭が取り付けられている、とでも言うならともかく。一方で、北朝鮮は宇宙条約に批准した上で、国際法上の形式を整えた上で「人工衛星打ち上げ」と言い張っている。これを「ミサイルだ」

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    zyugem 2009/03/31
    日本政府は人工衛星であることを前提に交渉した方が取り得るオプションが増えるわけだ。オブザーバーにこちらの技術者を送りましょうか?とか,打ち上げはいつですか?とか,聞けるし。裏ではやってると思うけど。
  • 野宿者を公共圏から追い出したい人こそが家を明け渡すべき - モジモジ君のブログ。みたいな。

    HALTANさんの記事の、次の部分にも答えておきます。 それと「公共施設」に野宿者を受け入れろというなら(というか今回もそうとしか読めないわけだけど)、まずはアンタたちが自分の生活圏の中でやってみてくれ、としか言い様がない。一般人はそこまで心も広くないし余裕もないし、あるいは一般人や貧乏人同士が助け合いだか何だか知らないが下手に自分たちで問題を抱え込んでも共倒れになるだけだろう(反貧困活動家までが「溜め」だの余計なことを言うから困るんだが。この機に乗じて自分たちの脱資主義的な労働共同体幻想を成就させようとは薄気味がわりいんだよ!) http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20081030/p2 えーとね、たとえば、公園を念頭におきます。公園はみんなの場所です。僕は、このみんなの場所を、他に行く場所のない野宿者が利用するのを認めます。そして、公園以外の場所で住めるようにち

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    zyugem 2008/10/31
  • コドモを藁う大阪──大阪芋畑闘争 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    結構いろいろと大事な論点が詰まってますね。 今回の行政代執行の法的な問題 「異議申し立て」する権利の形骸化、ということ。そういうことを狙ってやったという意味で、大阪府の狙いは脱法そのものである、ということ。次の二つの記事を参考に。 保育園代執行で大阪府が当に鬼畜な理由: BattleRock Blog http://blogs.yahoo.co.jp/isikeriasobi/55431836.html 道路計画そのものへの疑問 今年2月の報道で、次のようなものがあります。YouTubeより。「渋滞緩和にはならない」は、「でもやるんだよ」というのもわからないではないけれど、「環境対策が甘い」、「大阪府の追加負担が大きい」は、結構大問題。最後のなんて、財政再建しようとしてるんだから、橋下ならマジメに考えるべき論点のはず。元々の計画はかなりデカイ道路なので、見直して縮小する余地はある、という

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    zyugem 2008/10/18
    「プロ奴隷につける薬なし」
  • 学力調査結果を公表すべきでない理由 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    橋下知事「学力調査の市町村結果、公表すべし」 学力調査非公表なら「私の責任で公表も」 秋田県知事、いずれもasahi.comより。*1 上記記事に関連して。 調査というのは、何を、どういう方法で測り、それにどういう意味があるのかをきちんと考えられる人にとってのみ、意味がある。公表が問題になっているその学力調査というのは、何をどういう方法で測ったのか。そして、測った時点での測定値にはどういう意味があるのか、そういうことも含めて丁寧に検討するのでないならば、結果だけ公表しても意味がない。そして、「結果だけ公表しても意味がない」ということがわからない人に対して公表することは、明白に害がある。 たとえば、ある地域の学校の教育力を測定したいのであれば、ある時点での学力を測り、なんらかの教育手法を試した後、もう一度学力を測定し、どのくらい変化があったか、ということを問題にしなければならない。また、その

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    zyugem 2008/09/09
  • オマワリの主人の自覚が必要 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「死ねばいいのに - 無産大衆」 ここを普段読んでる人なら知ってるだろうけど、僕は全然アナキストなどではないのであって、どちらかというと秩序大好き人間なのであるが(大概の落書きも大嫌いだし)、にも関わらず、こういうデモの弾圧とか、それをまともに報道しないメディアの話とかになると、非アナキストの有象無象のたわごとなんかより、アナキストの方が全然共感できるってのも悲しい話だよな、とは思う。 とりあえず立ち位置 直後に聞いたところによると、運転手に関しては運転席の窓ガラスを割って、無理やりこじ開けたとのこと。それで、逮捕理由が公務執行妨害だと。なんだ、それは。こっちは来しなてもいい許可申請までしてやってるんだぞ、カス。死ねよ。というか、公妨ってなんだ。とりあえず、さっき警察署に弁護士を派遣した救対の人の話によると逮捕者は四名、上記三名に加えてロイターのジャーナリストも持っていかれたとか。 まぁ

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  • 死刑は社会正義ではありえない - モジモジ君のブログ。みたいな。

    死刑についていくつかの記事を書いてきたけれども、「社会正義の臨界――光市母子殺害事件高裁判決」など参照しつつ。 sk-44氏の死刑存置論(1) 快楽殺人者の反省不可能性 まず、sk-44氏の記事の、前半について。 私が極刑としての死刑存置論者であるのは、ある個人的な問題意識とかかわる。他人と共有しうるものであるかわからない。以下に端的に記す。お断りすると気分のよい話ではない。 所謂快楽殺人者は、被害者の殺害を前提とする性犯罪者は、死刑台に送られて然るべき、あるいは、死刑台に送らないことには仕方がない。そうした認識と見解に私は同意せざるをえない。 「気分のよい話ではない」とあらかじめお断りされているので、この先については引用しない。代わりに、以下の議論に必要な限りにおいて、簡単に要約する。<快楽殺人者において、その人を殺したその場面の記憶は快楽そのものであり、生きている限りその快楽を繰り返し

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    zyugem 2008/05/09
  • だから死刑には反対する - モジモジ君のブログ。みたいな。

    光市事件について、遂にと言うべきか、死刑判決が出た。 この事件について、これまで発言したことはないが、もちろん、折に触れて報道に触れる以上、何も考えないではなかった。いくつかのことを整理して述べてみる。 率直に言って、村氏の主張については、首肯することはほとんどなかった。ただ、少なくとも、次のようには思う。第一に、その一つ一つのことの中に仮に批判しうる点があるとすれば、具体的にそれを取り出して、検討した上での指摘しなければならない。第二に、仮にそのように批判ができたとして、どうして彼がこのような主張をしなければならなかったかを、踏まえなければならない。つまり、彼は突然にこのような事件の当事者となり、何の準備もないまま、事件に対する態度表明、その理論的正当化、実際の発言と行動、そうしたことをやらねばならない立場におかれた。ゆえに、仮に彼の主張に批判しうることがあるとしても、まずは、過酷な日

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    zyugem 2008/04/24
  • 「いつも「疑問だ」といいながら真実に興味がない」人たち - モジモジ君のブログ。みたいな。

    先日の中学生暴行事件の被害者が告訴を取り下げた。事件発生当初に被害者の落ち度を語っていた連中が、今度は、米兵の冤罪を言い出している。関連して、「中学生暴行事件の告訴取り下げの件」(@風のはて)という記事で、地元紙から引用されているので、ここにも孫引く。 琉球新報紙面3/1付朝刊より。 被害者が告訴を取り下げた要因の一つに、報道被害を指摘する捜査関係者もいる。一部週刊誌は事件発生の数日後、取材のため被害者宅を訪れた。ある県警幹部は「被害者の家に言ったのはどこの会社だ。被害者は自宅が特定されたことなども含めて不信感を抱いている」とあからさまに怒りを見せた。 その週刊誌で被害者をおとしめるような表現があり、被害者は精神的に追い込まれた。 以前も述べたように、米兵に関して法治主義を貫徹するためには社会運動が必要とされる異常な状況が先に存在している。地位協定のためだ。反基地、反戦の「イデオロギー」と

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    zyugem 2008/03/03
  • 「二つのB層」のリアリティ - モジモジ君のブログ。みたいな。

    橋下を支持した人々は、たとえば「福祉を削らずして財政再建はありえません」などという信念を「現実的だ」という。富裕層*1へのさらなる負担増は「非現実的」だが、社会的弱者への支出を削ることは「現実的」なのだ。ここに、現状よりもさらに支援を削り取ったところでの社会的弱者にまともな生活が「現実的」かどうかを頓着する感覚はまったくない。 ところで、「希望は戦争」と言い放った赤木智弘のリアリティの一端は、たとえば次のようなものである。 金持ちや権力者が恵まれているのは、血筋や家柄という固有属性を持っているからであり、彼らが戦争で死んだとしても、その利権は、固有属性を持たない私には絶対に回ってこない。一方で、血筋や家柄を持たない安定労働層と、我々のような貧困労働層との交換可能性は非常に高い。安定労働層は、「たまたま」安定した生活を得られているだけである。念のために言っておくが、私は「努力」などという、結

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    zyugem 2008/02/01
  • 橋下を政策で選択する人たち - モジモジ君のブログ。みたいな。

    彼は知名度ではなく、れっきとした政策で選ばれた。その政策とは、彼の次の発言に象徴されるような政策である 高齢者ら社会的弱者の予算が減るかもしれないが、それは仕方ない。 彼は、誰かを切り捨てることをあらかじめ明言した唯一の候補である。そして、それこそが支持されたのだ。自分こそが切り捨てられると確信し、それもまた必要だと覚悟を決めて投票したのではあるまい。切り捨てられるのは自分ではないと確信する人こそが投票したのであろう。橋下に投票した(できた)人とは、そういう人々なのである。──貧困層の老人が路上に放り出されようが孤独死しようが、それは仕方がない、という人々なのである。その他社会的弱者の問題は、現在でもまったく不十分であるのに、そのための手当てをさらに削っても仕方がない、という人々なのである。 それだけではない。高齢者福祉をはじめとして、福祉政策にたいする見識を持ち、それに基づいてどこまでの

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    zyugem 2008/01/31
    「自分こそが切り捨てられると確信し、それもまた必要だと覚悟を決めて投票したのではあるまい。切り捨てられるのは自分ではないと確信する人こそが投票したのであろう。」
  • 混合診療を解禁してはいけない - モジモジ君のブログ。みたいな。

    保険診療と保険外診療(自由診療)を併用する「混合診療」を実施すると、来は健康保険が適用される診療も含めて治療費全額が自己負担となる厚生労働省の運用が妥当かどうかが争われた訴訟の判決が7日、東京地裁であった。定塚誠裁判長は「厚労省の法(健康保険法)解釈は誤り」と指摘し、原告患者に保険給付を受けられる権利を認めた。混合診療を原則として禁止する国の政策を違法とする司法判断は初めて。 http://mainichi.jp/select/jiken/news/20071108k0000m040091000c.html(魚拓) 患者の選択の自由、混合診療解禁は当然至極、と思われがちだが、これは極めて危険である。素人が弁護士の力を借りずに国に対して勝訴したこともあって盛り上がっているようだけど、冷静に議論したい。論点は、混合診療の是非ではなく、それ以前のところにある。次のを参考に整理する。 市場原理

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    zyugem 2007/11/09
  • 民主党について危惧すること - モジモジ君のブログ。みたいな。

    社民や共産って、どこかズレたところにイライラすることはありつつも、ある程度多数党でないと頼りないということがありつつも、それでも民主を支持しよう、とは思い切れない。というのは、社民や共産の場合、たとえ腐っていても、「人が住む場所に爆弾降らせながら、自分の医療やら年金やらの心配してんのは筋が通らんよな」ということは弁えているように思うからだ。つまり、社会保障の問題と、平和と民主主義の問題が、きちんとセットで扱われている。切り離されない。──ある種の人たちには、こういう態度が教条主義的にしか見えないのかもしれないが、しかし、繰り返すけど、「人が住む場所に爆弾降らせながら、自分の医療やら年金やらの心配する」という態度で、当にいいと思えるだろうか。僕には頭おかしいとしか思えないが。*1 民主党の右派に今更期待はしないけれど、問題は左派だ。僕が危惧するのは次のようなことだ。──民主党左派で気になる

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    zyugem 2007/10/22
  • モジモジ君の日記。みたいな。 - 「対案を出せ」論法について

    何かについて批判的なことを言うと、すぐさま「だったら、どうするんだ、対案を出せ」などと恫喝される。これは不当だ。しかし、私たちは、ある瞬間を空白にしておくことはできないのであり、そこに何かがなければならないなら、やはり対案は必要なのである。とすれば、先の不当さは何に由来するのか。ここにあるズレをきちんと見ておかなければならない。*1 「対案を出せ」論法批判 批判は、あくまでも問題の所在を示す。その解決が可能かどうかは分からない。大抵、示せない。しかし、それが問題であるならば、明らかに問題なのだ。たとえば、必ずしも死ななければならない理由がないのに、人が死ななければならなくなっているとき、それは問題だ。そのような状況は、「あってはならない」こととして認識されなければならない。そのようなことが「現実に起こらない」ために、何かをしなければならない。私たちは現にある現実を、そのどこかを、変更しなけ

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    zyugem 2007/09/23
  • 情報保全隊の調査は完全に脱法──2002年の国会審議より - モジモジ君のブログ。みたいな。

    情報保全隊というのは、かなり新しい組織で、2002年の第154回国会で防衛庁設置法及び自衛隊法の一部改正案として提案・可決され、編成されたもの。そのときの国会質疑の際、中谷防衛庁長官は、情報保全隊の情報収集対象として「あらかじめ防衛秘密を取り扱う者として指定をした関係者のみに限定する」と明言している。ビラまきやデモに参加した一般市民が「防衛秘密を取り扱う者」と解釈するのはいくらなんでも無茶苦茶である。つまり、今回発覚した情報保全隊の調査は、国会答弁が明確にした範囲を完全に逸脱しており、違法、あるいは少なくとも脱法であることは疑いをいれないことになる。 詳しくは、以下に整理した国会審議からの抜粋を参照のこと。 【追記2007/06/10】 betelgeuseさんのブクマコメントによると、そもそも大臣答弁や附帯決議には法的拘束力がない、ということらしい。驚愕。>「付帯決議に法的拘束力は無い」

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    zyugem 2007/06/11
  • 情報保全隊──現代の憲兵隊 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    久間章生防衛相は七日午前、参院外交防衛委員会で、陸上自衛隊情報保全隊がイラクへの自衛隊派遣に反対する市民活動などの情報を収集していた問題で「たえず情報収集は行っている」と、事実関係を認めた。その上で「自衛隊が情報を収集して分析することは悪いことではない」と述べ、正当性を強調した。 また、久間氏は保全隊がデモや抗議活動の写真を撮影していたことについて「特定の誰かをクローズアップしたのではなく、デモ、抗議行動の風景を撮ることは違法ではない」との認識を示した。 これに対し共産党の緒方靖夫氏は「警察でも撮影が認められているのは、犯罪が行われたか、犯罪の証拠保全の必要性があるときなどだけだ」と述べ、「警察官が正当な理由なく個人の容ぼうを写真撮影することは憲法一三条に反する」とした最高裁判決に抵触する恐れがあると指摘した。 久間氏は「マスコミだって写真をパチパチ撮っている。取材が良くて、自衛隊だと駄目

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    zyugem 2007/06/08
  • 赤木さんへの一年遅れの応答──論座論文の検討へ向けて - モジモジ君のブログ。みたいな。

    一年前の「問題は「金」という言葉が有するイメージ@深夜のシマネコ読書録」という記事*1。この記事に対してごくごく短い記事をTBした。さらにこれについては「団塊世代ハ神聖ニシテ犯スヘカラス@深夜のシマネコ読書録」という記事の中で、次のように応答された。 結局奪うのではないか、と言うかもしれない。どこが違うのか。少しでも後ろめたさを感じなくていい、そういう影が少なくて済むような金を与えてくれるのが、左翼。金なら同じだと言うのが保守。金以外のものとの両立を目指すのが左翼。金以外のものを差し出せというのが保守。共に取り戻そうと言うのが左翼。奪ったものを奪った相手の目の前にちらつかせることを恥とも思わないのが保守。(mojimojiさん) なんてことは、実際に若者に「そういう影が少なくて済むような金」とやらを与えてから言うべきだ。 左翼は若者から奪うだけで、何も与えていない。 与えているというなら、

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    zyugem 2007/03/21
  • 国家と反国家──(2)教育 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「国家と反国家──(1)憲法 - モジモジ君の日記。みたいな。」の続き。 個々の人間は国家に保護されつつ、国家を構成し、国家に抑圧される。国家が保護しつつ抑圧する装置であるという両義性を視野にいれて考えなければならない*1。 国家が、個々人のための国家であるためには、国家が体現していないもの、現に存在してはいないものが生まれてくる領域がなければならない。目の前にある世界とは違った世界を構想することが許されている領域、および構想するための力が必要である。すなわち、様々な精神的・身体的自由、および自由な知性が必要である。 こうしてみれば、教育の役割の少なくとも一つがハッキリしてくる。それは現にある国家が体現していない何かを構想しうる自由な知性を育てることである。行政・立法・司法の各種国家権能が、互いに互いを従属させるようなものではないのと同様に、教育は国家に従属してよいものではない。国家と教育

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  • 国家と反国家──(1)憲法 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「国歌斉唱のときに座り続けること(Life Studies Homepage)」 これに関して考えようとしたら、国家についての話に終始して、国旗・国歌の話に入れなかった。国旗・国歌は後回しに。 個々の人間と国家は、相補的でありながら、対立的でもある。国家は我々を保護する装置であると同時に、抑圧する装置でもある。国家の保護とは、治安であり、戦争である。国家の抑圧とは、やはり治安であり、戦争である。国家を国家たらしめているものは、監獄と軍隊である*1。 言うまでもなく、憲法第9条の意義はここにある。辺見庸は言う。「・・・国家を永遠の災厄とする考えにくみするのならば、なぜ、国家存立の基的条件を定めた根法である憲法を受容するのか、という問いに再び戻る。私の正直な答えはこうである。それは、日の現行憲法の根幹が、言葉のもっともよい意味において、すぐれて「反国家的」だからだ」*2。日国憲法は、国

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  • 政治ビラと商業ビラ - モジモジ君のブログ。みたいな。

    TBをいただいた。少し考えてみる。 反戦ビラ訴訟 - シャ ノワール カフェ別館 黒房主さんの見解というより、孫引きになるのだが、黒房主さんは『おおやにき』の次の記述を引いて、これに「賛同する」とおっしゃってるので、そこにまず異論をぶつけてみる。 しかしこの事件を「政治的表現活動の自由」の問題として、商業活動の自由より尊重されるべきだから無罪にすべきだという朝日(および一部識者)の論調は大層気にいらない。「ピザ屋のビラならともかく」みたいなこと言ってるやつもいたな。じゃあ今回の裁判を支援した皆様は、次にピザ屋が捕まったら「それは商業活動であって神聖なる表現ではないから有罪にされて構わないんだぞ」とのたまうのだろうか。どちらが人々の役に立っているか、生活を豊かにしているかと言えば当然にピザ屋やデリヘルの方だと思うわけだが。(『おおやにき』の記述として引用されているものを孫引き) 僕の見解

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